「私には大きな味方がいた。日本のサポーターのみんなだ」
そして、感慨深げに回顧したのが、2000年6月のキリンカップだ。
自身の解任ムードが高まるなか、モロッコでのハッサン2世杯で世界王者フランスを相手に2-2のドローを演じ、帰国して迎えたキリンカップではスロバキア、ボリビアを連破して優勝を飾った。土俵際でなんとか持ち堪え、批判的な風潮を一掃したのである。
「解任されるかもしれないタイミングは私にもあった。丸4年間日本代表を率いたが、負けが込んだ時はきわめて状況が困難になり、よく力量を疑問視されたものだ。一方で私には大きな味方がいた。日本のサポーターのみんなだ。忘れることができないのは、親善試合(ボリビア戦)でのひとコマ。5万の大観衆がみんな立ち上がって、チャントしてくれたんだ。トルシエジャパン、トルシエジャパンとね。それもあって私は、2年間の契約延長を勝ち取れたんだ」
自身の解任ムードが高まるなか、モロッコでのハッサン2世杯で世界王者フランスを相手に2-2のドローを演じ、帰国して迎えたキリンカップではスロバキア、ボリビアを連破して優勝を飾った。土俵際でなんとか持ち堪え、批判的な風潮を一掃したのである。
「解任されるかもしれないタイミングは私にもあった。丸4年間日本代表を率いたが、負けが込んだ時はきわめて状況が困難になり、よく力量を疑問視されたものだ。一方で私には大きな味方がいた。日本のサポーターのみんなだ。忘れることができないのは、親善試合(ボリビア戦)でのひとコマ。5万の大観衆がみんな立ち上がって、チャントしてくれたんだ。トルシエジャパン、トルシエジャパンとね。それもあって私は、2年間の契約延長を勝ち取れたんだ」
最後に「ヴァイッドはアルジェリア代表監督のオファーを受けるだろうか?」と問われ、みずからの経験を基にしながら、実に“らしい”回答でこう切り返している。
「よく日本でも『なぜ帰ってこないんだ?』と訊かれたけど、そう簡単な話ではないんだ。日本では確固たる成功を収めたし、私自身、生涯残る功績を挙げたと自負している。その大切なメモリーを壊したくはないんだ。エメ・ジャッケも同じような理由で(フランス代表監督の再就任を)断っていただろ。だからヴァイッドも、そのリスクを取るのかどうか。アルジェリアで打ち立てた金字塔が壊れてしまうかもしれないのだからね」
「よく日本でも『なぜ帰ってこないんだ?』と訊かれたけど、そう簡単な話ではないんだ。日本では確固たる成功を収めたし、私自身、生涯残る功績を挙げたと自負している。その大切なメモリーを壊したくはないんだ。エメ・ジャッケも同じような理由で(フランス代表監督の再就任を)断っていただろ。だからヴァイッドも、そのリスクを取るのかどうか。アルジェリアで打ち立てた金字塔が壊れてしまうかもしれないのだからね」