いちばん怖かったのは、木島のドリブルだね

カナリア軍団・帝京のなかで、志波監督がもっとも警戒していたのが木島(奥)のドリブル。インターハイ決勝でやり込まれたCB金古(手前)だったが、選手権決勝では……。(C)SOCCER DIGEST
3冠チームの娯楽部門を担ったのが、本山と宮原のダブルトップ下である。鮮烈なインパクトを残した天才肌のコンビを、指揮官はどう見ていたのか。
「本山は自分がこれまで見てきたなかでも、三本の指に入る選手です。1年はボランチをやらせましたけど、それ以降は本来のトップ下で才能を磨かせましたね。彼は自分でなんでもやれるようで実は、ひとを使うのも巧い。ものすごく巧いんですよ。かたや宮原はスピードがなかった。天性の鈍足やったからね。本山とは汗のかく量がだんぜん違ってて、ひとに汗をかかせるのが巧い。このタイプの違うふたりが絶妙な絡みを見せて、チームのなかで機能してましたよ」
年明けの新人戦から圧倒的な強さを誇り、難なくインターハイの出場権を得る。本大会では決勝で帝京と対峙し、4-3の逆転勝ちを収めて初の全国タイトルを奪取した。ヒガシはこの年度で51試合を戦い、49勝2分けというとんでもない無敗記録を打ち立てるわけだが、志波先生はこの夏の帝京戦がいちばんキツかったと言い切る。カナリア軍団には中田浩二、木島良輔、金杉伸二らがいて、東福岡に負けず劣らずのタレント力を誇っていた。
「いまでも、あの試合だけはよく勝てたなと思う。中田浩二が正確な左足のフィードでバチンと局面を変えて、トップの金杉も強かった。でもいちばん怖かったのは、木島だね。彼のドリブルは本当に脅威で、あの試合でも金古と千代反田はずっと振り回されてたから。こっちの攻撃力が上回ってなんとかひっくり返せたけど、紙一重だった。どえらいチームだったよ」
帝京を率いていたのは、言わずと知れた巨匠・古沼貞雄さんだ。志波監督にとってはひと周り年上の大先輩で、常にその背中を見てきた指導者。若い頃から気にかけてもらい、感謝しっぱなしだったという。
「まだ30代だった頃、僕のことなんて知らないと思ってたんだけど、御殿場のフェスティバルで居合わせたときに、『志波さん、お茶でもしましょう』と誘ってくれたんです。嬉しかったですよ。いろんな話を訊かせてもらいました。忘れられない思い出だね。古沼さんはお酒をいっさい口にしないから、お昼のお茶なわけですよ」
とある年末。選手権抽選会のため、志波さんは上京していた。聞けば前日に東京Aブロックの決勝があるという。会場の西が丘まで足を運んでみた。そこで驚きの光景を目の当たりにしたのだ。
「帝京は1-0でリードしてた。で、後半がはじまる。古沼さんがひとりの選手を呼んで、『準備しとけ』と告げた。僕はずっとその選手を見てたんだけど、50メートルくらいのダッシュとジョギングを延々とやり続けてる。30分もだよ。出場したのは残りの5分。あれにはビックリしたね。さすがに僕にはできないと思った。帝京が強いのは走れるのがベース。巧い選手はいくらでもいるけど、強さの根幹に絶対的にあるのはやはりメンタルなんだね。メンタルを強くするために、指導者はなにを選手に求めるのか。そこが大事なんだ。古沼さんは陸上の800メートルの選手だった。走ることにかけてはプロなんだ。どこまで追い込めばやれるかを分かっているから、ああいう指導ができる。それは強いわけだと感服した」
「本山は自分がこれまで見てきたなかでも、三本の指に入る選手です。1年はボランチをやらせましたけど、それ以降は本来のトップ下で才能を磨かせましたね。彼は自分でなんでもやれるようで実は、ひとを使うのも巧い。ものすごく巧いんですよ。かたや宮原はスピードがなかった。天性の鈍足やったからね。本山とは汗のかく量がだんぜん違ってて、ひとに汗をかかせるのが巧い。このタイプの違うふたりが絶妙な絡みを見せて、チームのなかで機能してましたよ」
年明けの新人戦から圧倒的な強さを誇り、難なくインターハイの出場権を得る。本大会では決勝で帝京と対峙し、4-3の逆転勝ちを収めて初の全国タイトルを奪取した。ヒガシはこの年度で51試合を戦い、49勝2分けというとんでもない無敗記録を打ち立てるわけだが、志波先生はこの夏の帝京戦がいちばんキツかったと言い切る。カナリア軍団には中田浩二、木島良輔、金杉伸二らがいて、東福岡に負けず劣らずのタレント力を誇っていた。
「いまでも、あの試合だけはよく勝てたなと思う。中田浩二が正確な左足のフィードでバチンと局面を変えて、トップの金杉も強かった。でもいちばん怖かったのは、木島だね。彼のドリブルは本当に脅威で、あの試合でも金古と千代反田はずっと振り回されてたから。こっちの攻撃力が上回ってなんとかひっくり返せたけど、紙一重だった。どえらいチームだったよ」
帝京を率いていたのは、言わずと知れた巨匠・古沼貞雄さんだ。志波監督にとってはひと周り年上の大先輩で、常にその背中を見てきた指導者。若い頃から気にかけてもらい、感謝しっぱなしだったという。
「まだ30代だった頃、僕のことなんて知らないと思ってたんだけど、御殿場のフェスティバルで居合わせたときに、『志波さん、お茶でもしましょう』と誘ってくれたんです。嬉しかったですよ。いろんな話を訊かせてもらいました。忘れられない思い出だね。古沼さんはお酒をいっさい口にしないから、お昼のお茶なわけですよ」
とある年末。選手権抽選会のため、志波さんは上京していた。聞けば前日に東京Aブロックの決勝があるという。会場の西が丘まで足を運んでみた。そこで驚きの光景を目の当たりにしたのだ。
「帝京は1-0でリードしてた。で、後半がはじまる。古沼さんがひとりの選手を呼んで、『準備しとけ』と告げた。僕はずっとその選手を見てたんだけど、50メートルくらいのダッシュとジョギングを延々とやり続けてる。30分もだよ。出場したのは残りの5分。あれにはビックリしたね。さすがに僕にはできないと思った。帝京が強いのは走れるのがベース。巧い選手はいくらでもいるけど、強さの根幹に絶対的にあるのはやはりメンタルなんだね。メンタルを強くするために、指導者はなにを選手に求めるのか。そこが大事なんだ。古沼さんは陸上の800メートルの選手だった。走ることにかけてはプロなんだ。どこまで追い込めばやれるかを分かっているから、ああいう指導ができる。それは強いわけだと感服した」