ジェフを残留へと導き、大きな置き土産を。
97年シーズンの開幕直後、ボスを取材すると、こんなふうに話していた。
「昨年はシーズンの途中から新しい国でのプレーになって、新しいシステムやポジションに慣れるのが先決だったから、最初は難しかった。自分のプレーはゴールを挙げたり、スペクタクルなプレーで魅せるものでもない。周りの選手を助けて、バランスを見ながら上手くポジションを取るのが、ボランチである僕の役割だ。自分の豊富な経験をチームに還元できたらいいね」
だが、ボスは97年シーズンいっぱいでジェフを去る。そして、チームが重大な危機に陥った99年、彼は第2ステージからふたたびジェフに帰還するのだ。J1の残留争いで苦しむチームを大いに助けた。
第2ステージの最終節でガンバ大阪と対戦し、1-0で辛くも勝利。ぎりぎりでJ1残留を果たした。それが36歳のボスにとって、現役最後の試合。彼は試合後にこう話してくれた。
「本当に嬉しい。自分にとっての最終戦が劇的な終わり方で、長い人生の中で記憶に残るゲームができた。来年もジェフはJ1で戦うんだ。これに勝る喜びはない。J2に落としてオランダに帰るなんて、とても恥ずかしいことだったからね。この4、5試合は本当にきついプレッシャーの中で戦った。ヨーロッパのクラブは毎週のように、こういう試合をやっている。ジェフの若い選手たちにとってはいい教訓になったと思うし、きっと財産になっていくと思うよ」
試合後、ボスが現役の引退を知っていたチームメイトは彼を胴上げした。
「引退するのは初めてなんだけど、面白い経験をさせてもらったね(笑)。自分の良き友、親しいひとたちが、心を込めて自分を胴上げしてくれたんだ。ジェフとは、自分が最初にJリーグでプレーした時からいい関係が築けている。いい関係が続いていたからこそ、僕はジェフに戻ってくる気になったんだ」
胴上げをされた時の気持ちを訊かれ、ボスはそう答えた。絆を大切にするひとなのだ。
現役を引退してすぐに指導者の道に進み、監督としてのキャリアをスタートしたボスは、いまやヨーロッパの強豪クラブを指揮する名うての監督となった。ボスの声価が高まれば高まるほど、その夢はどんどん叶わないものになっていきそうだが、筆者と同様にサポーターもこう願っているはずだ。
いつの日か、なかなか強豪クラブになれないでいるジェフを率いてほしいと。
文:赤沼圭子(フリーライター)
「昨年はシーズンの途中から新しい国でのプレーになって、新しいシステムやポジションに慣れるのが先決だったから、最初は難しかった。自分のプレーはゴールを挙げたり、スペクタクルなプレーで魅せるものでもない。周りの選手を助けて、バランスを見ながら上手くポジションを取るのが、ボランチである僕の役割だ。自分の豊富な経験をチームに還元できたらいいね」
だが、ボスは97年シーズンいっぱいでジェフを去る。そして、チームが重大な危機に陥った99年、彼は第2ステージからふたたびジェフに帰還するのだ。J1の残留争いで苦しむチームを大いに助けた。
第2ステージの最終節でガンバ大阪と対戦し、1-0で辛くも勝利。ぎりぎりでJ1残留を果たした。それが36歳のボスにとって、現役最後の試合。彼は試合後にこう話してくれた。
「本当に嬉しい。自分にとっての最終戦が劇的な終わり方で、長い人生の中で記憶に残るゲームができた。来年もジェフはJ1で戦うんだ。これに勝る喜びはない。J2に落としてオランダに帰るなんて、とても恥ずかしいことだったからね。この4、5試合は本当にきついプレッシャーの中で戦った。ヨーロッパのクラブは毎週のように、こういう試合をやっている。ジェフの若い選手たちにとってはいい教訓になったと思うし、きっと財産になっていくと思うよ」
試合後、ボスが現役の引退を知っていたチームメイトは彼を胴上げした。
「引退するのは初めてなんだけど、面白い経験をさせてもらったね(笑)。自分の良き友、親しいひとたちが、心を込めて自分を胴上げしてくれたんだ。ジェフとは、自分が最初にJリーグでプレーした時からいい関係が築けている。いい関係が続いていたからこそ、僕はジェフに戻ってくる気になったんだ」
胴上げをされた時の気持ちを訊かれ、ボスはそう答えた。絆を大切にするひとなのだ。
現役を引退してすぐに指導者の道に進み、監督としてのキャリアをスタートしたボスは、いまやヨーロッパの強豪クラブを指揮する名うての監督となった。ボスの声価が高まれば高まるほど、その夢はどんどん叶わないものになっていきそうだが、筆者と同様にサポーターもこう願っているはずだ。
いつの日か、なかなか強豪クラブになれないでいるジェフを率いてほしいと。
文:赤沼圭子(フリーライター)