2対2で迎えた延長戦。ピッチ上は彼の独壇場だった。
■神がかっていたヒデのパフォーマンス
案の定、点を取り合うシーソーゲームの展開となりました。日本が先制したものの、その後、イランに2失点を喫し、一時はリードを許しました。そんな史上もっとも重要度の高い試合での息もつけない展開のなか、最高のパフォーマンスを見せてくれたのが、ヒデこと中田英寿でした。
イラン戦からちょうど20年の月日が経ちましたが、歴代の日本代表選手のなかでも、あそこまでのパフォーマンスを見せた選手はおそらくいないでしょう。
アトランタ五輪から始まり、いろんなところで一緒の舞台で戦ってきましたが、あの試合でヒデはまさに異次元の領域へと行ったな、と思いました。
メンタル、フィジカル、テクニック。すべての面で誰よりも突出していました。初戦のウズベキスタン戦から数えて9試合目となるイラン戦。疲労との戦いは避けて通れないものでした。しかし、ヒデにとって疲労はまったく無縁のようでした。時間の経過とともに、彼の存在感が大きくなってくるのです。後ろから見ていて、本当に頼もしく感じていました。
■ヒデがいなかったらワールドカップに出られなかった。
2対2で迎えた延長戦で、みんなの足がほとんど止まっていましたが、ヒデの動きは止まらない。それどころか、ピッチ上は彼の独壇場と化していました。
(城)彰二、呂比須(ワグナー)、岡野(雅行)さんと送り込んだ岡田武史監督の采配が日本の勢いを後押しするなか、岡野さんのゴールデンゴールが決まる運命の119分を迎えることができたのも、彼の活躍なくしてあり得ません。中山(雅史)さんの先制点はヒデのスルーパスから生まれ、ヘッドで決めた彰二の同点ゴールも、ヒデのセンタリングによるもの。そして、岡野さんのゴールデンゴールも、ヒデが放ったシュートを相手キーパーが弾いて生まれたのですから。
もっとも、ヒデがのびのびとプレーできた背景には、カズ(三浦知良)さん、井原(正巳)さんをはじめとしたベテランの人たちが、黒子となってチームを支えてくれたことも見逃せません。ベテランを中心にチームがまとまっていたからこその初出場だったと同時に、ヒデがいなかったら日本はワールドカップに出られなかったこともまた事実だと思います。
■参考資料
フランスW杯アジア最終予選 第3代表決定戦
1997年11月16日21:03@マレーシア・ジョホールバル
日本 3-2 イラン
[得点]日=中山(39分)、城(75分)、岡野(118分) イ=アジジ(46分)、58分(ダエイ)
[警告] 日=井原(27分) イ=アザディ(17分)、ハクプール(24分)、マハダビキア(34分)、アベドザデ(87分)、ミナバンド(106分)、アジジ(107分)
メンバー:GK20川口能活、DF2名良橋晃、3相馬直樹、4井原正巳、17秋田豊、MF6山口素弘、8中田英寿、10名波浩、13北澤豪(→90分14岡野雅行)、FW11三浦知良(→63分18城彰二)、32中山雅史(→63分30呂比須ワグナー)
監督:岡田武史
■プロフィール
川口能活
かわぐち・よしかつ/1975年8月15日生まれ、静岡県出身。180センチ・77キロ。清水商高卒業後、横浜入り。その後、ポーツマス(イングランド)、ノアシャラン(デンマーク)、磐田、岐阜を経て、現在J3の相模原でプレー。4度のワールドカップ出場を誇る日本を代表するレジェンド。プロ24年目。
☆SC相模原オフィシャルHPはこちら
→http://www.scsagamihara.com/
案の定、点を取り合うシーソーゲームの展開となりました。日本が先制したものの、その後、イランに2失点を喫し、一時はリードを許しました。そんな史上もっとも重要度の高い試合での息もつけない展開のなか、最高のパフォーマンスを見せてくれたのが、ヒデこと中田英寿でした。
イラン戦からちょうど20年の月日が経ちましたが、歴代の日本代表選手のなかでも、あそこまでのパフォーマンスを見せた選手はおそらくいないでしょう。
アトランタ五輪から始まり、いろんなところで一緒の舞台で戦ってきましたが、あの試合でヒデはまさに異次元の領域へと行ったな、と思いました。
メンタル、フィジカル、テクニック。すべての面で誰よりも突出していました。初戦のウズベキスタン戦から数えて9試合目となるイラン戦。疲労との戦いは避けて通れないものでした。しかし、ヒデにとって疲労はまったく無縁のようでした。時間の経過とともに、彼の存在感が大きくなってくるのです。後ろから見ていて、本当に頼もしく感じていました。
■ヒデがいなかったらワールドカップに出られなかった。
2対2で迎えた延長戦で、みんなの足がほとんど止まっていましたが、ヒデの動きは止まらない。それどころか、ピッチ上は彼の独壇場と化していました。
(城)彰二、呂比須(ワグナー)、岡野(雅行)さんと送り込んだ岡田武史監督の采配が日本の勢いを後押しするなか、岡野さんのゴールデンゴールが決まる運命の119分を迎えることができたのも、彼の活躍なくしてあり得ません。中山(雅史)さんの先制点はヒデのスルーパスから生まれ、ヘッドで決めた彰二の同点ゴールも、ヒデのセンタリングによるもの。そして、岡野さんのゴールデンゴールも、ヒデが放ったシュートを相手キーパーが弾いて生まれたのですから。
もっとも、ヒデがのびのびとプレーできた背景には、カズ(三浦知良)さん、井原(正巳)さんをはじめとしたベテランの人たちが、黒子となってチームを支えてくれたことも見逃せません。ベテランを中心にチームがまとまっていたからこその初出場だったと同時に、ヒデがいなかったら日本はワールドカップに出られなかったこともまた事実だと思います。
■参考資料
フランスW杯アジア最終予選 第3代表決定戦
1997年11月16日21:03@マレーシア・ジョホールバル
日本 3-2 イラン
[得点]日=中山(39分)、城(75分)、岡野(118分) イ=アジジ(46分)、58分(ダエイ)
[警告] 日=井原(27分) イ=アザディ(17分)、ハクプール(24分)、マハダビキア(34分)、アベドザデ(87分)、ミナバンド(106分)、アジジ(107分)
メンバー:GK20川口能活、DF2名良橋晃、3相馬直樹、4井原正巳、17秋田豊、MF6山口素弘、8中田英寿、10名波浩、13北澤豪(→90分14岡野雅行)、FW11三浦知良(→63分18城彰二)、32中山雅史(→63分30呂比須ワグナー)
監督:岡田武史
■プロフィール
川口能活
かわぐち・よしかつ/1975年8月15日生まれ、静岡県出身。180センチ・77キロ。清水商高卒業後、横浜入り。その後、ポーツマス(イングランド)、ノアシャラン(デンマーク)、磐田、岐阜を経て、現在J3の相模原でプレー。4度のワールドカップ出場を誇る日本を代表するレジェンド。プロ24年目。
☆SC相模原オフィシャルHPはこちら
→http://www.scsagamihara.com/