ブラジルへのサッカー留学と挫折。それがいまの仕事の糧に。
――サッカー好きとしては、どうしてもプロフィールの「ブラジルサッカー留学」という文字に目がいってしまうのですが、松浦さんのサッカー歴は?
「高3の夏に、サッカー選手になりたいって思って、あまり深く考えずブラジルで挑戦することにしました。おかげでポルトガル語も少し話せます」
――レベル的にも、環境的にも簡単ではないチャレンジだったのでは?
「最初は5部のチームでしたし、そこそこやれていたと思います。ただ、やっぱり環境が厳しくて。もうやりたくないってところまで気持ちが落ちました。一旦日本に戻って、もう一度だけと、今度は3部のチームに参加させてもらったんですが、もう、すべてが違いましたね。パルメイラスからのレンタルの子が10番をつけていたんですが、自分とサイズが変わらないのに、パワーもテクニックも図抜けていました。助っ人はこのレベルなのか、と思った時、ブラジルでやっていく気持ちがなくなってしまいました」
――その後も、サッカーは続けたのですか?
「日本の社会人チームに練習生として参加しましたが、契約まで至らず、22歳の時に、もう頑張れないなって諦めてしまいました。ただ、後悔はしていません。いまの自分を支えてくれるのは、ブラジルでの経験だと思っています」
――サッカー関連の仕事も増えているようですね。
「ブラジルワールドカップの時は、パブリックビューイング会場のMCをやったり、ウェブで連載も書かせてもらったりしました。去年は、なでしこリーグのノジマステラの応援番組の司会をやらせてもらって、自分も苦労したんで、彼女たちの悩みも真剣に聞くことができました。それから、ミュージシャンや俳優の方たちとチームをつくって、Fリーグの前座試合とかもやっています」
――映画『U-31』への出演も、そのキャリアに加わりますね。
「あとから監督に聞いたんですけど、キャスティングの際、サッカー経験者はたくさんいただけど、ブラジル留学までしている人はいなかったと」
――確かにインパクトがあるし、話を聞いてみたくなります。
「ブラジルでの経験は無駄ではなかったし、いまの自分の武器になっている。それを活かさないといけないし、その枠を飛び出さないといけないとも思っています。俳優に縛られずに、いろいろな仕事をやっていきたいです」
――映画ともリンクしますが、まだ闘う気持ちが残っていると。
「映画の主人公は、元日本代表なので、立場は全然違いますが(笑)。ブラジルでの挫折を糧に、12年役者にやってきて、サッカーの縁もあって、ここ最近やっと表舞台に立ててきたと感じています。サッカー選手を目ざしていた頃は、ただ漠然となりたいとか、憧れの思いが強かった。年齢もあると思いますが、周りのことが全然見えていなかったし、職業だと意識したこともなかった。いまは、役者、タレントとして、まだまだ発展途上と思えている分、この仕事をあきらめきれていないのかもしれません。闘志メラメラです!」
インタビュー後に「いつも読んでいる『サッカーダイジェスト』に載ることができて、うれしいです。昔のサッカー仲間に自慢しちゃいました」と話してくれた松浦さん。仲間の中には、現在Jのチームで通訳をしている方も多いとのことで、磐田のファブリシオ氏、徳島の渡名喜ジャクソン氏、セレッソの渡名喜ジェフェルソン氏に松浦さんへのコメントをもらった。そこからも松浦さんの人柄がうかがえた。
「一緒にボールを蹴っていたのが昨日の様に思い出します。プロになる夢こそ実現出来なかったけど、正太郎は負けず嫌いで、熱い男だから、必ず有名な俳優になれると信じています。新たなピッチで悔いのない様に頑張ってください! でも、身体に気をつけてね(笑)また、笑顔で一緒にボールを追いかけましょう」――ファブリシオ(ジュビロ磐田通訳)
「マツが職種は違うけどまだ頑張っていてうれしいです。ジェフは同じリーグで敵だけどマツが出ているならDVDも観てみようと思います(笑)」――渡名喜ジャクソン (徳島ヴォルティス通訳)
「プロサッカー選手が夢でともにプロを目指し切磋琢磨して、結果的に松浦は夢を叶えることはできなかったけど、また別の道でサッカーに関わること、人に夢(希望)を与えられる仕事をしていることをうれしく思います」――渡名喜ジェフェルソン(セレッソ大阪通訳)
「高3の夏に、サッカー選手になりたいって思って、あまり深く考えずブラジルで挑戦することにしました。おかげでポルトガル語も少し話せます」
――レベル的にも、環境的にも簡単ではないチャレンジだったのでは?
「最初は5部のチームでしたし、そこそこやれていたと思います。ただ、やっぱり環境が厳しくて。もうやりたくないってところまで気持ちが落ちました。一旦日本に戻って、もう一度だけと、今度は3部のチームに参加させてもらったんですが、もう、すべてが違いましたね。パルメイラスからのレンタルの子が10番をつけていたんですが、自分とサイズが変わらないのに、パワーもテクニックも図抜けていました。助っ人はこのレベルなのか、と思った時、ブラジルでやっていく気持ちがなくなってしまいました」
――その後も、サッカーは続けたのですか?
「日本の社会人チームに練習生として参加しましたが、契約まで至らず、22歳の時に、もう頑張れないなって諦めてしまいました。ただ、後悔はしていません。いまの自分を支えてくれるのは、ブラジルでの経験だと思っています」
――サッカー関連の仕事も増えているようですね。
「ブラジルワールドカップの時は、パブリックビューイング会場のMCをやったり、ウェブで連載も書かせてもらったりしました。去年は、なでしこリーグのノジマステラの応援番組の司会をやらせてもらって、自分も苦労したんで、彼女たちの悩みも真剣に聞くことができました。それから、ミュージシャンや俳優の方たちとチームをつくって、Fリーグの前座試合とかもやっています」
――映画『U-31』への出演も、そのキャリアに加わりますね。
「あとから監督に聞いたんですけど、キャスティングの際、サッカー経験者はたくさんいただけど、ブラジル留学までしている人はいなかったと」
――確かにインパクトがあるし、話を聞いてみたくなります。
「ブラジルでの経験は無駄ではなかったし、いまの自分の武器になっている。それを活かさないといけないし、その枠を飛び出さないといけないとも思っています。俳優に縛られずに、いろいろな仕事をやっていきたいです」
――映画ともリンクしますが、まだ闘う気持ちが残っていると。
「映画の主人公は、元日本代表なので、立場は全然違いますが(笑)。ブラジルでの挫折を糧に、12年役者にやってきて、サッカーの縁もあって、ここ最近やっと表舞台に立ててきたと感じています。サッカー選手を目ざしていた頃は、ただ漠然となりたいとか、憧れの思いが強かった。年齢もあると思いますが、周りのことが全然見えていなかったし、職業だと意識したこともなかった。いまは、役者、タレントとして、まだまだ発展途上と思えている分、この仕事をあきらめきれていないのかもしれません。闘志メラメラです!」
インタビュー後に「いつも読んでいる『サッカーダイジェスト』に載ることができて、うれしいです。昔のサッカー仲間に自慢しちゃいました」と話してくれた松浦さん。仲間の中には、現在Jのチームで通訳をしている方も多いとのことで、磐田のファブリシオ氏、徳島の渡名喜ジャクソン氏、セレッソの渡名喜ジェフェルソン氏に松浦さんへのコメントをもらった。そこからも松浦さんの人柄がうかがえた。
「一緒にボールを蹴っていたのが昨日の様に思い出します。プロになる夢こそ実現出来なかったけど、正太郎は負けず嫌いで、熱い男だから、必ず有名な俳優になれると信じています。新たなピッチで悔いのない様に頑張ってください! でも、身体に気をつけてね(笑)また、笑顔で一緒にボールを追いかけましょう」――ファブリシオ(ジュビロ磐田通訳)
「マツが職種は違うけどまだ頑張っていてうれしいです。ジェフは同じリーグで敵だけどマツが出ているならDVDも観てみようと思います(笑)」――渡名喜ジャクソン (徳島ヴォルティス通訳)
「プロサッカー選手が夢でともにプロを目指し切磋琢磨して、結果的に松浦は夢を叶えることはできなかったけど、また別の道でサッカーに関わること、人に夢(希望)を与えられる仕事をしていることをうれしく思います」――渡名喜ジェフェルソン(セレッソ大阪通訳)