吉田選手のメダルは結果以上の輝きを放っている。
しかし現場で闘う人たちは少し違う。
結果を信じて努力を続ける。結果を意識してプロセスに拘り、大事にする。勝利するために手段、手法を考え抜き準備する。その結果、結果がどうなろうとだ。
失敗したらやり直す。また立ち上がって勇気を出して走り出す。
それが「心」。
勝ったか負けたかではない、売れたか売れないかでもない。自分が懸けているものに向けて本氣で準備したか? 本氣で臨んだか? そこに油断や過信、怠慢はなかったか? 絶対に失敗しない、絶対に勝つという「心」で闘ったか?
そうであれば、結果は勝とうが負けようがどちらでも問題はない。いや、サッカーというスポーツでは多少問題があるのかもしれないが……。ただ結果がどうあれ、人としては必ず勝者へと進むはずだ。
そう見える(見え方が近い)、そう思う(感じ方が近い)、つまり価値観を共有できる仲間がまとまり、ひとつの仕事を成し遂げれば、周りが何を言おうが、周りがどう評価しようが、関係ないのだ。
一方で、近くにいても、目の前の人間たちがやっていること(努力)が見えていない人(見ようとしない人)がいるのが世の中の現実だ。
「君は何も努力をしてない」と努力の仕方ではなく、それ自体を分かろうとしない。「志」をバカにしているような人が存在する。だから、プロセスを大事に努力する集団が、結果でも一番上に上り詰めることがあれば素晴らしいと僕は思う。周囲の予測を上回ることだ。
そんなことが、重んじられる時代が来るのが楽しみだ。今の世の中はどうであろうか?
僕の友人は、自分の父親が病床でまさに天に召されようとしていた時、血圧、脈拍の測定機が表示している数字を眺めていたと言う。数字がゼロになった時に「ああ、死んでしまったんだ」と……。
いつだって数字に支配されがちな世の中だが、きっとそれ以上に大事なことはあるはずだ。すべて数字という結果で判断するのはどうであろう。
スポーツの勝敗、テレビ番組の視聴率、政治家の支持率、タレントの好感度、レストランの売り上げ、企業の業績、テストの点数、走るスピード、提出の期日、身長、年収、年齢などすべて数字で何かを決める。
そして亡くなったという事実さえも数字で受け入れるなんて……。
オリンピックで女子レスリングの吉田沙保里選手が負けた。4連覇の懸かる決勝戦で初めて負ける姿を見ることになった。
果たして、吉田選手は「敗者」なのであろうか。僕は、吉田選手を「敗者」だとは思わない。きっと、そう思う人が大多数なのではないだろうか。
それは彼女が勝ち取った3個の金メダルがあるためではなく、彼女が4年間、金メダルを取るために厳しいトレーニングを積み、日本代表選手団の主将である責任感を持って、日本のため、レスリング界のため、あるいは天国のお父さんのために闘い、努力し続けてきたことが分かるからだ。だからこそ、皆、涙を見せた彼女に泣かないでほしいと思うのであろう。
金より良いと書いて銀。まさしく彼女のメダルは結果以上の輝きを放っている。
なんでも数字が求められる時代に、吉田選手の敗戦は、時に勝利よりも大事なものがあるということを教えてくれた。吉田選手だからこそ僕はそう思った。
なんでも結果で判断する世の中、これからどうなっていくのであろうか……。
2016年8月28日
三浦泰年
結果を信じて努力を続ける。結果を意識してプロセスに拘り、大事にする。勝利するために手段、手法を考え抜き準備する。その結果、結果がどうなろうとだ。
失敗したらやり直す。また立ち上がって勇気を出して走り出す。
それが「心」。
勝ったか負けたかではない、売れたか売れないかでもない。自分が懸けているものに向けて本氣で準備したか? 本氣で臨んだか? そこに油断や過信、怠慢はなかったか? 絶対に失敗しない、絶対に勝つという「心」で闘ったか?
そうであれば、結果は勝とうが負けようがどちらでも問題はない。いや、サッカーというスポーツでは多少問題があるのかもしれないが……。ただ結果がどうあれ、人としては必ず勝者へと進むはずだ。
そう見える(見え方が近い)、そう思う(感じ方が近い)、つまり価値観を共有できる仲間がまとまり、ひとつの仕事を成し遂げれば、周りが何を言おうが、周りがどう評価しようが、関係ないのだ。
一方で、近くにいても、目の前の人間たちがやっていること(努力)が見えていない人(見ようとしない人)がいるのが世の中の現実だ。
「君は何も努力をしてない」と努力の仕方ではなく、それ自体を分かろうとしない。「志」をバカにしているような人が存在する。だから、プロセスを大事に努力する集団が、結果でも一番上に上り詰めることがあれば素晴らしいと僕は思う。周囲の予測を上回ることだ。
そんなことが、重んじられる時代が来るのが楽しみだ。今の世の中はどうであろうか?
僕の友人は、自分の父親が病床でまさに天に召されようとしていた時、血圧、脈拍の測定機が表示している数字を眺めていたと言う。数字がゼロになった時に「ああ、死んでしまったんだ」と……。
いつだって数字に支配されがちな世の中だが、きっとそれ以上に大事なことはあるはずだ。すべて数字という結果で判断するのはどうであろう。
スポーツの勝敗、テレビ番組の視聴率、政治家の支持率、タレントの好感度、レストランの売り上げ、企業の業績、テストの点数、走るスピード、提出の期日、身長、年収、年齢などすべて数字で何かを決める。
そして亡くなったという事実さえも数字で受け入れるなんて……。
オリンピックで女子レスリングの吉田沙保里選手が負けた。4連覇の懸かる決勝戦で初めて負ける姿を見ることになった。
果たして、吉田選手は「敗者」なのであろうか。僕は、吉田選手を「敗者」だとは思わない。きっと、そう思う人が大多数なのではないだろうか。
それは彼女が勝ち取った3個の金メダルがあるためではなく、彼女が4年間、金メダルを取るために厳しいトレーニングを積み、日本代表選手団の主将である責任感を持って、日本のため、レスリング界のため、あるいは天国のお父さんのために闘い、努力し続けてきたことが分かるからだ。だからこそ、皆、涙を見せた彼女に泣かないでほしいと思うのであろう。
金より良いと書いて銀。まさしく彼女のメダルは結果以上の輝きを放っている。
なんでも数字が求められる時代に、吉田選手の敗戦は、時に勝利よりも大事なものがあるということを教えてくれた。吉田選手だからこそ僕はそう思った。
なんでも結果で判断する世の中、これからどうなっていくのであろうか……。
2016年8月28日
三浦泰年