オーバーエイジがU-23世代の選手たちを”追い出した”ことを、興梠は誰よりも理解している。
自分たちオーバーエイジが、アジア予選を戦ったU-23世代の選手たちを”追い出した”ことを、興梠は誰よりも理解している。だからこそ、手倉森監督からのオファーにも悩み抜いた。そうして出したのが、「気楽」な姿勢で周囲の力を引き出す黒子になろう、という答だったのではないだろうか。
敗退が決まったスウェーデン戦後、興梠は悔しさを隠そうとはしなかった。
「日に日にチームが良くなってきて、このメンバーでまたやりたかったなというのが正直な気持ちです。ナイジェリア戦にしろ、コロンビア戦にしろ、負ける試合ではなかった。互角に戦えていたので、なおさら悔しさはあります。でも、初戦で勝点が取れなかったのが……最低でも引き分けなきゃいけなかった。そうなると決勝トーナメントに行けたわけだし、非常に悔しいですね」
試合を重ねるごとに成長していくチームと、一日でも長くともに戦いたかった。その言葉に偽りはない。
大会直前に合流するオーバーエイジという難しい役割を任され、歯車のひとつとして機能しようとした興梠。手倉森ジャパンの”土台”であるチームワークを最大限に尊重したこのFWの献身性は、U-23世代の心のなかにも何かを残したはずだ。
敗退が決まったスウェーデン戦後、興梠は悔しさを隠そうとはしなかった。
「日に日にチームが良くなってきて、このメンバーでまたやりたかったなというのが正直な気持ちです。ナイジェリア戦にしろ、コロンビア戦にしろ、負ける試合ではなかった。互角に戦えていたので、なおさら悔しさはあります。でも、初戦で勝点が取れなかったのが……最低でも引き分けなきゃいけなかった。そうなると決勝トーナメントに行けたわけだし、非常に悔しいですね」
試合を重ねるごとに成長していくチームと、一日でも長くともに戦いたかった。その言葉に偽りはない。
大会直前に合流するオーバーエイジという難しい役割を任され、歯車のひとつとして機能しようとした興梠。手倉森ジャパンの”土台”であるチームワークを最大限に尊重したこのFWの献身性は、U-23世代の心のなかにも何かを残したはずだ。