「あの国の人たちが帰化するのはやっぱ良くなかったね」と言わせたくなかった
李氏のキャリアを語るうえで欠かせないのが、日本への帰化である。人生を左右する大きな決断を下すにあたっては、FC東京U-18からトップチームに昇格したプロ1年目の2004年、U-19韓国代表候補のトレーニングキャンプに参加した際の経験が、非常に大きかったようだ。
さらに、北京五輪を共に戦った反町康治監督との秘話も明かしてくれた。
――◆――◆――
韓国代表になって、日本と韓国の文化の差を肌で感じました。僕は朝鮮学校出身で、朝鮮半島のアイデンティティがあるなかで、現地に行ってみたら、「どっちの国でもない存在に自分はいるんだな」って気付いて。「じゃあ僕は何人だ」と思った時に、日本生まれ日本育ち、4世ですし、「日本のためにサッカーをして、貢献できればいい」ってことで帰化しました。
イ・チュンソンからリ・タダナリに名前も変わったので、そこは大きなポイントですね。
さらに、北京五輪を共に戦った反町康治監督との秘話も明かしてくれた。
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韓国代表になって、日本と韓国の文化の差を肌で感じました。僕は朝鮮学校出身で、朝鮮半島のアイデンティティがあるなかで、現地に行ってみたら、「どっちの国でもない存在に自分はいるんだな」って気付いて。「じゃあ僕は何人だ」と思った時に、日本生まれ日本育ち、4世ですし、「日本のためにサッカーをして、貢献できればいい」ってことで帰化しました。
イ・チュンソンからリ・タダナリに名前も変わったので、そこは大きなポイントですね。
やっぱり人は一瞬で変わるんですよ。「立場、地位、役職で変わる」とよく言うじゃないですか。僕は韓国から日本に帰化して一瞬で変わりましたね。帰化申請が通って、新聞全紙で「李忠成、最終兵器」みたいな文言が載った時に、言葉遣いや所作、服装を変えなきゃいけないと思いました。
僕の後ろに在日朝鮮人や韓国人がいるので、公の場で「てめえこの野郎」といったことを言って、「あの国の人たちが帰化するのはやっぱ良くなかったね」と言わせたくなかったからです。
今まではサンダルとパジャマみたいな格好で練習場に行っていたけど、スニーカーを履いて、ちゃんとした服を着て練習場に行って、インタビューでしっかりした言葉を使おうと努力しました。僕が変われたので、誰でも変われると思うんですよ。それは帰化した時に思ったことですね。
覚悟と責任ですよね。それを持つと人は一瞬で変わります。それが何なのかは、人それぞれだと思います。
そこから北京オリンピックまですっと行きました。実は、元を辿れば、家に反町さんから電話がかかってきたんです。うちの父親が出たら、「新宿で会いたい。3人で会おう」ということで、3人で割烹料亭に行きました。その時に反町さんから「日本に帰化してくれないか?」と話があって、日本に帰化しました。
【バイタルエリアの仕事人】vol.10 小野伸二|「僕を目指してはだめ」黄金世代の“天才”が子供たちに伝えたい“努力”の重要性
僕の後ろに在日朝鮮人や韓国人がいるので、公の場で「てめえこの野郎」といったことを言って、「あの国の人たちが帰化するのはやっぱ良くなかったね」と言わせたくなかったからです。
今まではサンダルとパジャマみたいな格好で練習場に行っていたけど、スニーカーを履いて、ちゃんとした服を着て練習場に行って、インタビューでしっかりした言葉を使おうと努力しました。僕が変われたので、誰でも変われると思うんですよ。それは帰化した時に思ったことですね。
覚悟と責任ですよね。それを持つと人は一瞬で変わります。それが何なのかは、人それぞれだと思います。
そこから北京オリンピックまですっと行きました。実は、元を辿れば、家に反町さんから電話がかかってきたんです。うちの父親が出たら、「新宿で会いたい。3人で会おう」ということで、3人で割烹料亭に行きました。その時に反町さんから「日本に帰化してくれないか?」と話があって、日本に帰化しました。
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