• トップ
  • ニュース一覧
  • 「あそこの大学に行け」「就職しろ」の日本を飛び出して24年。川合慶太郎がオランダで築き上げた“Jドリーム”の存在意義【現地発】

「あそこの大学に行け」「就職しろ」の日本を飛び出して24年。川合慶太郎がオランダで築き上げた“Jドリーム”の存在意義【現地発】

カテゴリ:海外日本人

中田徹

2024年06月26日

子どもたちに運動する機会を――。2001年にJドリームは生まれた

一昨年に行なわれたJドリームカップの様子。写真:中田徹

画像を見る

 一度、日本に戻ってビザを準備して、川合は1999年12月から本格的にオランダに住み始めた。すると「日本人学校の運動会に行っても面白くない。子どもたちが走って転ぶことすらない」という話を聞いた。当時の日本人の子たちは運動する機会がまったくなく、足が絡まって転がるほど全力で走ることができなかったのだという。放課後も子どもたちはとにかく怪我や病気をさせないと守られていたので、外で遊ぶこともできなかった。

「子どもたちに運動する機会を作ってほしい」との強い要望があり、大使館や日本人学校からもサポートを受け、2001年、小学校低学年向けサッカークラブ、Jドリームが発足した。

 最初から屋外で活動するのはハードルが高すぎて、体育館で活動することから始めた。
 
「まったく運動のできない子どもたちにボールをいきなり与えると、ボールが扱えないから運動の負荷が減ってしまう。だから鬼ごっこ、でんぐり返し、側転とか、ともかく運動量を重視した。だけど彼らは元々運動神経が悪かったわけではなく、運動する機会がなかっただけだった。子どもは覚えるのが早いからサッカーもすぐに覚えた」
 
 そのうち高学年の子どもたちも「自分もサッカーしたい」と言い出し、メンバーが40人くらいになった。体育館では手狭になったため、川合は自身がプレーしていたRKAVICというクラブに頼んで、日曜日の朝をJドリームのトレーニングに使えるようにした。

「子どもたちが運動できるようになってくると、やっぱり試合をしてオランダ人と交流させてあげたかった」

 今度は父親たちが「我々もサッカーをしたい」と言いだした。こうして06年に発足したのがU-50チーム(現在は“ONEチーム”)だ。オランダらしく、ポジションをしっかり取りながらインサイドキックでしっかりパスを繋ぐサッカーは、それまでプレーしたことのなかった人にとっても馴染みやすいものだった。

 また「なんで、あそこでパスを出さないんだ!」などと叱り飛ばしていたお父さんたちも、自身がプレーすることによってその難しさ、その深さを知り、家に帰ってから親子でキチンとしたサッカー談義をするようになった。U-50チームのお父さんたちは、週末の子どもたちのトレーニングのサポートコーチとしても活躍している。
【関連記事】
「日本人ばっかり出して」「弱いじゃないか!」ファンが不満を抱いたSTVVが100周年で挑む“ユース育成改革”の全容~立石敬之CEOに訊く【現地発】
「欧州組を呼ぶ意味がよく分かった」NEC小川航基が森保ジャパンから得た“リアルな刺激”「自分も食い込んでいきたい」【現地発】
「貢献はほぼゼロに近い」それでも上田綺世が力を込めた“オランダ1年目の価値”。激白30分にみる日本代表ストライカーの進化形【現地発】
浦和で10年プレーした元なでしこ、吉良知夏はなぜ32歳で“オランダ日本人女子選手第1号”への道を選んだのか【現地発】
プロ1年目のオランダで躍動する19歳・長田澪が強豪フェイエノールトを完封! U-20ドイツ代表でも主軸を張る守護神の言葉にみる“日本と欧州の違い”【現地発】

サッカーダイジェストTV

詳細を見る

 動画をもっと見る

Facebookでコメント

サッカーダイジェストの最新号

  • 週刊サッカーダイジェスト 王国の誇りを胸に
    4月10日発売
    サッカー王国復活へ
    清水エスパルス
    3年ぶりのJ1で異彩を放つ
    オレンジ戦士たちの真髄
    詳細はこちら

  • ワールドサッカーダイジェスト 特別企画
    5月1日発売
    プレミアリーグ
    スター★100人物語
    絆、ルーツ、感動秘話など
    百人百通りのドラマがここに!
    詳細はこちら

  • 高校サッカーダイジェスト 完全保存版
    1月17日発売
    第103回全国高校サッカー選手権
    決戦速報号
    前橋育英が7年ぶりの戴冠
    全47試合&活躍選手を詳報!
    詳細はこちら

>>広告掲載のお問合せ

ページトップへ