EURO初勝利を
我々が攻撃的なチームであることは明白ですが、その背景には22年ワールドカップの反省があります。ワールドカップは守備も練習しましたが、最終的には攻撃に比重を掛けすぎてしまいました。その結果、1次リーグ3試合で5得点・8失点。1分2敗で敗退しました。コーチングスタッフ陣も「そこまで守備のことをやるのか?」と驚いていましたが、同じ轍(てつ)を踏むわけにはいきません。その意味でも直前に行なった2つのテストマッチは有意義なものになりました。
オーストリア戦は前半10分過ぎで2失点。それが良い教訓になりました。残り80分間は立て直せましたし、自分たちの課題も出し切れて、実りの多い試合だった。試合後にはすぐに分析して、次の日の練習でフィードバック。中3日で行なわれたスウェーデン戦はしっかりゼロで終えることができたのです。スウェーデン戦の先制点は我々らしくパス18本を繋いだゴールでしたが、2、3点目は守備でリズムを作ったからこそ生まれたもの。全てを無失点で凌ぐのは難しいですが、短期決戦は先に失点してしまうと相手ペースになりがちになるので、失点リスクのパーセンテージを少しでも減らすのは重要になります。
オーストリア戦は前半10分過ぎで2失点。それが良い教訓になりました。残り80分間は立て直せましたし、自分たちの課題も出し切れて、実りの多い試合だった。試合後にはすぐに分析して、次の日の練習でフィードバック。中3日で行なわれたスウェーデン戦はしっかりゼロで終えることができたのです。スウェーデン戦の先制点は我々らしくパス18本を繋いだゴールでしたが、2、3点目は守備でリズムを作ったからこそ生まれたもの。全てを無失点で凌ぐのは難しいですが、短期決戦は先に失点してしまうと相手ペースになりがちになるので、失点リスクのパーセンテージを少しでも減らすのは重要になります。
6月16日の初戦はイングランド代表戦。ブックメーカーの優勝確率予想は「25パーセント」で、多くの方がご存じのように今大会V候補の一角です。一方の我々は0.9パーセント(笑)。でもFWハリー・ケインやMFジュード・ベリンガム、MFフィル・フォーデンらの分析は非常にやりがいがありましたし、チームは逆に“やってやろうぜ”と奮い立っています。
日本人初の挑戦となるEURO本大会。まずは1つひとつの戦いに真剣に取り組んでいる姿勢を見せたいと思います。そしてワールドカップで手にできなかったセルビア代表としてのEURO初勝利を手にしたい。そうなればセルビア代表の新しい歴史を刻めるし、私自身の歴史にもなります。この舞台に立つ幸せと重責を噛み締めて臨むので、1人でも多くの日本人ファンの方が応援をしてくださることを願っています。
――◆――◆――
PROFILE
喜熨斗勝史
きのし・かつひと/1964年10月6日生まれ、東京都出身。日本体育大卒業後に教員を経て、東京大学大学院に入学した勤勉家。プロキャリアはないが関東社会人リーグでプレーした経験がある。東京都高体連の地区選抜のコーチや監督を歴任したのち、1995年にベルマーレ平塚でプロの指導者キャリアをスタート。その後は様々なクラブでコーチやフィジカルコーチを歴任し、2004年からは三浦知良とパーソナルトレーナー契約を結んだ。08年に名古屋のフィジカルコーチに就任。ストイコビッチ監督の右腕として10年にはクラブ初のリーグ優勝に貢献した。その後は“ピクシー”が広州富力(中国)の指揮官に就任した15年夏には、ヘッドコーチとして入閣するなど、計11年半ほどストイコビッチ監督を支え続けている。
指導歴
95年6月~96年:平塚ユースフィジカルコーチ
97年~99年:平塚フィジカルコーチ
99年~02年:C大阪フィジカルコーチ
02年:浦和フィジカルコーチ
03年:大宮フィジカルコーチ
04年:尚美学園大ヘッドコーチ/東京YMCA社会体育保育専門学校監督/三浦知良パーソナルコーチ
05年:横浜FCコーチ
06年~08年:横浜FCフィジカルコーチ(チーフフィジカルディレクター)
08年~14年:名古屋フィジカルコーチ
14年~15年8月:名古屋コーチ
15年8月~:広州富力トップチームコーチ兼ユースアカデミーテクニカルディレクター
19年11月~12月:広州富力トップチーム監督代行
21年3月~: セルビア代表アシスタントコーチ
日本人初の挑戦となるEURO本大会。まずは1つひとつの戦いに真剣に取り組んでいる姿勢を見せたいと思います。そしてワールドカップで手にできなかったセルビア代表としてのEURO初勝利を手にしたい。そうなればセルビア代表の新しい歴史を刻めるし、私自身の歴史にもなります。この舞台に立つ幸せと重責を噛み締めて臨むので、1人でも多くの日本人ファンの方が応援をしてくださることを願っています。
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PROFILE
喜熨斗勝史
きのし・かつひと/1964年10月6日生まれ、東京都出身。日本体育大卒業後に教員を経て、東京大学大学院に入学した勤勉家。プロキャリアはないが関東社会人リーグでプレーした経験がある。東京都高体連の地区選抜のコーチや監督を歴任したのち、1995年にベルマーレ平塚でプロの指導者キャリアをスタート。その後は様々なクラブでコーチやフィジカルコーチを歴任し、2004年からは三浦知良とパーソナルトレーナー契約を結んだ。08年に名古屋のフィジカルコーチに就任。ストイコビッチ監督の右腕として10年にはクラブ初のリーグ優勝に貢献した。その後は“ピクシー”が広州富力(中国)の指揮官に就任した15年夏には、ヘッドコーチとして入閣するなど、計11年半ほどストイコビッチ監督を支え続けている。
指導歴
95年6月~96年:平塚ユースフィジカルコーチ
97年~99年:平塚フィジカルコーチ
99年~02年:C大阪フィジカルコーチ
02年:浦和フィジカルコーチ
03年:大宮フィジカルコーチ
04年:尚美学園大ヘッドコーチ/東京YMCA社会体育保育専門学校監督/三浦知良パーソナルコーチ
05年:横浜FCコーチ
06年~08年:横浜FCフィジカルコーチ(チーフフィジカルディレクター)
08年~14年:名古屋フィジカルコーチ
14年~15年8月:名古屋コーチ
15年8月~:広州富力トップチームコーチ兼ユースアカデミーテクニカルディレクター
19年11月~12月:広州富力トップチーム監督代行
21年3月~: セルビア代表アシスタントコーチ