オイラが街のプロサッカークラブへと成長した姿は、本当に感慨深い
5月26(日)、J1リーグ第16節・ヴィッセル神戸ー東京ヴェルディが開催されたが、僕は当日の朝に新横浜から新幹線に乗り、神戸の仲間、自称三宮の会のメンバーと7人で観戦を楽しんだ。結果はアウェーの東京ヴェルディが粘り強く戦い、1-0で勝利した。
ヴィッセル神戸はホームに2万2000人以上の観客を集めながら、結果を出すことが出来なかった。試合としては渋い試合で、仲間の三宮の会メンバーとしては残念な結果になった。しかし、試合後の会食はいつも通りに盛り上がり、懐かしい話に花が咲いた。
Jリーグの日に懐かしいカレーのCMを思い出し、16年ぶりにJ1復帰を果たした東京ヴェルディとの試合を神戸で観戦。
ご存知の方も多いだろうが、両チームとも僕の古巣で、ヴェルディの前身である読売クラブは日本でのプロ生活をスタートさせ、ヴィッセル神戸では38歳の時に引退を決意した。僕のプロ生活の最初と最後を見守ったクラブである。
どちらを過剰に応援する訳でもない。新しい力が現クラブを支えていくのだ。
その当時の人は誰もいないに等しい環境だが、ヴェルディも堂々と昨年の王者に対して怖がらずプレーした。神戸もしっかりした試合をしたが、結果は残念ながらついてこなかった。
しかしサポーターと同じ目線でQRコードを使用してスタジアムに入り、観戦した僕は、黒白の縦縞のユニホームから、にわかにクリムゾンレッド(エンジ)のユニホームに変わり、エンプレムもシンプルに変え、不自然さを隠しきれない姿でスタジアムに足を運んでいた神戸のサポーターたちを知っている。それだけに、当時を思い出したら、2万人以上の神戸サポーターがエンターテイメント化するスタジアムの雰囲気に一体となり、オイラが街のプロサッカークラブへと成長した姿は、本当に感慨深い。
試合内容や結果ということ以前に、そうやって年月を重ねて歩んできた姿に感動し、日本サッカーの、Jリーグの、歴史を感じる日となった。
そしてこれかも歴史は積み重なり、6月もまたサッカーは変わらず進んで行く。
この期間を大切に、冷静に、風を感じながら、サッカーだけではなく、たくさんの事に触れて、自分を高められればと思う。
良い報告ができる日まで、毎日、毎月、毎年を悔いなく進んでいきたい。
6月は、どんな月になるのであろうか?
2024年5月31日
三浦泰年
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その当時の人は誰もいないに等しい環境だが、ヴェルディも堂々と昨年の王者に対して怖がらずプレーした。神戸もしっかりした試合をしたが、結果は残念ながらついてこなかった。
しかしサポーターと同じ目線でQRコードを使用してスタジアムに入り、観戦した僕は、黒白の縦縞のユニホームから、にわかにクリムゾンレッド(エンジ)のユニホームに変わり、エンプレムもシンプルに変え、不自然さを隠しきれない姿でスタジアムに足を運んでいた神戸のサポーターたちを知っている。それだけに、当時を思い出したら、2万人以上の神戸サポーターがエンターテイメント化するスタジアムの雰囲気に一体となり、オイラが街のプロサッカークラブへと成長した姿は、本当に感慨深い。
試合内容や結果ということ以前に、そうやって年月を重ねて歩んできた姿に感動し、日本サッカーの、Jリーグの、歴史を感じる日となった。
そしてこれかも歴史は積み重なり、6月もまたサッカーは変わらず進んで行く。
この期間を大切に、冷静に、風を感じながら、サッカーだけではなく、たくさんの事に触れて、自分を高められればと思う。
良い報告ができる日まで、毎日、毎月、毎年を悔いなく進んでいきたい。
6月は、どんな月になるのであろうか?
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