「個人技を見せ合うサッカーが復活」
ベッケンバウアーにインタビューする機会を得たのは、ちょうどJリーグが開幕した1993年、場所は今ではあまり使われなくなった浦和駒場スタジアムだった。ベッケンバウアーのサッカー人生には、自他ともに認めるように非の打ちどころがなかった。
欧州と世界を制し、クラブレベルでもチャンピオンズカップを3連覇して2度のバロンドールを受賞。現役を退いた後は西ドイツ代表の監督に就任し「1986年メキシコ・ワールドカップでは凡庸なチームを決勝まで押し上げ」、さらに4年後のイタリア大会では「理想的なチームに仕上げて確信を持って」優勝に導いていた。
奇しくも選手と監督両方でワールドカップを制したブラジルのマリオ・ザガロは、カイザーが亡くなるわずか2日前に逝去したが、主将と監督での世界制覇は初めての快挙だった。
ベッケンバウアーは、淡々と振り返っていた。
「どちらの決勝も戦う前から結果は分かっていたよ。86年大会は決勝まで行けたことがラッキーで、相手のアルゼンチンのほうがチーム力は遥かに上だった。逆に90年大会では、対戦相手のアルゼンチンの状態が悪過ぎて、どんな形でもこちらが勝つに決まっていた」
来日時の肩書きは、バイエルンの副会長、米国協会アドバイザー、それに三菱自動車とは海外セールスプロモーションのキャラクター契約を結んでいた。
「サッカーは私の人生の全てだ。そのサッカーの世界で主将として、監督として優勝することができたのだから、もうこれ以上望むことはない。全てをやり尽くしたということだ」
常に背筋を伸ばして視野を保ち、パンツも汚さずに華麗なプレーを続けると評された現役時代のピッチ上同様に、一貫して気品に満ちて落ち着いた口調だったが、一方でこうも断言していた。
欧州と世界を制し、クラブレベルでもチャンピオンズカップを3連覇して2度のバロンドールを受賞。現役を退いた後は西ドイツ代表の監督に就任し「1986年メキシコ・ワールドカップでは凡庸なチームを決勝まで押し上げ」、さらに4年後のイタリア大会では「理想的なチームに仕上げて確信を持って」優勝に導いていた。
奇しくも選手と監督両方でワールドカップを制したブラジルのマリオ・ザガロは、カイザーが亡くなるわずか2日前に逝去したが、主将と監督での世界制覇は初めての快挙だった。
ベッケンバウアーは、淡々と振り返っていた。
「どちらの決勝も戦う前から結果は分かっていたよ。86年大会は決勝まで行けたことがラッキーで、相手のアルゼンチンのほうがチーム力は遥かに上だった。逆に90年大会では、対戦相手のアルゼンチンの状態が悪過ぎて、どんな形でもこちらが勝つに決まっていた」
来日時の肩書きは、バイエルンの副会長、米国協会アドバイザー、それに三菱自動車とは海外セールスプロモーションのキャラクター契約を結んでいた。
「サッカーは私の人生の全てだ。そのサッカーの世界で主将として、監督として優勝することができたのだから、もうこれ以上望むことはない。全てをやり尽くしたということだ」
常に背筋を伸ばして視野を保ち、パンツも汚さずに華麗なプレーを続けると評された現役時代のピッチ上同様に、一貫して気品に満ちて落ち着いた口調だったが、一方でこうも断言していた。
「確かに冷静にプレーするというのは非常に重要なことなので、自分でも極力そう努めてきた。この冷静さは、トレーニングによって培われたものではなく、自分が育ってきた環境や性格によるものだと思う。しかし私のことを、いつもクールで自信に満ちていると捉えているのだとすれば、それは私の一部しかご覧になっていないのではないかな」
実際ベッケンバウアーの勝利への拘りは並外れていたようだ。2002年日韓ワールドカップ準決勝でドイツ代表のエース、ミヒャエル・バラックが警告を受け、決勝戦での出場停止が決まると「判定がいかに不当だったか」「決勝戦は互いにベストメンバーで戦うべき」との論点から、FIFAに執拗な直談判を続けたという。
また浦和レッズで通訳を務めた山内直氏は「皇帝」と一緒にゴルフをラウンドする貴重な体験をしたが「どうしてこんなところに木があるんだ」と八つ当たりをするなど、子どもじみた負けん気の強さを目の当たりにしたそうである。
ピッチ上で並外れて創造的な芸術家が、比類なき闘争心を内に秘め冷徹に振る舞い、それが優雅に映る。ベッケンバウアーは、そんな選手だった。
約30年前のカイザーは予言していた。
「現在は選手たちの体力が飛躍的に向上し、昔ならありえなかった運動量が可能になった。ただ私は、いつまでもこういう走り勝ったほうが勝利を得る戦い方が続くとは思っていない。きっとまた個人技を見せ合うサッカーが復活してくるはずだ」
願うサッカーの未来像は、先にこの世を去ったクライフと一致していた。
文●加部究(スポーツライター)
【PHOTO】あの時、君は若かった…厳選写真で振り返るレジェンドたちの“ビフォーアフター”(海外編)
ベッケンバウアー氏の名を冠したカップ戦が誕生か?盟友の提案に愛弟子のひとりも前向き「悪い考えではない」
「多くの人にとっての『皇帝』だった」ベッケンバウアー氏逝去にドイツ首相も哀悼の意
実際ベッケンバウアーの勝利への拘りは並外れていたようだ。2002年日韓ワールドカップ準決勝でドイツ代表のエース、ミヒャエル・バラックが警告を受け、決勝戦での出場停止が決まると「判定がいかに不当だったか」「決勝戦は互いにベストメンバーで戦うべき」との論点から、FIFAに執拗な直談判を続けたという。
また浦和レッズで通訳を務めた山内直氏は「皇帝」と一緒にゴルフをラウンドする貴重な体験をしたが「どうしてこんなところに木があるんだ」と八つ当たりをするなど、子どもじみた負けん気の強さを目の当たりにしたそうである。
ピッチ上で並外れて創造的な芸術家が、比類なき闘争心を内に秘め冷徹に振る舞い、それが優雅に映る。ベッケンバウアーは、そんな選手だった。
約30年前のカイザーは予言していた。
「現在は選手たちの体力が飛躍的に向上し、昔ならありえなかった運動量が可能になった。ただ私は、いつまでもこういう走り勝ったほうが勝利を得る戦い方が続くとは思っていない。きっとまた個人技を見せ合うサッカーが復活してくるはずだ」
願うサッカーの未来像は、先にこの世を去ったクライフと一致していた。
文●加部究(スポーツライター)
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