欧州中の名立たるメガクラブから幾度となく誘われた。
ASローマが最後にセリエA優勝を飾ったのは、デ・ロッシがプロデビューする前年の2000-2001シーズン。以降はユベントス、ミラン、インテルという北部の名門の牙城を崩せず、惜しくも2位に終わることなんと8回。デ・ロッシも嫌と言うほど悔し涙を流した。
このままローマに留まっていて、セリエAやチャンピオンズ・リーグを制覇できるのか――。そんな考えが頭を過ぎっても不思議ではない。
実際、ミラン、ユベントス、インテルという国内のライバルはもちろん、R・マドリー、バルセロナ、チェルシー、マンチェスター・U、マンチェスター・C、アーセナル、バイエルン、パリSGなど国外のメガクラブからも、幾度となく誘われた。
「年俸はローマで受け取る倍額を保証する。ウチに来て君の実力に相応しいメジャータイトルを一緒に獲得しよう」
世界に名立たるメガクラブにそう勧誘されて、心が揺さぶられないわけがない。現代フットボールではキャリアを1つのクラブに捧げる選手はいわば希少種。デ・ロッシも思い悩んだ。
とりわけ、ローマが資金難で銀行管理下に置かれ、クラブのフロントが事実上機能していなかった2009年からの2年間、そして心無い誹謗中傷を受けるなどサポーターとの関係が壊れかけた2013年頃は、真剣に退団を検討したという。
このままローマに留まっていて、セリエAやチャンピオンズ・リーグを制覇できるのか――。そんな考えが頭を過ぎっても不思議ではない。
実際、ミラン、ユベントス、インテルという国内のライバルはもちろん、R・マドリー、バルセロナ、チェルシー、マンチェスター・U、マンチェスター・C、アーセナル、バイエルン、パリSGなど国外のメガクラブからも、幾度となく誘われた。
「年俸はローマで受け取る倍額を保証する。ウチに来て君の実力に相応しいメジャータイトルを一緒に獲得しよう」
世界に名立たるメガクラブにそう勧誘されて、心が揺さぶられないわけがない。現代フットボールではキャリアを1つのクラブに捧げる選手はいわば希少種。デ・ロッシも思い悩んだ。
とりわけ、ローマが資金難で銀行管理下に置かれ、クラブのフロントが事実上機能していなかった2009年からの2年間、そして心無い誹謗中傷を受けるなどサポーターとの関係が壊れかけた2013年頃は、真剣に退団を検討したという。