世界の舞台での沈黙は来夏、30年ぶりに破られることになる。

北アイルランド・サッカー史に残る82年W杯。ジェニングス、オニール、サミー・マックロイ、アームストロング、ウィリアム・ハミルトン、そしてホワイトサイドと、好選手を擁して躍進を遂げた。 (C) SOCCER DIGEST

いまだ破られることのない記録を樹立したホワイトサイドは、サイドから鋭い突破を披露。所属クラブのマンチェスター・ユナイテッドでは、高い得点能力を発揮したが、問題児の一面もあった。 (C) SOCCER DIGEST
1980年に英国4協会による伝統のある大会「ホーム・チャンピオンシップ」で初の単独優勝を飾ってから、ビリー・ビンガム監督に率いられた北アイルランドは、一枚岩となってワールドカップ予選を突破、1982年スペイン・ワールドカップ出場を決めた。
今回のEURO同様に、このスペイン大会から出場国は24か国となり、各グループの上位2チームが2次リーグに進むという方式だったが、北アイルランドが組み込まれたのは、ホンジュラス、ユーゴスラビア、そして開催国スペインと同じ組だった。
北アイルランドはこのなかで3番手評価だったが、当時のキャプテン、マーティン・オニールは大会前に「取りこぼしさえしなければ、番狂わせは十分にある」と自信をうかがわせていた。
強豪クラブどころか、イングランドの2部、3部でプレーする選手も多くいた北アイルランドは、個々が取り立てて技術的に優れているわけでもなかったが、統率された組織と、確立されたイングランド・スタイルの激しいサッカーで、大会に旋風を巻き起こす自信を持っていた。
初戦はユーゴスラビアが相手だったが、この引き分けに終わった試合で、北アイルランドはひとつの記録を打ち立てる。ノーマン・ホワイトサイドが17歳41日で世界デビューを果たし、ペレの記録を抜いたのである。これは今なお、破られていない。
ホンジュラス戦も引き分けで迎えた最終戦。バレンシアでのスペイン戦は、当然ながら完全アウェーでの戦いとなったが、荒っぽい展開のなかでジェリー・アームストロングがゴールを決めると北アイルランドはこれを守り切り、首位通過を決めたのだった。
DF陣が堅固さを誇り、中盤も安定、FW陣も決定力の高さを見せるなど、予想外に好チームだった北アイルランドは、開催国の熱を一気に下げさせながら、2次リーグへ進出。オーストリアとは攻め合って2-2、フランスには「黄金の中盤」に守備陣が再三切り裂かれて0-4と、ベスト4進出はならなかった。
その4年後のメキシコ・ワールドカップにも北アイルランドは出場。GKパット・ジェニングスはグループリーグ最終戦で41歳の誕生日を迎え、当時の大会最年長記録を更新して話題になったが、チームはアルジェリアに引き分け、スペイン、ブラジルには力負け。印象が薄いままメキシコを去って行った。
これ以降、この国が世界の大舞台に上がることはなかった。しかし来夏、30年ぶりに沈黙は破られることになる。当時と同様、一枚岩の無名集団は、フランスで見る者に強いインパクト与えてくれるだろうか。
ところで、EUROでは予選敗退を繰り返していた北アイルランドだが、決して驚きを周囲に与えなかったわけではない。84年の(奇しくも!)フランス大会予選、彼らは2位で出場権を取り逃がしたが、首位の西ドイツには、ホーム&アウェーともに1-0の勝利を奪っているのである。
今回のEURO同様に、このスペイン大会から出場国は24か国となり、各グループの上位2チームが2次リーグに進むという方式だったが、北アイルランドが組み込まれたのは、ホンジュラス、ユーゴスラビア、そして開催国スペインと同じ組だった。
北アイルランドはこのなかで3番手評価だったが、当時のキャプテン、マーティン・オニールは大会前に「取りこぼしさえしなければ、番狂わせは十分にある」と自信をうかがわせていた。
強豪クラブどころか、イングランドの2部、3部でプレーする選手も多くいた北アイルランドは、個々が取り立てて技術的に優れているわけでもなかったが、統率された組織と、確立されたイングランド・スタイルの激しいサッカーで、大会に旋風を巻き起こす自信を持っていた。
初戦はユーゴスラビアが相手だったが、この引き分けに終わった試合で、北アイルランドはひとつの記録を打ち立てる。ノーマン・ホワイトサイドが17歳41日で世界デビューを果たし、ペレの記録を抜いたのである。これは今なお、破られていない。
ホンジュラス戦も引き分けで迎えた最終戦。バレンシアでのスペイン戦は、当然ながら完全アウェーでの戦いとなったが、荒っぽい展開のなかでジェリー・アームストロングがゴールを決めると北アイルランドはこれを守り切り、首位通過を決めたのだった。
DF陣が堅固さを誇り、中盤も安定、FW陣も決定力の高さを見せるなど、予想外に好チームだった北アイルランドは、開催国の熱を一気に下げさせながら、2次リーグへ進出。オーストリアとは攻め合って2-2、フランスには「黄金の中盤」に守備陣が再三切り裂かれて0-4と、ベスト4進出はならなかった。
その4年後のメキシコ・ワールドカップにも北アイルランドは出場。GKパット・ジェニングスはグループリーグ最終戦で41歳の誕生日を迎え、当時の大会最年長記録を更新して話題になったが、チームはアルジェリアに引き分け、スペイン、ブラジルには力負け。印象が薄いままメキシコを去って行った。
これ以降、この国が世界の大舞台に上がることはなかった。しかし来夏、30年ぶりに沈黙は破られることになる。当時と同様、一枚岩の無名集団は、フランスで見る者に強いインパクト与えてくれるだろうか。
ところで、EUROでは予選敗退を繰り返していた北アイルランドだが、決して驚きを周囲に与えなかったわけではない。84年の(奇しくも!)フランス大会予選、彼らは2位で出場権を取り逃がしたが、首位の西ドイツには、ホーム&アウェーともに1-0の勝利を奪っているのである。