弱者に寄り添うのも須佐監督らしさだったかもしれない
須佐前監督に鍛えられた選手と、初めてのスポーツ推薦による入部者が加わった1991年は1部昇格まであと一歩の所まで迫った。翌1992年に阪南大初のJリーガーとなったMF石丸清隆(現・愛媛FC監督)とMF持山宜丈(元・浦和レッズ)が入学してから、チームは上昇気流を描き始めた。当時はJリーグ創設前でクラブチームは、全国にも数えるほどしかない時代。偏見の目も強く、枚方FC出身の石丸はサッカー選手として確かな才能を持ちながらも、「チャラチャラしていると見られていた」が、10回以上の面談を重ね、人間性を認めた須佐前監督はチームに招き入れた。
1994年には初めて1部リーグ昇格。躍進を支えた石丸は1995年には全日本大学選抜の一員として、ユニバーシアード初優勝にも貢献した。石丸の人間性は入学後も磨かれ続け、キャプテンを務めた大学4年次には、「もう監督は朝練に来なくても良い。俺らだけでやる」と言うほど自主性に長けていた。「マルがいたから、阪南大がどんなチームなのかが定まった。プロが2人出たのも大きかった」と口にする。
1994年には初めて1部リーグ昇格。躍進を支えた石丸は1995年には全日本大学選抜の一員として、ユニバーシアード初優勝にも貢献した。石丸の人間性は入学後も磨かれ続け、キャプテンを務めた大学4年次には、「もう監督は朝練に来なくても良い。俺らだけでやる」と言うほど自主性に長けていた。「マルがいたから、阪南大がどんなチームなのかが定まった。プロが2人出たのも大きかった」と口にする。
当時は受け入れ先が少なかったクラブチーム出身の石丸を入学させたのと同じように、弱者に寄りそうのも、須佐前監督らしさかもしれない。1990年代半ばまで受け入れる大学が少なかった朝鮮学校出身選手の実力を認め、FW朴永浩(元・サガン鳥栖)や現監督であるDF朴成基(元・ヴィッセル神戸)らをプロへと送り出した。また、高卒でプロに進みながら活躍出来なかったDF影山貴志(サンフレッチェ広島、セレッソ大阪でプレー)、DF南明宏(元・京都サンガF.C.)を入学させ、サッカー選手としての再起を支えた。
彼らの活躍によって1部リーグに定着した2001年には、総理大臣杯初優勝を果たした。優勝の立役者となったのは、当時2年生だった梁勇基。能力を認める須佐前監督は、タレント揃いだった上級生と共存させるため、様々なポジションで梁をテストしていたが、慣れないポジションに悩みコンディションを落としていた。「勇基を使って欲しい」と直談判してきた仲井正剛(帝京大学可児高監督)を通じ、「監督が守備をしたら試合で使うと言っている」と伝えた所、攻守両面で活躍し、チームに欠かせない選手へとなっていた。また、親交が深かった祖母井秀隆(元・ジェフユナイテッド市原GM)を通じて、知り合いだったズデンコ・ベルデニック氏(元・ジェフユナイテッド市原監督)のサッカーを上手く取り入れたことも躍進の原動力になった。
初の日本一に輝いてからも、DF伊野波雅彦(入学1年でFC東京加入)、MF松岡亮輔(ヴィッセル神戸などでプレー)、FW西田剛(愛媛FCなどでプレー)など毎年、Jリーガーを輩出し続け、2010年代に入ってからは黄金期と言える時代を迎えた。2度目の総理大臣杯優勝を掴んだ2012年は4年生だったDF飯尾竜太朗(ブラウブリッツ秋田)、DF本多勇喜(京都サンガF.C.)の下に、MF泉澤仁(大宮アルディージャ)やDF二見宏志(V・ファーレン長崎)ら個性的な下級生がいた代。MF長澤和輝(名古屋グランパス)らを擁し、関東リーグ連覇中だった専修大学との決勝戦を真っ向勝負で制し、歓喜に湧いた。
脇坂、FW山口一真(FC町田ゼルビア)、MF重廣卓也(アビスパ福岡)を擁した2017年は歴代でもトップクラスの力を持つ年。高校時代は無名の存在ながら、彼らに刺激を受けて力を付けていったDF藤原奏哉(アルビレックス新潟)のような選手もいた。悲願のインカレ制覇も期待されたが、怪我人が多くベストメンバーが組めたのはごくわずかで、関西学生サッカー選手権での優勝のみに終わった。以降はタイトルに恵まれなかったが、チームを去るまでDF大野佑哉(松本山雅FC)、DF真瀬拓海(ベガルタ仙台)らJで活躍する選手を輩出し続けた。
彼らの活躍によって1部リーグに定着した2001年には、総理大臣杯初優勝を果たした。優勝の立役者となったのは、当時2年生だった梁勇基。能力を認める須佐前監督は、タレント揃いだった上級生と共存させるため、様々なポジションで梁をテストしていたが、慣れないポジションに悩みコンディションを落としていた。「勇基を使って欲しい」と直談判してきた仲井正剛(帝京大学可児高監督)を通じ、「監督が守備をしたら試合で使うと言っている」と伝えた所、攻守両面で活躍し、チームに欠かせない選手へとなっていた。また、親交が深かった祖母井秀隆(元・ジェフユナイテッド市原GM)を通じて、知り合いだったズデンコ・ベルデニック氏(元・ジェフユナイテッド市原監督)のサッカーを上手く取り入れたことも躍進の原動力になった。
初の日本一に輝いてからも、DF伊野波雅彦(入学1年でFC東京加入)、MF松岡亮輔(ヴィッセル神戸などでプレー)、FW西田剛(愛媛FCなどでプレー)など毎年、Jリーガーを輩出し続け、2010年代に入ってからは黄金期と言える時代を迎えた。2度目の総理大臣杯優勝を掴んだ2012年は4年生だったDF飯尾竜太朗(ブラウブリッツ秋田)、DF本多勇喜(京都サンガF.C.)の下に、MF泉澤仁(大宮アルディージャ)やDF二見宏志(V・ファーレン長崎)ら個性的な下級生がいた代。MF長澤和輝(名古屋グランパス)らを擁し、関東リーグ連覇中だった専修大学との決勝戦を真っ向勝負で制し、歓喜に湧いた。
脇坂、FW山口一真(FC町田ゼルビア)、MF重廣卓也(アビスパ福岡)を擁した2017年は歴代でもトップクラスの力を持つ年。高校時代は無名の存在ながら、彼らに刺激を受けて力を付けていったDF藤原奏哉(アルビレックス新潟)のような選手もいた。悲願のインカレ制覇も期待されたが、怪我人が多くベストメンバーが組めたのはごくわずかで、関西学生サッカー選手権での優勝のみに終わった。以降はタイトルに恵まれなかったが、チームを去るまでDF大野佑哉(松本山雅FC)、DF真瀬拓海(ベガルタ仙台)らJで活躍する選手を輩出し続けた。