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なぜ内田篤人はシャルケで愛されたのか? 地元紙番記者が回想「ウッシー、ラウール、フンテラールは特別な存在」【現地発】

カテゴリ:メガクラブ

オリバー・ミュラー

2020年08月28日

シャルカーが涙して惜別のセレモニー

多くファンから愛された内田。その理由を現地記者が語った。 (C) Getty Images

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 シャルケで約7年間プレーした内田篤人は、この歴史あるクラブにおいて今も忘れられていない。それは彼のプレースタイルと人柄によるところが大きい。いずれもルール地方の“スタイル”にマッチしたからである。

 2017年9月10日、多くのシャルカー(熱烈なシャルケ・ファン)が涙を流した。その数週間前にウニオン・ベルリン(当時2部)へ移籍した内田篤人が、別れの挨拶をしようと、再びシャルケの本拠地フェルティンス・アレーナに姿を見せたからだ。

 大観衆の前でマイクを持った内田は、少し苦労しつつも、ファンたちにドイツ語で語りかけた。

「僕は7年間、シャルカーでした。それは僕にとって、人生で最も素晴らしい思い出の一つです。辛かった時も、あなたたちがいつも僕の味方となり、応援してくれました。僕のハートはこれからもずっと、シャルケのために鼓動し続けるでしょう」

 最後は「グリュックアウフ!」(幸運を祈るという意味。シャルケのスローガン)と炭鉱労働者の言葉で締めくくられたそのスピーチに、満員御礼のアレーナは拍手喝采。そして、北側スタンドに陣取る最も熱狂的なサポーターたちは、数分間に渡って、「ウッシーダ、オー、オー、オー!」とチャントを合唱した。
 
 この送別セレモニーは、2010年の夏に鹿島アントラーズからルール地方へやってきた日本人サイドバックが、ただの選手ではなく、シャルカーたちのハートを掴んだ男であることを改めて示した瞬間でもあった。

 内田は、ルール地方のファンたちが名誉やタイトルよりも高く評価する「ハードワーク」を体現する、特別な選手だった。当時のクレメンス・トゥニエス会長もこう賛辞を送っている。

「自分のことをケーニッヒスブラウ(王様の青:シャルケのチームカラー)のサムライだと言っていたが、その通りのプレーをし、いつも最後まで戦ってくれた。心からありがとうと言いたい」

 この言葉だけで、シャルカーたちが、内田があれほど愛された理由がわかるだろう。彼は多くのファンに、「特別なクラブのためにプレーして戦っていることを心得ている」と感じさせた選手だった。
 
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