マドリーからの接触は「でたらめ」かと
この選手がレアル・マドリーのユニホームを着ていたことをご記憶の方は、多くないかもしれない。
2009年1月から半年間だけレンタルで在籍していたジュリアン・フォベールだ。その元フランス代表DFが、キャリアを振り返った米メディア『The Athletic』のインタビューをスペイン紙『Marca』が掲載している。
当時ウェストハムでプレーしていたフォベールは、最初にマドリーから接触があった際、ジョークだと思ったという。
「フルアム戦の前にあるフランス人男性から電話が合って、『レアル・マドリーへの移籍について話したい』と言われたんだ。僕は『重要な試合の前だから、そんなでたらめに付き合ってる暇はない』と切ってしまってね」
試合後、切っていた携帯電話の電源を入れると、30通のメールと50のボイスメッセージが。ようやく事の重大さに気付いたフォベールは代理人に連絡。後日、マドリーの関係者と、ヒースロー空港近くのホテルで会うことになったという。
「移籍市場の最終日に、ホテルで交渉したんだ。取引が完了して、荷物を取りにクラブハウスに行くと、チームメイトの何人かが笑っていたんだ。『ジュリアン、お前はどこに行くのか知っているのか?あの“クソみたいな”レアル・マドリーだぞ』ってね。
マーク・ノーブルが僕を無視していたから、『何が問題なんだ?』って聞いたら、『ジュリアン、君と話すことはできないよ。だってマドリーのプレーヤーだから、雲の上の存在だ』って。いろいろ冗談を言い合ったよ(笑)」
2009年1月から半年間だけレンタルで在籍していたジュリアン・フォベールだ。その元フランス代表DFが、キャリアを振り返った米メディア『The Athletic』のインタビューをスペイン紙『Marca』が掲載している。
当時ウェストハムでプレーしていたフォベールは、最初にマドリーから接触があった際、ジョークだと思ったという。
「フルアム戦の前にあるフランス人男性から電話が合って、『レアル・マドリーへの移籍について話したい』と言われたんだ。僕は『重要な試合の前だから、そんなでたらめに付き合ってる暇はない』と切ってしまってね」
試合後、切っていた携帯電話の電源を入れると、30通のメールと50のボイスメッセージが。ようやく事の重大さに気付いたフォベールは代理人に連絡。後日、マドリーの関係者と、ヒースロー空港近くのホテルで会うことになったという。
「移籍市場の最終日に、ホテルで交渉したんだ。取引が完了して、荷物を取りにクラブハウスに行くと、チームメイトの何人かが笑っていたんだ。『ジュリアン、お前はどこに行くのか知っているのか?あの“クソみたいな”レアル・マドリーだぞ』ってね。
マーク・ノーブルが僕を無視していたから、『何が問題なんだ?』って聞いたら、『ジュリアン、君と話すことはできないよ。だってマドリーのプレーヤーだから、雲の上の存在だ』って。いろいろ冗談を言い合ったよ(笑)」
こうしてマドリーにレンタル移籍を果たしたものの、現実は甘くなかった。ファンデ・ラモス監督の下で与えられたチャンスは半年間で2試合のみ。ともに途中交代で、合わせてたった54分間だった。
そして、悪名高い「居眠り事件」についても弁解している。
「ビジャレアルに負けた試合で、僕は30秒ぐらい目を閉じていたんだ。そしたら、マスコミが『出番がないことに腹を立てて眠っていた』と書き立ててね。どこにカメラがあるか分からない。その経験から多くのことを学んだよ」
結局、半年でマドリーからレンタルバックされたフォベールは、12年までウェストハムでプレー。その後は、トルコ、フランス、フィンランドなどを渡り歩き、36歳となった現在はフランスの4部リーグでプレーしている。
そして、悪名高い「居眠り事件」についても弁解している。
「ビジャレアルに負けた試合で、僕は30秒ぐらい目を閉じていたんだ。そしたら、マスコミが『出番がないことに腹を立てて眠っていた』と書き立ててね。どこにカメラがあるか分からない。その経験から多くのことを学んだよ」
結局、半年でマドリーからレンタルバックされたフォベールは、12年までウェストハムでプレー。その後は、トルコ、フランス、フィンランドなどを渡り歩き、36歳となった現在はフランスの4部リーグでプレーしている。