レジェンドの軌跡 THE LEGEND STORY――第57回・ヤシン(元ソ連代表)

カテゴリ:ワールド

サッカーダイジェストWeb編集部

2020年02月08日

プレーと人間性で世界からの尊敬を集めた革新的GK

相手の攻撃選手に自信を失わせるほどの好守を連発し、PK阻止はキャリアを通じて150回に達したという。足技にも長けており、まさに現代GKの先駆け的存在だった。余談だが、62年の来日時には日本選抜とも対戦して2-2の引き分け。ヤシンの牙城を破ったのは、前日に結婚式を挙げたばかりの、あの川淵三郎氏だった。 (C) Getty Images

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 本誌ワールドサッカーダイジェストと大人気サッカーアプリゲーム・ポケサカとのコラボで毎月お送りしている「レジェンドの言魂」では、サッカー史を彩った偉大なるスーパースターが、自身の栄光に満ちたキャリアを回想しながら、現在のサッカー界にも貴重なアドバイスと激励を送っている。

 さて今回、サッカーダイジェストWebに登場するのは、長い手足や跳躍力による完璧なセービング技術、優れた洞察力、守備範囲の広さで、20世紀最高のGKと呼ばれた、「黒クモ」ことレフ・ヤシンだ。

 ゴールの番人としてのハイレベルなプレーだけでなく、あらゆる困難を乗り越えた強い精神力、無欲かつ謙虚な人間性などによって、世界中から尊敬を集めた偉人の軌跡を、ここで振り返ってみよう。

――◇――◇――

 1929年10月22日、ソビエト連邦(当時)の首都モスクワに生まれたレフ・イワノビッチ・ヤシン。少年時代から身体が大きく、友人から「エッフェル塔」と呼ばれた彼は、父親の勧めもあって、様々なスポーツを経験した。

 アイスホッケー、サッカー、バレー、体操、水泳、陸上……なかでも、アイスホッケーのGKとしての資質は群を抜いたものであったが、11年に始まった第二次世界大戦により、高いレベルでプレーするチャンスはしばらくお預けとなった。

 14歳からモスクワ郊外の工場で働いていた47年、ディナモ・モスクワのアイスホッケー部に入団するも、ヤシンは徐々にサッカーへの思いを強めていく。優れた守備力を有する彼にとって、「アイスホッケーのゴールは狭すぎる」(本人談)からであり、またディナモのサッカー部門の国内外における活躍ぶりに憧れたからでもあった。

 49年、サッカー部門にも属し、二足のわらじを履くようになったが、サッカーではアレクセイ・ホミッチという偉大な正GKからポジションを奪うことができず、51年にトップチームでデビューを飾るも、その後はベンチを温める日々が続いた。

 53年にはサッカーを断念することも考えたが(アイスホッケー部のコーチはそれを強く勧めた)、彼を思いとどまらせたのは、ヤシンを後継者と考えるホミッチだった。偉大な先輩の説得を受けて猛練習を継続したヤシンは、間もなくしてホミッチの怪我で出場機会を得ると、ついにレギュラーポジションを獲得する。

「サッカーこそが私のスポーツ」と語り、ストイックに技術の向上に励み続けたヤシン。190センチに達する上杖、同身長の人間と比べても明らかに長い腕と足、グローブのように大きな手、そして跳躍力、敏捷性と、身体能力と運動能力に恵まれた彼は、至近距離でのシュート練習を繰り返すことで、抜群のセービング能力を身につけていた。

 本当はGKよりもフィールドプレーヤーになりたかったというだけに、足技も得意であり、それがプレーエリアを広くした。50年代当時のGKといえば、ゴール前だけを守るのが普通だったが、ヤシンはペナルティーエリア全体をカバーするだけでなく、状況に応じてそこからも飛び出していったのだ。

「ボールをしっかりキャッチして味方の攻撃に繋げること」がGKの仕事と心得、シュートを弾き出すことすら“敗北”と捉えるほどの完璧主義者&理想主義者ぶり、そして「技術や身体能力は二の次。とにかく絶対にボールを止めるという強い意志こそが大事」という精神力の強さが、彼をトップクラスのGKに押し上げた。

 その革新的なプレースタイルにより、ヤシンはディナモ在籍中に戦った326試合のうち160試合で相手にゴールを許さなかった。そして多くの勝利に貢献した結果、チームにリーグ5回、リーグカップ3回のタイトルをもたらしている。

 ソ連ナンバーワンの守護神が世界でその名を轟かせたのは、ひとつは代表選手としての数々の大舞台での活躍があったが、それと同様に、スターが勢揃いする華やかなオールスターマッチで華麗な技を披露したことも大きかったと言えよう。

 なかでもイングランド・サッカー協会が創設100周年を迎えた63年、ウェンブリーで行なわれた記念試合では、世界選抜の一員としてイングランド代表の名手たちのシュートを全て止めたことで、ヤシンの存在は観客たちの心に深く刻み込まれた。

 黒いユニホームと、手足の長さから「黒クモ」「黒豹」、英国では「黒タコ」と呼ばれたヤシンはこの年、ルイジ・リーバ、ジミー・グリーブスといった伝説的な攻撃的選手を抑え、ソ連人として初、そしてGKとしては今なお唯一のバロンドール受賞者となった。

 東西冷戦の真っただ中にあった時代にもかかわらず、ヤシンは世界を区切っていた「鉄のカーテン」を幾度も越え、その技術でファンを魅了するだけでなく、真面目ながらもユーモア溢れる明るい人柄で、西側のスター選手たちとも友好を深めていった。

 ちなみに62年には、ディナモの一員として「三国対抗国際サッカー大会」に参加するために来日し、日本代表(3-2で勝利)の他、スウェーデン代表(0-0)とも対戦。この試合は、日本における初の欧州勢同士の対戦ということもあり、会場となった後楽園競輪場に3万人の観衆を集め、ヤシンは世界最高レベルのプレーを存分に披露している。

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