坪井が花束を持って現われると涙が溢れた
浦和レッズのDF平川忠亮は、今季限りでの引退を表明して迎えた12月1日のJ1最終節、FC東京戦で89分から出場し、チームも3-2で勝利。J1通算336試合目の出場で有終の美を飾った。
試合が80分を過ぎたころ、3-1で浦和がリードしていたなかで埼玉スタジアムに大きな平川コールが鳴り響いた。浦和サポーターの要求は、もちろん平川の交代出場。81分に長澤和輝を2人目の交代としてピッチに送り込んだオズワルド・オリヴェイラ監督は、残り5分を切ったところでウォームアップエリアに声を掛けた。
そこでスタンバイしたのは背番号14の男。オリヴェイラ監督は平川と抱擁し、「出番だぞ、幸運を祈る」と声を掛けてピッチに送り込む準備をした。直後に前田遼一にゴールを許して不穏な空気になったが、89分にピッチに入った平川は冷静にクロスを処理し、慣れ親しんだ右サイドで相手と競り勝ってボールをものにするなど、チームの勝利に必要なプレーを見せて試合を終えた。
試合が80分を過ぎたころ、3-1で浦和がリードしていたなかで埼玉スタジアムに大きな平川コールが鳴り響いた。浦和サポーターの要求は、もちろん平川の交代出場。81分に長澤和輝を2人目の交代としてピッチに送り込んだオズワルド・オリヴェイラ監督は、残り5分を切ったところでウォームアップエリアに声を掛けた。
そこでスタンバイしたのは背番号14の男。オリヴェイラ監督は平川と抱擁し、「出番だぞ、幸運を祈る」と声を掛けてピッチに送り込む準備をした。直後に前田遼一にゴールを許して不穏な空気になったが、89分にピッチに入った平川は冷静にクロスを処理し、慣れ親しんだ右サイドで相手と競り勝ってボールをものにするなど、チームの勝利に必要なプレーを見せて試合を終えた。
試合後のセレモニーでは、いつもどおりの冷静かつ聞きやすいテンポの明確な言葉で話す姿があった。筑波大を卒業して2002年に浦和に入団すると、17年間に渡って数々のタイトルを勝ち取ったが、11年には副キャプテンとして残留争いに巻き込まれ、当時の主将だった鈴木啓太と「何度も一緒に話し合って。それでもうまくいかない」という苦しい思いもした。そうしたキャリアに、歴代のチームメートやファン・サポーター、指導者やスタッフに至るまでに感謝の言葉を尽くしていった。
そんな平川も、浦和に同じ大卒組として同期入団し、現在はレノファ山口に所属の坪井慶介が花束を持って浦和の14番のユニホームで現われると涙があふれた。彼の言葉では、入団当時のハンス・オフト監督に指導を受け「寮にいてツボと同じ生活リズムなのに僕だけ怒られてね」という盟友であり、浦和でのキャリアをともに歩んだ男だった。そして、現在は浦和のスタッフになっている大卒で同期入団の堀之内聖さんの姿もピッチ脇にあった。
そんな平川も、浦和に同じ大卒組として同期入団し、現在はレノファ山口に所属の坪井慶介が花束を持って浦和の14番のユニホームで現われると涙があふれた。彼の言葉では、入団当時のハンス・オフト監督に指導を受け「寮にいてツボと同じ生活リズムなのに僕だけ怒られてね」という盟友であり、浦和でのキャリアをともに歩んだ男だった。そして、現在は浦和のスタッフになっている大卒で同期入団の堀之内聖さんの姿もピッチ脇にあった。