「選手が主役」というサッカー観。

近年はチリ代表やセビージャで、前アルゼンチン代表監督であるホルヘ・サンパオリ(右)のアシスタントコーチも務めていたリージョ(左)。イニエスタ信奉者のひとりである指揮官は、神戸でどんなサッカーを見せるのか。(C)Rafa HUERTA
ヴィッセル神戸を新たに率いることになったスペイン人監督、ファン・マヌエル・リージョは、ひと言で言えば信念の人だ。
目先の成果を追い求める結果主義が横行する昨今のサッカー界においては、リスクを恐れずにチャレンジし続ける「ロマンチスト」として位置付けられる。
もっとも、なににも増して美学を最優先しているわけではない。ポゼッション重視のサッカーに強くこだわるのは、「プロセスを積み上げることが結果に繋がる」という考え方のもと、闇雲にボールを放り込むより局面局面で数的優位を作りながら理詰めで攻めたほうがゴールは生まれる(=勝利する)可能性が高いと、ロジカルに判断した結果である。
そのための研究も欠かさない。サッカーはもちろん、哲学書、小説などありとあらゆるジャンルの本を読み漁り、ジョゼップ・グアルディオラをはじめ影響を与えた人物も少なくない。
ただ近年は、監督としてよりも戦術家としてのイメージが先行していた感は否めない。事実、29歳の時にサラマンカの監督として颯爽とラ・リーガ1部デビューを飾ったが、その後は大した実績を上げることができていない。
2009年にアルメリアの監督に招聘され、10年近くのブランクを経てラ・リーガ1部に復帰したものの、翌年に解任。海外ではミジョナリオス、アトレティコ・ナシオナルというコロンビアの名門2チームを率いたが、挑発的な発言ばかりがクローズアップされ、結果を残すことはできなかった。
そうした実績の不足も災いし、その饒舌ぶりが批判の対象にもなる一方で、現場では情熱的な指導が高い評価を受けてきた。
「サッカー選手としてだけでなく、人間としてたくさんのことを教わった」。アルメリア時代に指導を受けたアルゼンチン代表FWのパブロ・ピアッティ(現エスパニョール)はこう感謝の言葉を述べる。
しかも興味深いのは、リージョ自身はこの「選手に教える」という表現を嫌悪し、あくまでサポートという立場から指導することをモットーにしている点だ。
これはあくまでも「選手が主役」というサッカー観に根差したものであり、したがって大げさにベンチでゴールを喜ぶようなこともしなければ、無闇にベンチを離れて指示を出すこともしない。
唯一の例外は、アルメリアの監督解任の引き金にもなったグアルディオラ率いるバルサにホームで0‐8の大敗を喫した試合だ。チームが醜態を晒す中、ベンチの前で長時間立ち尽くしていたが、あれは惨敗の責任を取る彼なりの行為であった。
日本でもリージョは、強い信念を持って監督業に取り組むだろう。
「彼がピッチでプレーする姿を見るのが人生の最大の喜びのひとつ」
何年も前からそう語っていたアンドレス・イニエスタをパートナーに得て、母国スペインでやり遂げることができなかったみずからが理想として思い描くサッカーの実現のために、力の限りを尽くすはずだ。
リージョにとってヴィッセル神戸の指揮官就任は、みずからの能力を誇示するリベンジの場であり、長く温めてきた監督哲学を披露する集大成の場と言えるかもしれない。
文●下村正幸
2009年にアルメリアの監督に招聘され、10年近くのブランクを経てラ・リーガ1部に復帰したものの、翌年に解任。海外ではミジョナリオス、アトレティコ・ナシオナルというコロンビアの名門2チームを率いたが、挑発的な発言ばかりがクローズアップされ、結果を残すことはできなかった。
そうした実績の不足も災いし、その饒舌ぶりが批判の対象にもなる一方で、現場では情熱的な指導が高い評価を受けてきた。
「サッカー選手としてだけでなく、人間としてたくさんのことを教わった」。アルメリア時代に指導を受けたアルゼンチン代表FWのパブロ・ピアッティ(現エスパニョール)はこう感謝の言葉を述べる。
しかも興味深いのは、リージョ自身はこの「選手に教える」という表現を嫌悪し、あくまでサポートという立場から指導することをモットーにしている点だ。
これはあくまでも「選手が主役」というサッカー観に根差したものであり、したがって大げさにベンチでゴールを喜ぶようなこともしなければ、無闇にベンチを離れて指示を出すこともしない。
唯一の例外は、アルメリアの監督解任の引き金にもなったグアルディオラ率いるバルサにホームで0‐8の大敗を喫した試合だ。チームが醜態を晒す中、ベンチの前で長時間立ち尽くしていたが、あれは惨敗の責任を取る彼なりの行為であった。
日本でもリージョは、強い信念を持って監督業に取り組むだろう。
「彼がピッチでプレーする姿を見るのが人生の最大の喜びのひとつ」
何年も前からそう語っていたアンドレス・イニエスタをパートナーに得て、母国スペインでやり遂げることができなかったみずからが理想として思い描くサッカーの実現のために、力の限りを尽くすはずだ。
リージョにとってヴィッセル神戸の指揮官就任は、みずからの能力を誇示するリベンジの場であり、長く温めてきた監督哲学を披露する集大成の場と言えるかもしれない。
文●下村正幸