第二次大戦前には再試合にもつれ込む激闘をW杯、五輪で展開。
9月4日より、2018年ロシア・ワールドカップの欧州予選がスタートし、各国は13枚しかない本大会行きチケットを手に入れるため、来年10月までの長丁場の戦いに、その身を投じた。
6か国ずつ9グループに分かれ、それぞれの首位チーム、および2位チームの成績上位8チームによるプレーオフの勝者が本大会に駒を進めることになる。
各グループで多くの興味深い対決が実現することとなったが、なかでも注目を集めている組み合わせのひとつが、グループGのスペインとイタリアだ。
今夏のEURO2016でも激戦を繰り広げた両国が、W杯、EUROといったビッグイベントの予選で顔を合わせるのは初めてであり、その意味でも歴史的なカードと言える。
スペインはフレン・ロペテギ、イタリアはジャンピエロ・ベントゥーラと、ともに新たな指揮官を迎えた両国は、まず10月6日(現地時間)に、イタリア・トリノのユベントス・スタジアムで最初の対決に臨むこととなる。
おそらくは首位攻防戦となるであろう、この注目の戦いを前に、これまで世界のサッカー界で主役として君臨してきた2か国の激突の歴史を、ここで振り返ってみたい。
――◇――◇――
これまで、スペインとイタリアはあらゆるコンペティションにおいて35回対決し、成績はスペインの10勝14分け11敗。ほぼ五分と言っていいだろう。
そのうち、公式戦で両国の対決が実現したのは14回。最初はオリンピックで、1920年のアントワープ大会の2回戦だった。
現在のリーガ・エスパニョーラで、個人賞の名称にその名が使われているGKリカルド・サモラ、FWピチーチを擁したスペインとイタリアは2回戦で顔を合わせ、フェリックス・セスマガの2得点で前者が勝利。スペインはこの大会、銀メダルを受賞している。
4年後のパリ大会でも1回戦で両国は対戦し、この時はイタリアが1-0で雪辱。さらに次のアムステルダム大会では、準々決勝でこのカードが実現した。
イタリアには、GKジャンピエロ・コンビ、FWアンジェロ・スキアビオ、フルビオ・ベルナルディーニといった、後にW杯でも活躍する歴史的な名手が顔を揃えていたが、試合は延長戦の末に1-1。しかし3日後の再試合では攻撃力が爆発して7-1と圧勝し、3位入賞を果たした。
五輪での対戦は現時点でこれが最後であり、両国の対決の舞台はこの後、W杯に移っていく。
最初の対峙は、1934年の第2回大会。開催国として時のムッソリーニ政権から優勝を義務付けられたイタリアは、再び準々決勝でスペインと遭遇し、6年前同様に激戦を展開した。
先制したのがスペインというのも、イタリアが追い付いて延長戦突入、そして決着つかず再試合というのも、6年前と同じ。そして翌日の再試合でイタリアが勝ったのも、である。ただ今回は接戦で、唯一のゴールを挙げたのは、ジュゼッペ・メアッツァだった。
この勝利の後、イタリアは準決勝でオーストリア、決勝でチェコスロバキアを破って初の世界制覇を果たし、さらに4年後のフランス大会で連覇の偉業を成し遂げたのである。
この第二次世界大戦前の対峙から、W杯での次なる戦いまでには、実に60年を擁した。94年アメリカ大会、準々決勝である。
試合は前半にディノ・バッジョのミドルシュートで動くが、スペインは後半にカミネロが同点とする。そして試合終了2分前、ジュゼッペ・シニョーリのスルーパスを受け、GKアンドニ・スビサレータをかわしてゴールを決めたのは、稀代のファンタジスタ、ロベルト・バッジョだった。
ちなみにこの試合の終盤、現バルセロナ監督のルイス・エンリケが、イタリアのマウロ・タソッティに肘打ちを食らって流血。長期出場停止処分を受けたミランの名DFにとって、この試合が代表ラストゲームとなった。
6か国ずつ9グループに分かれ、それぞれの首位チーム、および2位チームの成績上位8チームによるプレーオフの勝者が本大会に駒を進めることになる。
各グループで多くの興味深い対決が実現することとなったが、なかでも注目を集めている組み合わせのひとつが、グループGのスペインとイタリアだ。
今夏のEURO2016でも激戦を繰り広げた両国が、W杯、EUROといったビッグイベントの予選で顔を合わせるのは初めてであり、その意味でも歴史的なカードと言える。
スペインはフレン・ロペテギ、イタリアはジャンピエロ・ベントゥーラと、ともに新たな指揮官を迎えた両国は、まず10月6日(現地時間)に、イタリア・トリノのユベントス・スタジアムで最初の対決に臨むこととなる。
おそらくは首位攻防戦となるであろう、この注目の戦いを前に、これまで世界のサッカー界で主役として君臨してきた2か国の激突の歴史を、ここで振り返ってみたい。
――◇――◇――
これまで、スペインとイタリアはあらゆるコンペティションにおいて35回対決し、成績はスペインの10勝14分け11敗。ほぼ五分と言っていいだろう。
そのうち、公式戦で両国の対決が実現したのは14回。最初はオリンピックで、1920年のアントワープ大会の2回戦だった。
現在のリーガ・エスパニョーラで、個人賞の名称にその名が使われているGKリカルド・サモラ、FWピチーチを擁したスペインとイタリアは2回戦で顔を合わせ、フェリックス・セスマガの2得点で前者が勝利。スペインはこの大会、銀メダルを受賞している。
4年後のパリ大会でも1回戦で両国は対戦し、この時はイタリアが1-0で雪辱。さらに次のアムステルダム大会では、準々決勝でこのカードが実現した。
イタリアには、GKジャンピエロ・コンビ、FWアンジェロ・スキアビオ、フルビオ・ベルナルディーニといった、後にW杯でも活躍する歴史的な名手が顔を揃えていたが、試合は延長戦の末に1-1。しかし3日後の再試合では攻撃力が爆発して7-1と圧勝し、3位入賞を果たした。
五輪での対戦は現時点でこれが最後であり、両国の対決の舞台はこの後、W杯に移っていく。
最初の対峙は、1934年の第2回大会。開催国として時のムッソリーニ政権から優勝を義務付けられたイタリアは、再び準々決勝でスペインと遭遇し、6年前同様に激戦を展開した。
先制したのがスペインというのも、イタリアが追い付いて延長戦突入、そして決着つかず再試合というのも、6年前と同じ。そして翌日の再試合でイタリアが勝ったのも、である。ただ今回は接戦で、唯一のゴールを挙げたのは、ジュゼッペ・メアッツァだった。
この勝利の後、イタリアは準決勝でオーストリア、決勝でチェコスロバキアを破って初の世界制覇を果たし、さらに4年後のフランス大会で連覇の偉業を成し遂げたのである。
この第二次世界大戦前の対峙から、W杯での次なる戦いまでには、実に60年を擁した。94年アメリカ大会、準々決勝である。
試合は前半にディノ・バッジョのミドルシュートで動くが、スペインは後半にカミネロが同点とする。そして試合終了2分前、ジュゼッペ・シニョーリのスルーパスを受け、GKアンドニ・スビサレータをかわしてゴールを決めたのは、稀代のファンタジスタ、ロベルト・バッジョだった。
ちなみにこの試合の終盤、現バルセロナ監督のルイス・エンリケが、イタリアのマウロ・タソッティに肘打ちを食らって流血。長期出場停止処分を受けたミランの名DFにとって、この試合が代表ラストゲームとなった。