得点ランクトップの14ゴール
『静岡のタイガー軍団』東海大翔洋。昔からの高校サッカーファンからすると、東海大一高校と言えば分かるだろうか。かつて選手権で優勝1回と準優勝1回、インターハイも準優勝1回と1980年代から1990年代初頭にかけて全国を席巻。大嶽直人、三渡洲アデミール、内藤直樹、澤登正朗、田坂和昭、森島寛晃、服部年宏、伊東輝悦、松原良香ら錚々たる名手を輩出してきた。
1999年に東海大学工業高校と合併して、東海大翔洋に校名変更になってからは、鈴木啓太など複数のJリーガーを輩出し、2014年度のインターハイに出場したが、それ以降は全国から遠ざかっている。
だが、2018年に就任した太田恒治監督のもと、2020年度の選手権予選では翔洋になってから初の決勝に進出(藤枝明誠に0-3の敗戦)。今年は、3年前には県Bリーグ(2部リーグ)にいた状況から悲願のプリンスリーグ東海に初昇格を果たし、着実に名門復活に向けて階段を登りつつある。
そしてプリンス1年目、チームは第13節を終えて4位と好位置につけている。この快進撃の中心にいるのが、背番号9のエースストライカー釜下諒だ。1トップとしてポストプレーに優れ、多彩なゴールへのアプローチを持つ彼は現在、14ゴールをマークしてプリンス東海の得点ランキング1位をひた走っている。
直近の第13節・藤枝東戦でも、1-1で迎えた前半アディショナルタイムに、左サイドを突破したMF堀開貴の折り返しに、ニアサイドでダイビングヘッド。ゴール左隅に流し込んで見せた。
チームは後半アディショナルタイムに追いつかれ、ドロー決着に終わったが、常に前線でゴールを狙い続けている釜下の存在感は絶大だった。
1999年に東海大学工業高校と合併して、東海大翔洋に校名変更になってからは、鈴木啓太など複数のJリーガーを輩出し、2014年度のインターハイに出場したが、それ以降は全国から遠ざかっている。
だが、2018年に就任した太田恒治監督のもと、2020年度の選手権予選では翔洋になってから初の決勝に進出(藤枝明誠に0-3の敗戦)。今年は、3年前には県Bリーグ(2部リーグ)にいた状況から悲願のプリンスリーグ東海に初昇格を果たし、着実に名門復活に向けて階段を登りつつある。
そしてプリンス1年目、チームは第13節を終えて4位と好位置につけている。この快進撃の中心にいるのが、背番号9のエースストライカー釜下諒だ。1トップとしてポストプレーに優れ、多彩なゴールへのアプローチを持つ彼は現在、14ゴールをマークしてプリンス東海の得点ランキング1位をひた走っている。
直近の第13節・藤枝東戦でも、1-1で迎えた前半アディショナルタイムに、左サイドを突破したMF堀開貴の折り返しに、ニアサイドでダイビングヘッド。ゴール左隅に流し込んで見せた。
チームは後半アディショナルタイムに追いつかれ、ドロー決着に終わったが、常に前線でゴールを狙い続けている釜下の存在感は絶大だった。
「昨年は途中出場が多かったのですが、ずっとスタメンで出ていた原田十和(現・常葉大)さんがボールを前線で収めることで、チームに前向きのパワーが生まれていたので、僕もそれをやれる選手にならないと、と思って、原田さんから学んだり、練習から意識したりしていました」
もともとゴールへの嗅覚が鋭く、左右両足、頭でも得点できる攻撃センスを持っていた。そしてポストプレーや周りを活かすプレーを磨いたことで、エースストライカーとなった今年はこれまで頭で5ゴール、残りのゴールは両足で決めており、無双状態に突入している。
「(藤枝東戦の)あのゴールはもう気持ちです。ニアに飛び込んだ時に来たボールが低かったんですが、僕も持ち味はどこでもいいから泥臭く点を取ることで、とっさに『決めるには頭しかない』と思って迷わず飛び込みました」
研ぎ澄まされる本能。これから始まる選手権予選で11年ぶりの全国出場、実に1987年度以来となる38年ぶり3度目の選手権出場に向けて、釜下の活躍は必要不可欠となる。
「正直、翔洋がここまで伝統があるチームだとは知りませんでした」
彼がこの学校を選んだのは、太田監督がやっているサッカーと、人工芝ピッチ、サッカー部専用の筋トレルームなど、いろいろな環境が整っているからだという。だが、入ってみると、自分が背負うエンブレムの重さに気付くようになった。
「入部してから、かつて全国優勝をしていたとか、多くの名選手を輩出していたとか、そういう伝統がたくさんあると聞きました。特に同級生に(伊東輝悦氏の息子である)昊輝がいて、よくお父さんから東海大一の話を聞いているので、昊輝から伝え聞くこともたくさんあります。
練習場に行く時も、たまに三渡洲アデミールさんにお会いすることがあって、『今年はどう?』とか、かなり気にかけてくださるんです。そういった話を聞けば聞くほど、『翔洋がこの立ち位置ではいけない』と思うようになりました」
もともとゴールへの嗅覚が鋭く、左右両足、頭でも得点できる攻撃センスを持っていた。そしてポストプレーや周りを活かすプレーを磨いたことで、エースストライカーとなった今年はこれまで頭で5ゴール、残りのゴールは両足で決めており、無双状態に突入している。
「(藤枝東戦の)あのゴールはもう気持ちです。ニアに飛び込んだ時に来たボールが低かったんですが、僕も持ち味はどこでもいいから泥臭く点を取ることで、とっさに『決めるには頭しかない』と思って迷わず飛び込みました」
研ぎ澄まされる本能。これから始まる選手権予選で11年ぶりの全国出場、実に1987年度以来となる38年ぶり3度目の選手権出場に向けて、釜下の活躍は必要不可欠となる。
「正直、翔洋がここまで伝統があるチームだとは知りませんでした」
彼がこの学校を選んだのは、太田監督がやっているサッカーと、人工芝ピッチ、サッカー部専用の筋トレルームなど、いろいろな環境が整っているからだという。だが、入ってみると、自分が背負うエンブレムの重さに気付くようになった。
「入部してから、かつて全国優勝をしていたとか、多くの名選手を輩出していたとか、そういう伝統がたくさんあると聞きました。特に同級生に(伊東輝悦氏の息子である)昊輝がいて、よくお父さんから東海大一の話を聞いているので、昊輝から伝え聞くこともたくさんあります。
練習場に行く時も、たまに三渡洲アデミールさんにお会いすることがあって、『今年はどう?』とか、かなり気にかけてくださるんです。そういった話を聞けば聞くほど、『翔洋がこの立ち位置ではいけない』と思うようになりました」