繋いで崩していくサッカーに共感
昨年12月28日に行なわれた第103回全国高校サッカー選手権大会の帝京vs.京都橘の開幕戦。カナリア軍団の2年生FW宮本周征は、1-0で迎えた後半12分に投入されると、同点にされた直後の同35分にスルーパスから抜け出し、決勝弾をマーク。このゴールで一気に注目の存在となると、チームは3回戦で明秀日立にPK負けを喫したが、3試合連続途中出場で2得点を記録する活躍ぶりで、U-17日本高校選抜候補にも選ばれた。
「こんなに注目されるとは思っていませんでした。選手権を経て、何かいろんなものを学びましたし、意識が大きく変わったと思います」
この変化は、何気なく背負っていた『帝京』の看板の凄みを感じるようになり、それが確信に変わったことから来るものであった。
「若い世代ではなくて、僕らの親世代の人たちが『帝京、頑張って』と声をかけてくれたり、OBの人たちも出場を喜んでくれて応援してくれたりしました。15年ぶりに帝京が選手権に帰ってきたことで、こんなにも周りの人が喜んでくれるのかと。そこからチームのジャージだったり、ユニホームだったり、胸に刻まれた『TEIKYO』の文字に重みを感じるようになりました」
帝京に進学したのは、伝統校への憧れなどではなく、しっかり繋いで崩していくサッカーに共感し、成長できると感じたからこそだった。中学3年生の時に徳島インターハイで帝京が準優勝した時も、「その時に初めて帝京が12年くらい選手権に出ていないという事実を知りました。でも、その時は『在学中に1、2回は行けるだろう』という程度の気持ちでした」と、そこまで深くは考えなかった。しかし、1年時の選手権の都大会準決勝・國學院久我山戦を見て、ある違和感を覚えた。
「横山夢樹(現・今治)さんもリーグ戦ではあれだけ凄かったのに、選手権予選になったら急に抑え込まれているというよりかは、本来のプレーを出し切れていない印象を受けました。やっぱりメンタルの部分とか、帝京という重みがあって、『帝京と選手権には言葉にできない何かがあるんだろうな』と感じました」
「こんなに注目されるとは思っていませんでした。選手権を経て、何かいろんなものを学びましたし、意識が大きく変わったと思います」
この変化は、何気なく背負っていた『帝京』の看板の凄みを感じるようになり、それが確信に変わったことから来るものであった。
「若い世代ではなくて、僕らの親世代の人たちが『帝京、頑張って』と声をかけてくれたり、OBの人たちも出場を喜んでくれて応援してくれたりしました。15年ぶりに帝京が選手権に帰ってきたことで、こんなにも周りの人が喜んでくれるのかと。そこからチームのジャージだったり、ユニホームだったり、胸に刻まれた『TEIKYO』の文字に重みを感じるようになりました」
帝京に進学したのは、伝統校への憧れなどではなく、しっかり繋いで崩していくサッカーに共感し、成長できると感じたからこそだった。中学3年生の時に徳島インターハイで帝京が準優勝した時も、「その時に初めて帝京が12年くらい選手権に出ていないという事実を知りました。でも、その時は『在学中に1、2回は行けるだろう』という程度の気持ちでした」と、そこまで深くは考えなかった。しかし、1年時の選手権の都大会準決勝・國學院久我山戦を見て、ある違和感を覚えた。
「横山夢樹(現・今治)さんもリーグ戦ではあれだけ凄かったのに、選手権予選になったら急に抑え込まれているというよりかは、本来のプレーを出し切れていない印象を受けました。やっぱりメンタルの部分とか、帝京という重みがあって、『帝京と選手権には言葉にできない何かがあるんだろうな』と感じました」
その『何か』に自分も飲み込まれた。昨年の選手権・都予選決勝、相手は同じ國學院久我山。宮本はスタメン出場すると、立ち上がりから自分が自分でないような感覚に陥った。
「コンディションが悪いわけでもないのに、思うように足が動かずに身体が重かったんです。先制された時は『やっぱり今年もダメなのか』と心にズシンと来ましたし、逆転して優勝することはできましたが、あんな感覚は初めてでした。そこで1年前の違和感の正体はそれが『帝京だから』と感じましたね」
伝統の重みという真の意味を感じ取ったことで、宮本の意識は大きく変わった。選手権では「途中交代だったのでやることが明確で、いろいろ吹っ切れた状態で入れたので、比較的伸び伸びやれました」と楽しめたが、選手権予選後、期間中に見た周りの笑顔と、最高学年を迎えることが彼の意識を大きく変えた。
「帝京はずっと選手権に出ないといけないチームだということがはっきりと分かりましたし、選手権に出るだけではダメで、勝ちを求められるチームだということも分かった。だからこそ、選手権で勝てるように逆算して、もっと日常を積み重ねないといけないと感じました」
【画像】広瀬姉妹・ガッキー・永野芽郁! 初代から最新20代目の月島琉衣まで「選手権・歴代応援マネージャー」を一挙公開!
「コンディションが悪いわけでもないのに、思うように足が動かずに身体が重かったんです。先制された時は『やっぱり今年もダメなのか』と心にズシンと来ましたし、逆転して優勝することはできましたが、あんな感覚は初めてでした。そこで1年前の違和感の正体はそれが『帝京だから』と感じましたね」
伝統の重みという真の意味を感じ取ったことで、宮本の意識は大きく変わった。選手権では「途中交代だったのでやることが明確で、いろいろ吹っ切れた状態で入れたので、比較的伸び伸びやれました」と楽しめたが、選手権予選後、期間中に見た周りの笑顔と、最高学年を迎えることが彼の意識を大きく変えた。
「帝京はずっと選手権に出ないといけないチームだということがはっきりと分かりましたし、選手権に出るだけではダメで、勝ちを求められるチームだということも分かった。だからこそ、選手権で勝てるように逆算して、もっと日常を積み重ねないといけないと感じました」
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