生まれ育ったドイツのアンダー代表でキャリアを積み重ねたが。

今シーズンは怪我に苦しんでいるエキジ。写真上は昨年のトルコ対ルクセンブルク戦。 (C) Getty Images

写真はU-20ドイツ代表時で、エキジは右から2人目。左のイルカイ・ギュンドアン(ドイツ代表&ドルトムント)とはニュルンベルクでも一緒にプレーし、非常に仲が良く、共にトルコ代表入りをすることを強く希望していたという。 (C) Getty Images
◇メフメト・エキジ:1990年3月25日生まれ ドイツ・ミュンヘン出身
ドイツ生まれのメフメト・エキジは、ウンターハッヒンク、バイエルンのユースで育成を受け、2008年プロデビューを果たしてからは、バイエルン、ニュルンベルク、ブレーメンと、ドイツのクラブを渡り歩いた。
高い技術力をベースにしたハイレベルなプレーを持ち味とする天才肌のチャンスメーカーは、07年にU-17ドイツ代表に招集され、以降は各年代の代表チームを名を連ね続けた。
しかし10年、彼はトルコ代表選手になった。ドイツとの二重国籍を有しており、また09年にFIFAが「A代表としてAマッチに出場するまでならサッカー協会の転籍が可能」とルールを改定したことにより、この“移籍”は可能になった。
トルコ代表の一員となった年、レンタル先のニュルンベルクで結果を出し、翌年にブレーメンに移籍するも、3シーズンで41試合の出場に止まったエキジは、昨シーズンよりトルコのトラブゾンスポルに新天地を求め、1年目でアシスト王となり、ベストイレブンにも選出された。
今シーズンは度重なる怪我で出場数は少なく、代表招集も昨年8月以来途絶えている。今夏の欧州選手権本大会出場は微妙な状況だが、シーズンの残りで巻き返しはなるだろうか。
さて、このエキジと同じように「ドイツ→トルコ」の代表チーム移籍を果たした選手としては、マインツで武藤嘉紀と好連係を見せるユヌス・マッリが有名だ。彼もU-17からU-21まで、ドイツの各年代で代表選手としてプレーしたが、昨年11月のカタール戦でトルコ代表としての初キャップを刻んだ。
またドイツからは数年前、ユルゲン・クリンスマンが監督を務めるアメリカ代表への“転入”が相次いだ。ジャーメイン・ジョーンズはドイツでA代表としても出場経験があるが、Aマッチではなかったために移籍が可能となり、他にはファビアン・ジョンソン、ジョン・ブルックスなど……。
ケビン=プリンス・ボアテングと弟のジェロームもアンダーのドイツ代表に選出されたが、兄は父方のルーツであるガーナ国籍を選び、一方、弟はそのままドイツ代表のキャリアを継続し、2年前には世界王者の一員となった。
フランスの場合、かつてU-21代表でプレーしたフレデリック・カヌーテが04年に両親の母国であるマリの代表チームを選んで話題になったが、最近ではサフィル・タイデルやヤシン・ブラヒミがアルジェリア代表としてワールドカップに出場している。
論争を引き起こした“移籍”といえば、ジエゴ・コスタのケースだ。アンダーではなく、ブラジルのA代表として13年に親善試合のイタリア戦、ロシア戦でプレーしたが、同年にスペイン代表入りを発表。彼を貴重な戦力と見ていたブラジルのルイス・フェリペ・スコラーリ監督を激怒させた。
なお、ブラジルのアンダー代表経験がある選手としては、イタリア代表のチアゴ・モッタ、クロアチア代表のサミールなどがいる。
他の国でも、ファン・マヌエル・イトゥルベはパラグアイでA代表まで昇格したものの、後にアルゼンチン代表選手に。変わったところでは、フランス代表でプレーしたフレデリック・ピキオンヌは、最初にマルティニークの代表選手になったが、同国がFIFA未加入のため、移籍が可能となった。
日本では、かつてヴェルディ川崎や名古屋グランパスなどでプレーした石川康が、生まれ育ったボリビアでU-15、U-17代表の経験がありながら、日本ではU-23代表、A代表としてもプレーした。
先日、ルーマニアのボトシャニから横浜F・マリノスへの移籍が決まったマルティノスは、オランダでU-16、U-17、U-18代表としてキャップを刻みながら、現在はあのパトリック・クライファート率いるキュラソー代表として3試合を戦っている。
自分のルーツへの思い、あるいは「こちらのほうが試合に出られそうだから」という計算など、代表チームを変える理由は様々だろうが、今後、こうした動きが全世界で増えることは間違いないだろう。
ドイツ生まれのメフメト・エキジは、ウンターハッヒンク、バイエルンのユースで育成を受け、2008年プロデビューを果たしてからは、バイエルン、ニュルンベルク、ブレーメンと、ドイツのクラブを渡り歩いた。
高い技術力をベースにしたハイレベルなプレーを持ち味とする天才肌のチャンスメーカーは、07年にU-17ドイツ代表に招集され、以降は各年代の代表チームを名を連ね続けた。
しかし10年、彼はトルコ代表選手になった。ドイツとの二重国籍を有しており、また09年にFIFAが「A代表としてAマッチに出場するまでならサッカー協会の転籍が可能」とルールを改定したことにより、この“移籍”は可能になった。
トルコ代表の一員となった年、レンタル先のニュルンベルクで結果を出し、翌年にブレーメンに移籍するも、3シーズンで41試合の出場に止まったエキジは、昨シーズンよりトルコのトラブゾンスポルに新天地を求め、1年目でアシスト王となり、ベストイレブンにも選出された。
今シーズンは度重なる怪我で出場数は少なく、代表招集も昨年8月以来途絶えている。今夏の欧州選手権本大会出場は微妙な状況だが、シーズンの残りで巻き返しはなるだろうか。
さて、このエキジと同じように「ドイツ→トルコ」の代表チーム移籍を果たした選手としては、マインツで武藤嘉紀と好連係を見せるユヌス・マッリが有名だ。彼もU-17からU-21まで、ドイツの各年代で代表選手としてプレーしたが、昨年11月のカタール戦でトルコ代表としての初キャップを刻んだ。
またドイツからは数年前、ユルゲン・クリンスマンが監督を務めるアメリカ代表への“転入”が相次いだ。ジャーメイン・ジョーンズはドイツでA代表としても出場経験があるが、Aマッチではなかったために移籍が可能となり、他にはファビアン・ジョンソン、ジョン・ブルックスなど……。
ケビン=プリンス・ボアテングと弟のジェロームもアンダーのドイツ代表に選出されたが、兄は父方のルーツであるガーナ国籍を選び、一方、弟はそのままドイツ代表のキャリアを継続し、2年前には世界王者の一員となった。
フランスの場合、かつてU-21代表でプレーしたフレデリック・カヌーテが04年に両親の母国であるマリの代表チームを選んで話題になったが、最近ではサフィル・タイデルやヤシン・ブラヒミがアルジェリア代表としてワールドカップに出場している。
論争を引き起こした“移籍”といえば、ジエゴ・コスタのケースだ。アンダーではなく、ブラジルのA代表として13年に親善試合のイタリア戦、ロシア戦でプレーしたが、同年にスペイン代表入りを発表。彼を貴重な戦力と見ていたブラジルのルイス・フェリペ・スコラーリ監督を激怒させた。
なお、ブラジルのアンダー代表経験がある選手としては、イタリア代表のチアゴ・モッタ、クロアチア代表のサミールなどがいる。
他の国でも、ファン・マヌエル・イトゥルベはパラグアイでA代表まで昇格したものの、後にアルゼンチン代表選手に。変わったところでは、フランス代表でプレーしたフレデリック・ピキオンヌは、最初にマルティニークの代表選手になったが、同国がFIFA未加入のため、移籍が可能となった。
日本では、かつてヴェルディ川崎や名古屋グランパスなどでプレーした石川康が、生まれ育ったボリビアでU-15、U-17代表の経験がありながら、日本ではU-23代表、A代表としてもプレーした。
先日、ルーマニアのボトシャニから横浜F・マリノスへの移籍が決まったマルティノスは、オランダでU-16、U-17、U-18代表としてキャップを刻みながら、現在はあのパトリック・クライファート率いるキュラソー代表として3試合を戦っている。
自分のルーツへの思い、あるいは「こちらのほうが試合に出られそうだから」という計算など、代表チームを変える理由は様々だろうが、今後、こうした動きが全世界で増えることは間違いないだろう。