YOKOHAMA FC FRIENDS 対 J-DREAMS
横浜FCは10月10日、中村俊輔の引退試合開催を発表した。
昨季限りで現役を退き、今季から横浜FCでコーチを務め、指導者のキャリアをスタートさせた稀代のファンタジスタがピッチに戻る。
引退試合『SHUNSUKE NAKAMURA FAREWELL MATCH』は12月17日に、ニッパツ三ツ沢球技場で開催。キックオフは14時。対戦カードは、YOKOHAMA FC FRIENDS 対 J-DREAMSとなる。
【PHOTO】「伝説のFK弾」も!中村俊輔のキャリアを厳選フォトで振り返る 1997~2022
昨季限りで現役を退き、今季から横浜FCでコーチを務め、指導者のキャリアをスタートさせた稀代のファンタジスタがピッチに戻る。
引退試合『SHUNSUKE NAKAMURA FAREWELL MATCH』は12月17日に、ニッパツ三ツ沢球技場で開催。キックオフは14時。対戦カードは、YOKOHAMA FC FRIENDS 対 J-DREAMSとなる。
【PHOTO】「伝説のFK弾」も!中村俊輔のキャリアを厳選フォトで振り返る 1997~2022
以下は俊輔のコメント。
「この度、横浜FCをはじめ、多くの方々のご協力により引退試合を開催させていただくことになりました。心より感謝申し上げます。
2022シーズンで現役生活を終え、現在は横浜FCのコーチとして、指導者の道を歩ませていただいております。これまで多くの影響を与えてくださった指導者の方々に少しでも追いつけられるよう取り組んでまいります。
現役を退き改めて感じるのが、ファン、サポーターの皆様、そして一緒に戦ってきてくれた仲間の存在の大きさです。今回の試合でファン、サポーターの皆様、そして戦友たちに再会することができ大変うれしく思います。
YOKOHAMA FC FRIENDSは、横浜FCを長きにわたり支えてくださった方々、そしてプレーを共にした戦友たちに、J-DREAMSは、日本代表として一緒に戦ってくれた戦友たちにお声がけさせていただきました。ファン、サポーターの皆様に笑顔と元気を届けられるように、全力プレーで臨ませていただきます。
また、わたしにはもう一つの楽しみがあります。それは、ニッパツ三ツ沢球技場でプレーできることです。幸せなことに、セルティックパークをはじめ、これまでたくさんの素晴らしいスタジアムで、プレーさせていただきましたが、三ツ沢はわたしにとって特別な場所です。
小学生の時に初めて日本リーグを観戦し、木村和司さん、ラモス瑠偉さんにあこがれを覚えた場所。高校生の時にみんなで力を合わせて、全国高校サッカー選手権の出場を掴み取った場所。そして、1997年4月、Jリーグに初出場した場所。Jリーグ初ゴールとなったフリーキックを決めたのもこの場所でした。
このスタジアムには数えきれないたくさんの思い出があります。引退試合を通じ、皆さんと一緒にこの場所で新たな思い出作りができたらうれしいです。三ツ沢で皆様にお会いできることを楽しみにしております」
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
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「この度、横浜FCをはじめ、多くの方々のご協力により引退試合を開催させていただくことになりました。心より感謝申し上げます。
2022シーズンで現役生活を終え、現在は横浜FCのコーチとして、指導者の道を歩ませていただいております。これまで多くの影響を与えてくださった指導者の方々に少しでも追いつけられるよう取り組んでまいります。
現役を退き改めて感じるのが、ファン、サポーターの皆様、そして一緒に戦ってきてくれた仲間の存在の大きさです。今回の試合でファン、サポーターの皆様、そして戦友たちに再会することができ大変うれしく思います。
YOKOHAMA FC FRIENDSは、横浜FCを長きにわたり支えてくださった方々、そしてプレーを共にした戦友たちに、J-DREAMSは、日本代表として一緒に戦ってくれた戦友たちにお声がけさせていただきました。ファン、サポーターの皆様に笑顔と元気を届けられるように、全力プレーで臨ませていただきます。
また、わたしにはもう一つの楽しみがあります。それは、ニッパツ三ツ沢球技場でプレーできることです。幸せなことに、セルティックパークをはじめ、これまでたくさんの素晴らしいスタジアムで、プレーさせていただきましたが、三ツ沢はわたしにとって特別な場所です。
小学生の時に初めて日本リーグを観戦し、木村和司さん、ラモス瑠偉さんにあこがれを覚えた場所。高校生の時にみんなで力を合わせて、全国高校サッカー選手権の出場を掴み取った場所。そして、1997年4月、Jリーグに初出場した場所。Jリーグ初ゴールとなったフリーキックを決めたのもこの場所でした。
このスタジアムには数えきれないたくさんの思い出があります。引退試合を通じ、皆さんと一緒にこの場所で新たな思い出作りができたらうれしいです。三ツ沢で皆様にお会いできることを楽しみにしております」
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
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