プレミアリーグのレジェンドやスターたちは、コートサイドのVIP席で観戦していた。

元ドイツ代表MFのミヒャエル・バラックは、ガールフレンドのナターシャ・タナウスと一緒に観戦 (C) Getty Images

コートサイドから試合を観戦したドログバ。試合途中のイベントでコートに招かれ、バスケットの腕前を披露した。 (C) Getty Images
先週、ロンドンでNBAのレギュラーシーズン『マジック×ラプターズ』の試合が行なわれた。
5年前から毎年開かれているNBAの国外試合は、公式戦でもあるため多方面から注目を集め、試合会場のO2アレーナには各界の有名人が顔を出していた。当然、フットボーラーたちも招待され、他のセレブに混じって白熱の試合を楽しむ姿が見られた。
過去、こうした行事に参加していたのはテレビ界のスターか政治家だったが、今は社会が変化により、様々な世界の著名人の姿が見られるようになっている。
私はフットボーラーの集団がどこに座っているのかを興味深く観察した。
ドログバ、バラックらプレミアリーグのレジェンドたちと、ロンドンに拠点を置くチェルシーのアザール、クルトワ、ズマのスタートリオは、コートサイドに用意されたVIPクラスの席で観戦していた。
彼らはタイムアウトで試合が中断するたびに中継レポーターからインタビューを受けるのだが、チェルシーの選手たちへの現地ファンの風当たりは強く、度々ヤジを浴びせられていた。それはレジェンドクラスのドログバも同様の扱いだった。
こうした興行の場で、ライバルのファンからヤジを浴びせられる選手たちを見るのは新鮮な光景だった。
私は、試合前日にラプターズの主力選手であるパトリック・パターソンと話す機会があった。
アメリカで生まれ育ち、フットボールに決して興味がなかったという彼は、コンピューターゲームの『FIFA』シリーズで遊び始めたことをきっかけにフットボールにハマり、今では「マンチェスター・シティのファンなんだ」という。
さて、会場では、いち観客だったフットボーラーたちと一般のファンが、普段以上に接する場面が見られた。交流の場がなくなった今日では珍しい光景だ。
現在の選手や監督、コーチたちは試合の警備上の都合もあり、ファンと触れあうのはわずかな時間だけだ。私が若かった時代から考えれば、選手とファンの距離感は明らかに遠くなった。高給取りの彼らが日常的に通っている場所は、一般人が入れないような店ばかりで、パブに行けば選手がビール片手に話し込む姿が見られた一昔前が懐かしいくらいだ。
私が生まれるより前の1960年代のフットボーラーたちは、労働者階級のファンたちと並びながらパブで酒を飲み、高級なブランド店にはほとんど通うことができなかった。しかし、時代は変わり、そうした光景が、現代のフットボーラーからすれば恥ずかしいものになっているのかもしれない。
選手とファンとの距離が遠くなる日々を、私は寂しく思う。
文:スティーブ・マッケンジー
翻訳:羽澄凜太郎
5年前から毎年開かれているNBAの国外試合は、公式戦でもあるため多方面から注目を集め、試合会場のO2アレーナには各界の有名人が顔を出していた。当然、フットボーラーたちも招待され、他のセレブに混じって白熱の試合を楽しむ姿が見られた。
過去、こうした行事に参加していたのはテレビ界のスターか政治家だったが、今は社会が変化により、様々な世界の著名人の姿が見られるようになっている。
私はフットボーラーの集団がどこに座っているのかを興味深く観察した。
ドログバ、バラックらプレミアリーグのレジェンドたちと、ロンドンに拠点を置くチェルシーのアザール、クルトワ、ズマのスタートリオは、コートサイドに用意されたVIPクラスの席で観戦していた。
彼らはタイムアウトで試合が中断するたびに中継レポーターからインタビューを受けるのだが、チェルシーの選手たちへの現地ファンの風当たりは強く、度々ヤジを浴びせられていた。それはレジェンドクラスのドログバも同様の扱いだった。
こうした興行の場で、ライバルのファンからヤジを浴びせられる選手たちを見るのは新鮮な光景だった。
私は、試合前日にラプターズの主力選手であるパトリック・パターソンと話す機会があった。
アメリカで生まれ育ち、フットボールに決して興味がなかったという彼は、コンピューターゲームの『FIFA』シリーズで遊び始めたことをきっかけにフットボールにハマり、今では「マンチェスター・シティのファンなんだ」という。
さて、会場では、いち観客だったフットボーラーたちと一般のファンが、普段以上に接する場面が見られた。交流の場がなくなった今日では珍しい光景だ。
現在の選手や監督、コーチたちは試合の警備上の都合もあり、ファンと触れあうのはわずかな時間だけだ。私が若かった時代から考えれば、選手とファンの距離感は明らかに遠くなった。高給取りの彼らが日常的に通っている場所は、一般人が入れないような店ばかりで、パブに行けば選手がビール片手に話し込む姿が見られた一昔前が懐かしいくらいだ。
私が生まれるより前の1960年代のフットボーラーたちは、労働者階級のファンたちと並びながらパブで酒を飲み、高級なブランド店にはほとんど通うことができなかった。しかし、時代は変わり、そうした光景が、現代のフットボーラーからすれば恥ずかしいものになっているのかもしれない。
選手とファンとの距離が遠くなる日々を、私は寂しく思う。
文:スティーブ・マッケンジー
翻訳:羽澄凜太郎

ゲームを通してフットボールに興味を持つようになったNBAスターのパターソン。年俸660万ドル(約7億9200万円)を稼ぐ彼のイチオシ選手はトゥーレ・ヤヤだ。 (C) Getty Images

スティーブ・マッケンジー (STEVE MACKENZIE)
profile/1968年6月7日にロンドンに生まれる。ウェストハムとサウサンプトンのユースでのプレー経験があり、とりわけウェストハムへの思い入れが強く、ユース時代からサポーターになった。また、スコットランド代表のファンでもある。大学時代はサッカーの奨学生として米国の大学で学び、1989年のNCAA(全米大学体育協会)主催の大会で優勝に輝く。