サッカーは骨がきしむのが当たり前。そう思うことができるなら…。
[U-20ワールドカップ・グループステージ2節]日本 0-2 ウルグアイ/5月24日/水原
後半、ウルグアイを押し込んでいただけに悔やまれる敗戦だ。
特に55分、59分の決定機逸が大きく響いた。どちらもヘディングシュート。55分は久保のシュートがバーを越え、59分は堂安の一撃がGKに阻まれた。
【U-20 PHOTO】日本、ウルグアイに2発を叩き込まれ敗戦…
久保も堂安も慌てていた印象がある。無理もない。南米王者に追いつく千載一遇のチャンス。だが、ウルグアイの当たりの激しさ、守りの巧さを知る彼らには、一瞬でも遅れたら潰されるという思いもあっただろう。それが焦りにつながったのだと思う。
日本サッカー界で課題とされる決定力不足は、一瞬でも早くシュートしなければ……という焦りが原因ではないだろうか。
日本でパスサッカーが持て囃されるのは、日本人はフィジカルが弱く、敵との接触をできるだけ減らさなければならない、という考えに由来する。
この考えが、ペナルティエリアでの焦りをも呼んでいると思うのだ。日本人はフィジカルが弱い、だから敵に潰される前に撃たなければいけないと。
早く、強く、正確にシュートできたら文句はない。だが、“早く”に気を取られるあまり、正確性が損なわれたら元も子もないだろう。
ここで思い出すのがウルグアイの1点目だ。
右SBロドリゲスからのパスを受けたFWスキアッパカッセは、シュート態勢に入りながら、一瞬動きを止めた。そして目の前を中山のタックルが通りすぎたのを見計らって、落ち着いて左サイドに突き刺したのだ。
なかなかできる芸当ではない。焦りに任せて思い切り撃っていたら、中山のタックルに阻まれていただろう。
こうやって考えてきて思い当たるのは、ウルグアイの肉弾戦や1対1の強さである。日本人と違って、彼らは接触を嫌がらない。むしろ、接触プレーの巧さ、抜け目なさで生きながらえているところがある。
前半、日本はほとんど何もさせてもらえなかったが、それは1対1でまったく勝てなかったからだ。ボールを挟んでガチャンと敵味方が衝突すると、直後、必ずといっていいほどウルグアイがボールを持っていた。
サッカーは骨がきしむのが当たり前。そう思うことができるなら、敵味方が入り乱れるゴール前でも落ち着いてプレーできるかもしれない。
仕留めるべきときに仕留めるウルグアイと、仕留めるべきときに外してしまう日本。この違いはコンタクトプレーの考え方の違いから来ているのかもしれない。そんなことを考えた90分だった。
最後にもうひとつ。この試合の日本は、まずまず健闘したと言える。後半はほとんどの時間、日本がウルグアイを押し込んでいた。
もっともウルグアイは、ブラジルのような格上といい意味で好勝負を繰り広げながら、日本のような格下とも悪い意味で好勝負を演じてしまう不思議な国。ブラジル、アルゼンチンに挟まれた小国は、それゆえ僅差で勝つことが染みついているのかもしれない。
次に対戦するイタリアもまた、そうした奇妙な体質がある。「負けたけど内容で勝っていた」というのはイタリア戦では何の意味もない。次は結果で勝たなければいけない一戦だ。
取材・文:熊崎 敬(スポーツライター)
後半、ウルグアイを押し込んでいただけに悔やまれる敗戦だ。
特に55分、59分の決定機逸が大きく響いた。どちらもヘディングシュート。55分は久保のシュートがバーを越え、59分は堂安の一撃がGKに阻まれた。
【U-20 PHOTO】日本、ウルグアイに2発を叩き込まれ敗戦…
久保も堂安も慌てていた印象がある。無理もない。南米王者に追いつく千載一遇のチャンス。だが、ウルグアイの当たりの激しさ、守りの巧さを知る彼らには、一瞬でも遅れたら潰されるという思いもあっただろう。それが焦りにつながったのだと思う。
日本サッカー界で課題とされる決定力不足は、一瞬でも早くシュートしなければ……という焦りが原因ではないだろうか。
日本でパスサッカーが持て囃されるのは、日本人はフィジカルが弱く、敵との接触をできるだけ減らさなければならない、という考えに由来する。
この考えが、ペナルティエリアでの焦りをも呼んでいると思うのだ。日本人はフィジカルが弱い、だから敵に潰される前に撃たなければいけないと。
早く、強く、正確にシュートできたら文句はない。だが、“早く”に気を取られるあまり、正確性が損なわれたら元も子もないだろう。
ここで思い出すのがウルグアイの1点目だ。
右SBロドリゲスからのパスを受けたFWスキアッパカッセは、シュート態勢に入りながら、一瞬動きを止めた。そして目の前を中山のタックルが通りすぎたのを見計らって、落ち着いて左サイドに突き刺したのだ。
なかなかできる芸当ではない。焦りに任せて思い切り撃っていたら、中山のタックルに阻まれていただろう。
こうやって考えてきて思い当たるのは、ウルグアイの肉弾戦や1対1の強さである。日本人と違って、彼らは接触を嫌がらない。むしろ、接触プレーの巧さ、抜け目なさで生きながらえているところがある。
前半、日本はほとんど何もさせてもらえなかったが、それは1対1でまったく勝てなかったからだ。ボールを挟んでガチャンと敵味方が衝突すると、直後、必ずといっていいほどウルグアイがボールを持っていた。
サッカーは骨がきしむのが当たり前。そう思うことができるなら、敵味方が入り乱れるゴール前でも落ち着いてプレーできるかもしれない。
仕留めるべきときに仕留めるウルグアイと、仕留めるべきときに外してしまう日本。この違いはコンタクトプレーの考え方の違いから来ているのかもしれない。そんなことを考えた90分だった。
最後にもうひとつ。この試合の日本は、まずまず健闘したと言える。後半はほとんどの時間、日本がウルグアイを押し込んでいた。
もっともウルグアイは、ブラジルのような格上といい意味で好勝負を繰り広げながら、日本のような格下とも悪い意味で好勝負を演じてしまう不思議な国。ブラジル、アルゼンチンに挟まれた小国は、それゆえ僅差で勝つことが染みついているのかもしれない。
次に対戦するイタリアもまた、そうした奇妙な体質がある。「負けたけど内容で勝っていた」というのはイタリア戦では何の意味もない。次は結果で勝たなければいけない一戦だ。
取材・文:熊崎 敬(スポーツライター)