世界選抜にも勝利したアトランタ五輪ブラジル代表。
川口能活、40歳。彼のサッカー人生は、言い換えれば、日本代表の“世界挑戦”の歴史と重ね合わせることができる。絶対に負けられない戦いのなかで、彼はどんなことを考えていたのか。日本サッカー界のレジェンドが振り返る名勝負の知られざる舞台裏——―。
第2回:1996年アトランタ五輪 グループリーグ第1戦
U-23日本代表 vs U-23ブラジル代表
■もしかしたら大敗するかもしれない…
1996年7月22日、マイアミ・オレンジボウル――。
この日は僕にとって忘れられない日であると同時に、世界との挑戦が始まった日でもありました。
“マイアミの奇跡”と呼ばれるブラジルとの一戦。1996年アトランタオリンピック・男子サッカーグループリーグD組第1戦で、僕たちU-23日本代表はU-23ブラジル代表と対戦し、1対0で勝利しました。誰もが予想しなかったこの結果に、多くのメディアが“マイアミの奇跡”というフレーズで、日本の歴史的な勝利を報道したのです。
そうした反応があったのも当然だったと思えます。ブラジルのメンバーを見れば一目瞭然でした。日本は国内クラブでプレーする選手だけで構成されていました。しかもこの大会から認められたオーバーエイジ枠(23歳以上の選手を3人まで登録できる制度)も使いませんでした。
一方のブラジルは、ジュニーニョ、ロベルト・カルロス、リバウド、ベベット、アウダイール……。そして控えにはあのロナウド(当時の登録名はロナウジーニョ)といった面々が名を連ねていました。ピッチ全体にスター選手を散りばめたような、まさにドリームチームのような豪華な顔ぶれで、下馬評もダントツの優勝候補の筆頭に挙げられていました。
大会前のテストマッチでは、五輪開幕の1週間前にニューヨークで行なわれた世界選抜とのチャリティーマッチにも、強化試合として単独チームとして参戦し、こちらも2対1で勝利したのです。この試合、僕たちは宿泊先のリラックスルームで、チームメイトのみんなと一緒にテレビ観戦したのを覚えています。
もしかしたら大敗するかもしれない――。そんな不安が脳裏をよぎりましたが、その一方で、世界選抜だって負けるんだから、俺たちが負けても仕方がない。思い切り戦おうという覚悟を決めることができました。
第2回:1996年アトランタ五輪 グループリーグ第1戦
U-23日本代表 vs U-23ブラジル代表
■もしかしたら大敗するかもしれない…
1996年7月22日、マイアミ・オレンジボウル――。
この日は僕にとって忘れられない日であると同時に、世界との挑戦が始まった日でもありました。
“マイアミの奇跡”と呼ばれるブラジルとの一戦。1996年アトランタオリンピック・男子サッカーグループリーグD組第1戦で、僕たちU-23日本代表はU-23ブラジル代表と対戦し、1対0で勝利しました。誰もが予想しなかったこの結果に、多くのメディアが“マイアミの奇跡”というフレーズで、日本の歴史的な勝利を報道したのです。
そうした反応があったのも当然だったと思えます。ブラジルのメンバーを見れば一目瞭然でした。日本は国内クラブでプレーする選手だけで構成されていました。しかもこの大会から認められたオーバーエイジ枠(23歳以上の選手を3人まで登録できる制度)も使いませんでした。
一方のブラジルは、ジュニーニョ、ロベルト・カルロス、リバウド、ベベット、アウダイール……。そして控えにはあのロナウド(当時の登録名はロナウジーニョ)といった面々が名を連ねていました。ピッチ全体にスター選手を散りばめたような、まさにドリームチームのような豪華な顔ぶれで、下馬評もダントツの優勝候補の筆頭に挙げられていました。
大会前のテストマッチでは、五輪開幕の1週間前にニューヨークで行なわれた世界選抜とのチャリティーマッチにも、強化試合として単独チームとして参戦し、こちらも2対1で勝利したのです。この試合、僕たちは宿泊先のリラックスルームで、チームメイトのみんなと一緒にテレビ観戦したのを覚えています。
もしかしたら大敗するかもしれない――。そんな不安が脳裏をよぎりましたが、その一方で、世界選抜だって負けるんだから、俺たちが負けても仕方がない。思い切り戦おうという覚悟を決めることができました。