ベッケンバウアーとネッツァーのチームおける主導権争い…。

優勝トロフィーを手にするベッケンバウアー。この年、わずか2票差でネッツァーを抑えてバロンドールを受賞した。 (C) Getty Images

史上最高のMFのひとりといわれるネッツァー。73年にはボルシアMGを離れ、レアル・マドリーでプレーした。写真は予選時。 (C) Getty Images
過去、ワールドカップ4回、EURO3回を制してきたドイツ。それぞれの大会で、人々の記憶に残る偉大なチームを形成して戴冠を果たしてきたが、なかでも最も高い評価を得ているのが、初の欧州制覇を果たした1972年のチームだ。
ドイツ代表のベストチーム7選
66年イングランド大会、70年メキシコ大会と、2つのW杯で3位の成績を残した西ドイツ(当時)は、その後、メンバー刷新の時期を迎え、ヘルムート・シェーン監督はバイエルン主体のチーム作りを敢行する。
フランツ・ベッケンバウアー、ゲルト・ミュラー、ゼップ・マイヤーら、すでに代表チームでも確固たる地位を築いていた選手に加え、さらに多くのバイエルンの所属選手が、チームの重要なポジションを担うようになった。
しかし、西ドイツ代表にはもうひとつ“派閥”があった。ベルティ・フォクツをはじめとしたボルシアMG所属の選手たちだ。ギュンター・ネッツァーも、それに属していた。
アーティストと形容される華麗な中盤の司令塔であり、正確なロングパスと必殺のセットプレーをウリとする天才プレーヤーは、その独善的な性格がピッチ外で様々な揉め事を引き起こしたが、それでもシェーン監督のファーストチョイスであることに変わりはなかった。
またピッチ上では、チームキャプテンとなったベッケンバウアーとの、チームにおける主導権争いも生じていた。監督より強い権限を有するといわれたベッケンバウアーに対し、ネッツァーがおとなしく従うことはなかったからだ。
そんな状況でも、西ドイツは最終ラインのベッケンバウアー、中盤のネッツァー、前線のミュラーという柱が予選で力を発揮し、決勝大会が始まる頃には優勝候補の筆頭に挙げられていた。
準決勝では開催国ベルギーと対戦し、相手が主力の一部を欠いていた幸運もあり、確実にチャンスを決めて2-1の勝利。ここでネッツァーは最高のパフォーマンスを披露し、ベルギー国民は自国の代表チームが敗れたというのに、西ドイツに惜しみない拍手を贈った。
6月18日、ヘイゼル・スタジアムでの決勝戦。対戦相手のソ連は、第1回大会の優勝国であり、今回も堅い守備を基盤にし、前線には強力な2トップを擁する手ごわいチームだった。
しかし、西ドイツは期待に違わぬ、いやそれ以上の内容のサッカーを披露して主導権を握り、ソ連のゴールに何度も迫る。
27分には、ベッケンバウアーがドリブルで中央突破してミュラーへ。その折り返しを受けてネッツァーがダイレクトボレーを放つと、ボールはクロスバーにはね返される。これを拾ったユップ・ハインケスが強烈なシュートを放ち、GKが前にこぼしたボールをミュラーが押し込んだ。
この豪華なリレーによる先制点の後も好パフォーマンスを見せてソ連を押し続けた西ドイツは、52分、ネッツァー→ハインケスと縦に繋ぎ、そこからのスルーパスにヘルベルト・ヴィンマーが合わせてリードを広げる。
そしてトドメは58分。ミュラーが中央から持ち込み、ヴィンマーとの壁パスでDFラインを突破して、難なく自身2点目のゴールを決めた。
54年スイスW杯以降、タイトルから遠ざかっていた西ドイツにとっては、待ちに待った瞬間は、間もなく訪れた。初の欧州制覇。そしてこの瞬間、多くの人が2年後のW杯でも、ホストを務める西ドイツが制すると確信した。
その予感は当たることになるが、攻撃の中心となると思われたネッツァーは、ヴォルフガンク・オベラートに取って代わられ、わずか1試合の出場に終わることとなる。
◎6月18日に行なわれた過去のEUROの試合
◇1972年ベルギー大会
決勝
西ドイツ 3-0 ソ連
◇1988年西ドイツ大会
グループステージ
ソ連 3-1 イングランド
オランダ 1-0 アイルランド
◇1992年スウェーデン大会
グループステージ
オランダ 3-1 ドイツ
スコットランド 0-0 CIS
◇1996年イングランド大会
グループステージ
スコットランド 1-0 スイス
イングランド 4-1 オランダ
フランス 3-1 ブルガリア
スペイン 2-1 ルーマニア
◇2000年ベルギー・オランダ大会
グループステージ
スペイン 2-1 スロベニア
ユーゴスラビア 1-0 ノルウェー
◇2004年ポルトガル大会
グループステージ
デンマーク 2-0 ブルガリア
イタリア 1-1 スウェーデン
◇2008年オーストリア・スイス大会
グループステージ
スペイン 2-1 ギリシャ
ロシア 2-0 スウェーデン
◇2012年ポーランド・ウクライナ大会
グループリーグ
スペイン 1-0 クロアチア
イタリア 2-0 アイルランド
※日付は全て現地時間
ドイツ代表のベストチーム7選
66年イングランド大会、70年メキシコ大会と、2つのW杯で3位の成績を残した西ドイツ(当時)は、その後、メンバー刷新の時期を迎え、ヘルムート・シェーン監督はバイエルン主体のチーム作りを敢行する。
フランツ・ベッケンバウアー、ゲルト・ミュラー、ゼップ・マイヤーら、すでに代表チームでも確固たる地位を築いていた選手に加え、さらに多くのバイエルンの所属選手が、チームの重要なポジションを担うようになった。
しかし、西ドイツ代表にはもうひとつ“派閥”があった。ベルティ・フォクツをはじめとしたボルシアMG所属の選手たちだ。ギュンター・ネッツァーも、それに属していた。
アーティストと形容される華麗な中盤の司令塔であり、正確なロングパスと必殺のセットプレーをウリとする天才プレーヤーは、その独善的な性格がピッチ外で様々な揉め事を引き起こしたが、それでもシェーン監督のファーストチョイスであることに変わりはなかった。
またピッチ上では、チームキャプテンとなったベッケンバウアーとの、チームにおける主導権争いも生じていた。監督より強い権限を有するといわれたベッケンバウアーに対し、ネッツァーがおとなしく従うことはなかったからだ。
そんな状況でも、西ドイツは最終ラインのベッケンバウアー、中盤のネッツァー、前線のミュラーという柱が予選で力を発揮し、決勝大会が始まる頃には優勝候補の筆頭に挙げられていた。
準決勝では開催国ベルギーと対戦し、相手が主力の一部を欠いていた幸運もあり、確実にチャンスを決めて2-1の勝利。ここでネッツァーは最高のパフォーマンスを披露し、ベルギー国民は自国の代表チームが敗れたというのに、西ドイツに惜しみない拍手を贈った。
6月18日、ヘイゼル・スタジアムでの決勝戦。対戦相手のソ連は、第1回大会の優勝国であり、今回も堅い守備を基盤にし、前線には強力な2トップを擁する手ごわいチームだった。
しかし、西ドイツは期待に違わぬ、いやそれ以上の内容のサッカーを披露して主導権を握り、ソ連のゴールに何度も迫る。
27分には、ベッケンバウアーがドリブルで中央突破してミュラーへ。その折り返しを受けてネッツァーがダイレクトボレーを放つと、ボールはクロスバーにはね返される。これを拾ったユップ・ハインケスが強烈なシュートを放ち、GKが前にこぼしたボールをミュラーが押し込んだ。
この豪華なリレーによる先制点の後も好パフォーマンスを見せてソ連を押し続けた西ドイツは、52分、ネッツァー→ハインケスと縦に繋ぎ、そこからのスルーパスにヘルベルト・ヴィンマーが合わせてリードを広げる。
そしてトドメは58分。ミュラーが中央から持ち込み、ヴィンマーとの壁パスでDFラインを突破して、難なく自身2点目のゴールを決めた。
54年スイスW杯以降、タイトルから遠ざかっていた西ドイツにとっては、待ちに待った瞬間は、間もなく訪れた。初の欧州制覇。そしてこの瞬間、多くの人が2年後のW杯でも、ホストを務める西ドイツが制すると確信した。
その予感は当たることになるが、攻撃の中心となると思われたネッツァーは、ヴォルフガンク・オベラートに取って代わられ、わずか1試合の出場に終わることとなる。
◎6月18日に行なわれた過去のEUROの試合
◇1972年ベルギー大会
決勝
西ドイツ 3-0 ソ連
◇1988年西ドイツ大会
グループステージ
ソ連 3-1 イングランド
オランダ 1-0 アイルランド
◇1992年スウェーデン大会
グループステージ
オランダ 3-1 ドイツ
スコットランド 0-0 CIS
◇1996年イングランド大会
グループステージ
スコットランド 1-0 スイス
イングランド 4-1 オランダ
フランス 3-1 ブルガリア
スペイン 2-1 ルーマニア
◇2000年ベルギー・オランダ大会
グループステージ
スペイン 2-1 スロベニア
ユーゴスラビア 1-0 ノルウェー
◇2004年ポルトガル大会
グループステージ
デンマーク 2-0 ブルガリア
イタリア 1-1 スウェーデン
◇2008年オーストリア・スイス大会
グループステージ
スペイン 2-1 ギリシャ
ロシア 2-0 スウェーデン
◇2012年ポーランド・ウクライナ大会
グループリーグ
スペイン 1-0 クロアチア
イタリア 2-0 アイルランド
※日付は全て現地時間