「試合に出て、ゴールを決めたい気持ちが強かった」
一方、今季で切れる契約について、川又とクラブは交渉を続けていた。クラブが提示したのは破格とも言える3年契約。しかし川又サイドはこれを二度に渡って断った。今季終了後の移籍を視野に入れていたためだろう。
事態を大きく動かしたのは、ベンチ外というピッチでの処遇だった。他クラブとの交渉が可能になる8月1日、退団報道が流れて移籍という道筋がいわば出来上がり、5日までにJ1の5クラブからオファーが届いた。獲得に乗り出したのは、横浜、清水、C大阪、FC東京、そして名古屋だった。
川又は名古屋への移籍を決めた後、この約2週間は「いつまでに決めないといけないとか、新潟でサッカーしたいとか。頭はリフレッシュできないでいた」と明かした。昨季終了時に国外のクラブからオファーが届きながら、新潟に残る決断をしたこともあり「残り半年も新潟でやるつもりだった。こういう形で新潟を離れるのは悔しい」と、2008年から在籍するクラブへの思い入れを語った。
だが、試合に出たいという思いは強かった。しかも、次のロシア・ワールドカップに向け「次の4年間が大事。日々の積み重ねだし、これまでとは別物の努力をしないと代表入りは無理」と、並々ならぬ決意を抱いていたのだ。現状を打破するために、川又は決断を下したのだった。
「本当に難しい判断だったけど、試合に出て、ゴールを決めたい気持ちが強かったのが移籍の理由」
本人もそう口にした。
チームの進化と、それに伴う序列の変化(低下)、そして契約問題。複数の要素が重なり合って、川又の移籍は現実となったのだ。
構成:週刊サッカーダイジェスト編集部
事態を大きく動かしたのは、ベンチ外というピッチでの処遇だった。他クラブとの交渉が可能になる8月1日、退団報道が流れて移籍という道筋がいわば出来上がり、5日までにJ1の5クラブからオファーが届いた。獲得に乗り出したのは、横浜、清水、C大阪、FC東京、そして名古屋だった。
川又は名古屋への移籍を決めた後、この約2週間は「いつまでに決めないといけないとか、新潟でサッカーしたいとか。頭はリフレッシュできないでいた」と明かした。昨季終了時に国外のクラブからオファーが届きながら、新潟に残る決断をしたこともあり「残り半年も新潟でやるつもりだった。こういう形で新潟を離れるのは悔しい」と、2008年から在籍するクラブへの思い入れを語った。
だが、試合に出たいという思いは強かった。しかも、次のロシア・ワールドカップに向け「次の4年間が大事。日々の積み重ねだし、これまでとは別物の努力をしないと代表入りは無理」と、並々ならぬ決意を抱いていたのだ。現状を打破するために、川又は決断を下したのだった。
「本当に難しい判断だったけど、試合に出て、ゴールを決めたい気持ちが強かったのが移籍の理由」
本人もそう口にした。
チームの進化と、それに伴う序列の変化(低下)、そして契約問題。複数の要素が重なり合って、川又の移籍は現実となったのだ。
構成:週刊サッカーダイジェスト編集部