そんな時、真っ先に成績不振の矛先を向けられるのが監督という職業。実際、周囲からは北野監督の手腕を憂う声は徐々に大きくなり、それに比例するように指揮官の苦悩も増していった。
ただ、本当に目を向けるべきなのはチームを取り巻く環境だ。脆弱なクラブフロント陣の体制、リーグ最低規模の経営基盤、そして、およそJリーグクラブとは思えないほどの練習環境の悪さ。J2昇格時に「これですべてが変わる 」と希望を抱いて発した北野監督の思いとは裏腹に、この5年間でクラブは何も変わっていないのが現実だった。
クラブ側からのサポートを得られず、チームは武装した相手に素手で戦いを挑む日々。北野監督も”策士”としての一面を発揮しながら、何とかJの舞台に踏みとどまらせるのが精一杯の状況だった。年々飛躍的に上がるリーグ全体のレベルを考えると、この5年目にして“来るべき時が来た”と言わざるを得ないのが実情だ。
讃岐での監督在任期間は実に9年間。選手たちとともに全力で駆け続け、酸いも甘いもファン、サポーターたちと分かち合ってきた北野監督の足跡こそ、クラブの歴史と言っても過言ではないはずだ。
2018年11月17日、そのひとつの歴史は静かに幕を下ろした。
取材・文●松本隆志