もっともっと日本人は言葉を大事にして生きていくべきだ
「28歳までしかこの膝は持たないぞ!」
慢性的に膝に痛みを抱えていた22、23歳当時の僕に、こう言ってくれたトレーナーがいた。
その後、プロの舞台で僕はサッカーをやるのに必死だった。命懸けで今日の試合が終わったら引退しても良いと思いながらピッチに立った。当時、27歳のJリーグ元年の事だ。その時点であと2年間しかなかったわけだが、それよりも10年間も長く、38歳までプレーできた。
「このままだと50歳で歩けなくなるぞ!」
こんなことを言った整体師もいた。
僕は「50歳で歩くのは諦めます。だから、『今』走れるように治療して下さい」と間違った事を言っていた。
弟が紹介してくれた、また別の整体師は、「おー凄い粗大ゴミが来たな~」とも言った。自主トレでの那覇空港で会った瞬間の言葉だ。
すべてを活字にすると少し厳しい、汚いというか、酷いようにも聞こえるが、当時の僕は上手く言葉を拾い吸収したと思う。
そして「ありがとう、〇〇さん」と思い、その次に「俺は終わらない、28でも50でも」と思って、その人たちの治療を受けた。だから38歳まで現役選手を続けられ、52歳でもまだ軽く走れ、ボールも蹴れる(笑)。
もちろん数多くの恩師からたくさんの言葉をもらい、その中から自分の言葉も生まれた。
あるJリーグクラブの社長に「良い言葉に出逢ったらメモをしたら良い」と言われた。現役選手時代の話だ。
「僕は大事な事はメモをしなくても忘れない。書かなければ覚えられない事は大して大事な事ではない」という言葉が浮かんだ。
人の使った言葉を自分の物にするまでには時間が掛かる。単に読み出すだけでは伝わらない。
ブラジルでのこんな出来事があった。
ライセンス取得の為にブラジルに研修に来た日本人(元選手)がノート、ペンを持ちながら監督の指導を必死にメモしながら研修を受けていた。その監督は僕の近くに寄って来てポツリと呟いた。「ヤス、日本人は紙とペンを持ってサッカーをやるのか?」と。
誰もがそんなことは「やらない」というのは知っている。その言葉から何を拾うか、もらうか。
僕はこう解釈した。
「身体で覚えろ!」
「良い事はメモしなくても覚えているだろ!」
「本当に大事な事は監督になった時、ここで見た事を思い出すであろう」
だった。
しかし今の世の中は言葉が軽い。直訳だ。言葉から導き出したい所にはいかない。言葉の意味など分からない。嫌、分かろうとしない。
テレビを見ていても「後出しジャンケン」をやっている人たちばかりだ。無い所から何かを作る、表現するという「言葉」を発する人がいなくなった。
そういう“後出し”の言葉には、いつも「これを言ったら世間はどうなるだろう」という打算が働いている。
「我々の進退は大丈夫か?」
「国民は、周りは、どう思うか?」
「正しいの、どうなのか?」
「自分自身へのメリットとデミリット」
「ああ言ったから、こうやったから、どう言った」
あるコーチがこう言った。正しいことは「言っても良いかな?」と考える前に叫んでますよね……。
これが普通のジャンケンだ。
膝が悪いと思ったら、「悪い」と叫んでいいのだ。本当かどうかとか責任とかでなく。 その人のためになることは自然と叫んでいるのが普通なのだ。
僕には本当にたくさんの人が僕のために本音を叫び、僕を成長させてくれた。
そしてまた僕の言葉をそう拾って生きている友人が、選手が、そして監督が、そして人に影響を与える事のできる人がいたとしたら、嬉しい限りだ。
言葉には直接的な意味だけでなく、そこから導き出したい意図がある。そういうものを大事にすることにかけては、日本人は世界で一番だと思っている。
もっともっと、日本人は言葉を大事にして生きるべきだ。
2018年5月7日
三浦泰年
慢性的に膝に痛みを抱えていた22、23歳当時の僕に、こう言ってくれたトレーナーがいた。
その後、プロの舞台で僕はサッカーをやるのに必死だった。命懸けで今日の試合が終わったら引退しても良いと思いながらピッチに立った。当時、27歳のJリーグ元年の事だ。その時点であと2年間しかなかったわけだが、それよりも10年間も長く、38歳までプレーできた。
「このままだと50歳で歩けなくなるぞ!」
こんなことを言った整体師もいた。
僕は「50歳で歩くのは諦めます。だから、『今』走れるように治療して下さい」と間違った事を言っていた。
弟が紹介してくれた、また別の整体師は、「おー凄い粗大ゴミが来たな~」とも言った。自主トレでの那覇空港で会った瞬間の言葉だ。
すべてを活字にすると少し厳しい、汚いというか、酷いようにも聞こえるが、当時の僕は上手く言葉を拾い吸収したと思う。
そして「ありがとう、〇〇さん」と思い、その次に「俺は終わらない、28でも50でも」と思って、その人たちの治療を受けた。だから38歳まで現役選手を続けられ、52歳でもまだ軽く走れ、ボールも蹴れる(笑)。
もちろん数多くの恩師からたくさんの言葉をもらい、その中から自分の言葉も生まれた。
あるJリーグクラブの社長に「良い言葉に出逢ったらメモをしたら良い」と言われた。現役選手時代の話だ。
「僕は大事な事はメモをしなくても忘れない。書かなければ覚えられない事は大して大事な事ではない」という言葉が浮かんだ。
人の使った言葉を自分の物にするまでには時間が掛かる。単に読み出すだけでは伝わらない。
ブラジルでのこんな出来事があった。
ライセンス取得の為にブラジルに研修に来た日本人(元選手)がノート、ペンを持ちながら監督の指導を必死にメモしながら研修を受けていた。その監督は僕の近くに寄って来てポツリと呟いた。「ヤス、日本人は紙とペンを持ってサッカーをやるのか?」と。
誰もがそんなことは「やらない」というのは知っている。その言葉から何を拾うか、もらうか。
僕はこう解釈した。
「身体で覚えろ!」
「良い事はメモしなくても覚えているだろ!」
「本当に大事な事は監督になった時、ここで見た事を思い出すであろう」
だった。
しかし今の世の中は言葉が軽い。直訳だ。言葉から導き出したい所にはいかない。言葉の意味など分からない。嫌、分かろうとしない。
テレビを見ていても「後出しジャンケン」をやっている人たちばかりだ。無い所から何かを作る、表現するという「言葉」を発する人がいなくなった。
そういう“後出し”の言葉には、いつも「これを言ったら世間はどうなるだろう」という打算が働いている。
「我々の進退は大丈夫か?」
「国民は、周りは、どう思うか?」
「正しいの、どうなのか?」
「自分自身へのメリットとデミリット」
「ああ言ったから、こうやったから、どう言った」
あるコーチがこう言った。正しいことは「言っても良いかな?」と考える前に叫んでますよね……。
これが普通のジャンケンだ。
膝が悪いと思ったら、「悪い」と叫んでいいのだ。本当かどうかとか責任とかでなく。 その人のためになることは自然と叫んでいるのが普通なのだ。
僕には本当にたくさんの人が僕のために本音を叫び、僕を成長させてくれた。
そしてまた僕の言葉をそう拾って生きている友人が、選手が、そして監督が、そして人に影響を与える事のできる人がいたとしたら、嬉しい限りだ。
言葉には直接的な意味だけでなく、そこから導き出したい意図がある。そういうものを大事にすることにかけては、日本人は世界で一番だと思っている。
もっともっと、日本人は言葉を大事にして生きるべきだ。
2018年5月7日
三浦泰年