レフェリーを試合の中で一番偉い人に位置付けていてはいけないと思う
目の前にいる上司が、目の前にいるリーダーが、間違っているなら、リスペクト(尊重)した上で助けなくてはいけない。見殺しにしてはいけない。
助け合って良い物を作り上げなくては。裸の王様にしてはいけないのだ。
試合におけるレフェリーとチームの関係も同じだ。尊重とはチーム側だけではなくレフェリー側も、またはJリーグとJクラブもお互いが尊重し合っていくことが、素晴らしい物を創る基本であり、そこに尊重しすぎる関係、つまり「忖度」の構図があってはいけない。相反するモノ、立場が違うのであれば、尊重しているだけでは良いものは生まれない。
育成ではよく子どもたちに「レフェリーに文句をいってはいけない」と言う。それでも試合の中では、厳密に言えば言うべき瞬間と言ってはいけない時がある。
ただ、その発言が試合終了後、事の成り行きをどう左右するのか、正解なのか不正解なのかは分からない。言ってみなければ、やってみなければ分からない。文句を言ってはいけないと選手を育てるのは、今、問題になっている『忖度』で起きている事の根本であろう。
忖度しても、しなくても良いのであり、その出来事において忖度は正しかったのかどうなのかである。
要するに、僕はレフェリーを試合の中で一番偉い人に位置付けていてはいけないと思うのだ。それでは日本では良い主審、副審は育たないとなる。
指導者も、監督・コーチの言うことを聞くだけの子どもに育ててはいけない。ただ監督よりサッカーを知っている子どもでなければ、話は一方通行になる。子どもが意見できれば、監督も子どもも育つ。
持論だが、「レフェリーに文句を言って良い」と教える年代を作れば、最終的にレフェリーに文句を言ってはいけない意味が分かるのではないか。第3種の中学生、あるいはキッズ年代でもいいのかもしれない。
ただ、『言い訳』を言って良いのとは違う。あくまでもレフェリーがミス、間違ったと思った時にだ。実に、人に何かを言うというのは難しく、試合中に文句を言える選手はそう多くない。文句というと語弊があるのであれば、モノを言っても良い、コミュニケーションを取っても良いと言う意味だ。それが審判に「文句を言って良い」という意味だ。
そうなると、教える方も立場が上の人も、上司も先生も先輩も皆、成長しなければならない。そうなると面白くなってくる。
尊重と言う言葉で、年が上と言うだけで決まってしまう世の中はつまらない。ただ間違ってはいけない、忖度も尊重もない世の中もつまらない。
外国人が日本へ来て、日本の素晴らしさを例える。『日本人の義理、人情』、人としての大きさに感動する。
だからこそ、日本がもっと良くなるためには――。バナナの皮を逆から剥く発想。
助け合って良い物を作り上げなくては。裸の王様にしてはいけないのだ。
試合におけるレフェリーとチームの関係も同じだ。尊重とはチーム側だけではなくレフェリー側も、またはJリーグとJクラブもお互いが尊重し合っていくことが、素晴らしい物を創る基本であり、そこに尊重しすぎる関係、つまり「忖度」の構図があってはいけない。相反するモノ、立場が違うのであれば、尊重しているだけでは良いものは生まれない。
育成ではよく子どもたちに「レフェリーに文句をいってはいけない」と言う。それでも試合の中では、厳密に言えば言うべき瞬間と言ってはいけない時がある。
ただ、その発言が試合終了後、事の成り行きをどう左右するのか、正解なのか不正解なのかは分からない。言ってみなければ、やってみなければ分からない。文句を言ってはいけないと選手を育てるのは、今、問題になっている『忖度』で起きている事の根本であろう。
忖度しても、しなくても良いのであり、その出来事において忖度は正しかったのかどうなのかである。
要するに、僕はレフェリーを試合の中で一番偉い人に位置付けていてはいけないと思うのだ。それでは日本では良い主審、副審は育たないとなる。
指導者も、監督・コーチの言うことを聞くだけの子どもに育ててはいけない。ただ監督よりサッカーを知っている子どもでなければ、話は一方通行になる。子どもが意見できれば、監督も子どもも育つ。
持論だが、「レフェリーに文句を言って良い」と教える年代を作れば、最終的にレフェリーに文句を言ってはいけない意味が分かるのではないか。第3種の中学生、あるいはキッズ年代でもいいのかもしれない。
ただ、『言い訳』を言って良いのとは違う。あくまでもレフェリーがミス、間違ったと思った時にだ。実に、人に何かを言うというのは難しく、試合中に文句を言える選手はそう多くない。文句というと語弊があるのであれば、モノを言っても良い、コミュニケーションを取っても良いと言う意味だ。それが審判に「文句を言って良い」という意味だ。
そうなると、教える方も立場が上の人も、上司も先生も先輩も皆、成長しなければならない。そうなると面白くなってくる。
尊重と言う言葉で、年が上と言うだけで決まってしまう世の中はつまらない。ただ間違ってはいけない、忖度も尊重もない世の中もつまらない。
外国人が日本へ来て、日本の素晴らしさを例える。『日本人の義理、人情』、人としての大きさに感動する。
だからこそ、日本がもっと良くなるためには――。バナナの皮を逆から剥く発想。
当たり前の事を当たり前と考えずに、難しいことを簡単に、正しいと思っていたことを違う角度で考え直し、もう一歩前進しなければ。
日本のサッカーは、25年急ピッチに走ってきた。そしてここからの25年が勝負になる。25年走ったもので走るのではなく、ここまで良い走りをした人を単純に認めるというのではなく、違う走り、独自の走りをしないといけない。新しい走り方がなければ日本サッカーの明日はない。
自分自身も日本と同じ。自分には尊重に値するものなど何もない。またリスペクトされるように育つ事が大切。
自分自身をしっかり見つめ直して走らなければ――。
2018年3月27日
三浦泰年
日本のサッカーは、25年急ピッチに走ってきた。そしてここからの25年が勝負になる。25年走ったもので走るのではなく、ここまで良い走りをした人を単純に認めるというのではなく、違う走り、独自の走りをしないといけない。新しい走り方がなければ日本サッカーの明日はない。
自分自身も日本と同じ。自分には尊重に値するものなど何もない。またリスペクトされるように育つ事が大切。
自分自身をしっかり見つめ直して走らなければ――。
2018年3月27日
三浦泰年