本人が気づいていないだけで、隠れた才能を見出す環境が整っていないだけ
玉乃 初めまして。西塚さんのこと、かねがね噂では聞いていました。
西塚 どんな噂(笑)?
玉乃 俊輔さんや長友くん、岡崎くんらの育ての親だ、と。
西塚 それはまあ、うちの事務所に所属する選手たちだからね。
玉乃 事務所の方に話を聞けるのは初めてなので、楽しみです!
西塚 日本の国内リーグもプロ化して、今年で22年目。これまでは様々な面で“イケイケどんどん”だったと思うけど、今後はセカンドキャリアへの対応がより重要になってくると考えているんだ。でも、まだまだ十分なケアがなされていないのが実情で、選手たちは引退後なにをしていいか漠然と考えているだろうし、不安を抱えたまま現役を続けている選手は少なくない。だからこそ、先に引退した人たちが“こんな道もあるよ”と選択肢を広げてくれるのはすごく有り難い。例えば、元レッズの水内猛は、レッズ関連の番組で長く活躍していたり、中西哲生さんはスポーツに限らずいろんな番組に出演して、文化人としてその地位を固めつつある。彼らを見るまでもなく、選択肢を広げるにはそれなりに勉強を必要だとは思うけど。
玉乃 引退後の選択肢として、まず思い浮かぶのが、指導者。
西塚 そう。下部組織のコーチとか、あと解説者だよね。でも、それ以外にも生活していく方法はいくらでもある。これまでサッカーしかやってこなかったから、自分を活かせる場所はサッカーの現場だと思い込みがちだけど、決してそんなことはない。本人が気づいていないだけで、隠れた才能を持っている人は多い。それを見出す環境が整っていないだけ。
玉乃 西塚さんの事務所は選手の引退後もサポートをされるんですか?
西塚 今年36歳を迎える俊輔がいて、(川口)能活が39歳になる。日本サッカー界を牽引してきた選手たちの引退もそう遠くないだけに、近いうちにセカンドキャリアを扱う部署を立ち上げて、そのサポートも本格化していくべきだと考えている。俊輔や能活らはまだ“元日本代表”という肩書があるから、引退後もそこまで心配する必要はないと思う。一番難しいのは、代表じゃないけど“Jリーグで100試合出場”とか、そうしたキャリアを持つ選手たちの第二の人生だよね。そこの層の方が断然大きいわけだから。いずれにしても、トップレベルの選手たちをまずはしっかり安定させないと、下も固定できないと思っている。
玉乃 引退後もマネージメントするとなると、一生の付き合いですね。
西塚 例外もあるけど、だいたい僕らは注目している選手は17歳ぐらいから見る。早熟の人もいるし、大器晩成型もいるけど、そのあたりは本人と会ったり、さらに時間をかけていかないと分からない。やっぱり、契約するなら長期的に見ないと。だから、嫁を選ぶより長いよね(笑)。
玉乃 なるほど(笑)。西塚さんはレッズを引退された後、大学でのコーチを経て、マリノスのマネージャーをやられていたんですよね?
西塚 そう。今の共同経営している代理人の(佃)ロベルトが昔、マリノスで通訳をやっていて、僕がマネージャーだった。それで3年目かな、俊輔から「代理人をやってほしい」とロベルトに打診があった。それがすべての始まりで、ロベルトが代理人の資格を取得して、2001年に会社を興して、彼がうちの契約選手第1号になった。
玉乃 なぜ俊輔さんは、ロベルトさんに代理人になってほしいとお願いされたのでしょうか?
西塚 彼には「海外に出たい」という明確に目標があったし、ロベルトは海外とのコネクションがあった。僕たちからすれば、頼まれた以上、やるしかない、と。マリノスでずっと一緒だった時間を過ごすなかで、信頼もされていたと思う。それに、当時も日本で一番上手かった俊輔が世界でどれだけ戦えるのかを、僕たちも知りたかった部分もある。世界基準で見て、日本サッカーがどの位置にいるのかを計れる物差しにもなると考えていたんだ。あの頃はヒデ(中田英寿)や小野伸二もいたし、俊輔を含めた彼らの活躍ぶりで、日本サッカーの“現在地”を知りたかった。
玉乃 今でこそ日本代表選手がズラリと顔を揃えていますが、最初は21歳の俊輔さんをひとりだけで独立。大変な事の方が多かったのでは?
西塚 逆に、大変なことしかなかったよ(笑)。事務所を立ち上げるにしても、委託金などの諸々の諸経費を含めて3000万円が必要だったけど、いろんな人のおかげで、なんとか資金調達できた。
玉乃 何歳の時ですか?
西塚 27歳だね。
玉乃 若くしてとんでもない起業家じゃないですか!?
西塚 マリノスにいた方が安定していたと思う。ただ、大きな組織にはメリットだけでなく、デメリットもあると感じていてね。もっと効率良くできるんじゃないかとは感じていた。だったら、少数精鋭で自分たちでやってみようと決心をして。あとは、俊輔に背中を押される形で、事務所開設という流れだね。
玉乃 とんでもないことを企んでいたマネージャーと通訳ですね(笑)。
西塚 最初の2年ぐらいは、ほぼ無給だった。利益が出始めたのは3年目ぐらいかな。事務所もしばらくは間借りしていたから、人と会う時もホテルで会う。来られても困るよね、他人の会社なんだから(笑)。
西塚 どんな噂(笑)?
玉乃 俊輔さんや長友くん、岡崎くんらの育ての親だ、と。
西塚 それはまあ、うちの事務所に所属する選手たちだからね。
玉乃 事務所の方に話を聞けるのは初めてなので、楽しみです!
西塚 日本の国内リーグもプロ化して、今年で22年目。これまでは様々な面で“イケイケどんどん”だったと思うけど、今後はセカンドキャリアへの対応がより重要になってくると考えているんだ。でも、まだまだ十分なケアがなされていないのが実情で、選手たちは引退後なにをしていいか漠然と考えているだろうし、不安を抱えたまま現役を続けている選手は少なくない。だからこそ、先に引退した人たちが“こんな道もあるよ”と選択肢を広げてくれるのはすごく有り難い。例えば、元レッズの水内猛は、レッズ関連の番組で長く活躍していたり、中西哲生さんはスポーツに限らずいろんな番組に出演して、文化人としてその地位を固めつつある。彼らを見るまでもなく、選択肢を広げるにはそれなりに勉強を必要だとは思うけど。
玉乃 引退後の選択肢として、まず思い浮かぶのが、指導者。
西塚 そう。下部組織のコーチとか、あと解説者だよね。でも、それ以外にも生活していく方法はいくらでもある。これまでサッカーしかやってこなかったから、自分を活かせる場所はサッカーの現場だと思い込みがちだけど、決してそんなことはない。本人が気づいていないだけで、隠れた才能を持っている人は多い。それを見出す環境が整っていないだけ。
玉乃 西塚さんの事務所は選手の引退後もサポートをされるんですか?
西塚 今年36歳を迎える俊輔がいて、(川口)能活が39歳になる。日本サッカー界を牽引してきた選手たちの引退もそう遠くないだけに、近いうちにセカンドキャリアを扱う部署を立ち上げて、そのサポートも本格化していくべきだと考えている。俊輔や能活らはまだ“元日本代表”という肩書があるから、引退後もそこまで心配する必要はないと思う。一番難しいのは、代表じゃないけど“Jリーグで100試合出場”とか、そうしたキャリアを持つ選手たちの第二の人生だよね。そこの層の方が断然大きいわけだから。いずれにしても、トップレベルの選手たちをまずはしっかり安定させないと、下も固定できないと思っている。
玉乃 引退後もマネージメントするとなると、一生の付き合いですね。
西塚 例外もあるけど、だいたい僕らは注目している選手は17歳ぐらいから見る。早熟の人もいるし、大器晩成型もいるけど、そのあたりは本人と会ったり、さらに時間をかけていかないと分からない。やっぱり、契約するなら長期的に見ないと。だから、嫁を選ぶより長いよね(笑)。
玉乃 なるほど(笑)。西塚さんはレッズを引退された後、大学でのコーチを経て、マリノスのマネージャーをやられていたんですよね?
西塚 そう。今の共同経営している代理人の(佃)ロベルトが昔、マリノスで通訳をやっていて、僕がマネージャーだった。それで3年目かな、俊輔から「代理人をやってほしい」とロベルトに打診があった。それがすべての始まりで、ロベルトが代理人の資格を取得して、2001年に会社を興して、彼がうちの契約選手第1号になった。
玉乃 なぜ俊輔さんは、ロベルトさんに代理人になってほしいとお願いされたのでしょうか?
西塚 彼には「海外に出たい」という明確に目標があったし、ロベルトは海外とのコネクションがあった。僕たちからすれば、頼まれた以上、やるしかない、と。マリノスでずっと一緒だった時間を過ごすなかで、信頼もされていたと思う。それに、当時も日本で一番上手かった俊輔が世界でどれだけ戦えるのかを、僕たちも知りたかった部分もある。世界基準で見て、日本サッカーがどの位置にいるのかを計れる物差しにもなると考えていたんだ。あの頃はヒデ(中田英寿)や小野伸二もいたし、俊輔を含めた彼らの活躍ぶりで、日本サッカーの“現在地”を知りたかった。
玉乃 今でこそ日本代表選手がズラリと顔を揃えていますが、最初は21歳の俊輔さんをひとりだけで独立。大変な事の方が多かったのでは?
西塚 逆に、大変なことしかなかったよ(笑)。事務所を立ち上げるにしても、委託金などの諸々の諸経費を含めて3000万円が必要だったけど、いろんな人のおかげで、なんとか資金調達できた。
玉乃 何歳の時ですか?
西塚 27歳だね。
玉乃 若くしてとんでもない起業家じゃないですか!?
西塚 マリノスにいた方が安定していたと思う。ただ、大きな組織にはメリットだけでなく、デメリットもあると感じていてね。もっと効率良くできるんじゃないかとは感じていた。だったら、少数精鋭で自分たちでやってみようと決心をして。あとは、俊輔に背中を押される形で、事務所開設という流れだね。
玉乃 とんでもないことを企んでいたマネージャーと通訳ですね(笑)。
西塚 最初の2年ぐらいは、ほぼ無給だった。利益が出始めたのは3年目ぐらいかな。事務所もしばらくは間借りしていたから、人と会う時もホテルで会う。来られても困るよね、他人の会社なんだから(笑)。