レジェンドの軌跡 THE LEGEND STORY――第33回・バッジョ(元イタリア代表)

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サッカーダイジェストWeb編集部

2018年02月01日

世界を魅了した90年W杯での芸術弾

90年W杯、チェコスロバキア戦でのドリブルシュート。イタリアに新たなスーパースターが誕生した瞬間だった。この大会、スキラッチとのコンビは猛威を振るった。 (C) Getty Images

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 失意と怒りの末にミランに加入したバッジョ。ここでは、ファーストシーズンでスクデットを獲得し、自身は2年連続でのリーグ優勝となったが、喜びは明らかにこちらの方が大きかった。
 
 とはいえ、良い時と悪い時の差が激しいことから、ファビオ・カペッロ監督からは100パーセントの信頼を得ていたわけではなかった。翌シーズンは、オスカール・タバレス監督と良好な関係を保っていたものの、彼の解任を受けて後を継いだアリーゴ・サッキの下ではベンチに座る時間が長くなり、シーズン後にバッジョはミラノを去る決心を下す。
 
 97-98シーズン、成立しかけたパルマ行きはカルロ・アンチェロッティ監督の拒否でご破算となり、ようやく加入したボローニャではレンツォ・ウリビエリ監督から「会長から押し付けられた」として冷遇されたものの、バッジョは意地で本領を発揮し、キャリア最高の22ゴールを決めた。
 
 これで再び評価を高めた彼は、かつて入団を拒絶したインテルから迎え入れられる。しかし98-99シーズン、インテルは3度も監督が代わるなど大混乱に陥り、セリエAで8位に沈み、バッジョ自身もわずか5ゴールに止まる。
 
 翌シーズンはさらに状況は悪くなり、新監督としてユベントスから自分を追い出したリッピが到来。最初から両者の関係は冷え切っており、18試合(多くが途中出場)にピッチに立っただけで、バッジョはパルマとのチャンピオンズ・リーグ出場権を懸けたプレーオフでの意地の2ゴールを置き土産に、インテルを去った。
 
 そして2000年、彼にとって最後のクラブとなったブレッシャに加入。この弱小クラブを選んだ理由は、バッジョが故郷カルドーニョに近いクラブを望んだこと、そして監督がイタリアで最も温かく人情味のあるカルロ・マッツォーネだったことだ。
 
 ここでの4シーズン、彼は充実の時を過ごした。10、11、12、12点と2ケタ得点を記録し、キャリア最終年の04年3月には、史上5人目となるセリエA200ゴールを達成した。02年1月に左膝靭帯を損傷しながら、わずか2か月半で復帰して心身の強靭さを示したことも、彼にとって大きな勲章である。
 
 このように、クラブで偉大な足跡を残したバッジョ。それはイタリア代表でも変わらず、彼は世界の舞台でも多くの伝説を創り出してみせた。
 
 ユース年代の代表にも名を連ねた彼の、A代表での最初の大舞台は1990年。自国開催のワールドカップであり、当初はジャンルカ・ヴィアッリのパートナー候補のひとりであったのが、当のヴィアッリが不振に苦しんだことで、サルバトーレ・スキラッチ(この大会の得点王&MVP)と前線コンビを組んで母国の快進撃に貢献した。
 
 世界がバッジョの存在を認識したのは、グループステージのチェコスロバキア戦。ハーフウェーライン付近からの滑らかで軽快なドリブルと鋭いフェイント、そして素早いシュートによる得点は、同大会のベストゴールにも挙げられるほどの芸術品だった。
 
 自身がスタメンを外れた準決勝アルゼンチン戦でイタリアの世界制覇の夢はPK戦の末に潰えたが、3位決定戦でも活躍したバッジョは、この国の新たな希望となり、背番号10を託されることとなった。
 
 しかし、4年後のアメリカ大会では苦しみが彼を待っていた。よもやの敗北を喫したアイルランド戦の後のグループステージ第2戦ノルウェー戦では、GKジャンルカ・パリュウカがハンドでの決定機阻止で一発退場。代わりのGKを入れるためにベンチに下げられたのはバッジョであり、ここでサッキとの関係が悪化していく。
 
 決勝トーナメント1回戦ではナイジェリア戦で先制を許し、89分までリードされ続けたが、ここで起死回生のゴールを冷静に決めたバッジョ。右足アキレス腱の痛みを抱えながらもここから彼は大活躍を見せ、準々決勝スペイン戦で決勝点、準決勝ブルガリア戦で2ゴールを挙げて、決勝進出の立役者となった。
 
 ブラジルとの決勝では、ふくらはぎも痛めた満身創痍のなかで120分間を戦い、PK戦では最終キッカーとして登場。ほとんど感覚のない右足から放たれたボールは、無情にもクロスバーを越えていった……。
 
 残酷なエンディングとなった灼熱のアメリカから4年後。フランス大会でのバッジョは、ボローニャでの活躍により、滑り込みで代表入りを果たした控えのひとりという扱いだったが、大会前の怪我で不振のデル・ピエロに代わってチームを牽引し、2得点1アシストを記録した。
 
 悔やまれるのは準々決勝フランス戦。スコアレスでの延長後半、難しい体勢で放ったボレーシュートが、わずかにクロスバーを越えたことである。この後、イタリアはPK戦で敗れ、これを制したフランスは後に初優勝を遂げた。
 
 そしてこれが、バッジョにとって最後の大舞台となった。02年日韓大会は、前述の通り同年1月に大怪我を負い、早期回復を果たしたものの、ジョバンニ・トラパットーニ監督は最終メンバーに稀代のファンタジスタを加えることはなかった。
 
 そんなトラパットーニだが、バッジョへの敬意を忘れることはなく、04年4月28日のスペイン戦で彼に花道を用意した。83分間プレーした背番号10は、このジェノバでの試合を「キャリアのなかで最も美しい」と語り、観客は彼のプレーを心に焼き付けた。
 
 そして、それから約半月後の5月16日にはセリエA最終節、つまりプロとしてのラストゲームをミランと戦った。試合はサン・シーロで行なわれたが、入場時、アシストを決めた時にはスタンドから惜しみない拍手が送られ、84分の交代時には全ての観客がスタンディングオベーションで去り行く英雄を称えた。
 
 おそらくは苦しみの方が多かったであろうキャリアを終えたバッジョ。あれから14年が経とうとしている今、彼は故郷に近い田舎町に居を構え、家族とともに平穏な日々を過ごしている。

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公式HP:http://www.pksc.jp/
公式twitter:@PocketSoccer_PR
 
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