信念を貫き通す――イブラヒモビッチのメンタリティーの継承者

スウェーデン代表のキャリアは04年にスタートし、これまで25試合出場5得点を記録。EURO2016にも出場した。同大会でチームを去ったイブラヒモビッチから、背番号10を引き継いでいる。 (C) Getty Images
当時、リーグを2連覇してCL予備戦に参加する権利を得たマルメから、ブンデスリーガ2部に所属していた(当時)ライプツィヒに移籍するという選択は、大きな物議を醸し出した。
「CLを放棄して、なぜ2部リーグへ行くのか?」と懐疑的な意見が多く、親しい友人でさえも眉をひそめたという。さらには「レッドブルに魂を売った」と、カネのために移籍したと非難されることになった。
スウェーデンではサッカーのみならず、あらゆるスポーツにおいて「51パーセントルール」が軸となっている。これは、民間企業、あるいはひとりのオーナーがクラブの経営を独占する余地はなく、「スポーツ団体は51パーセント以上の株式を、地域団体やクラブ会員に所有されなければならない」というものだ。
「1人1票」の理念を持つこのルールは1999年から施行され、以来、スウェーデン国民はこのルールを誇りに思ってきた。
ゆえに、「金満クラブ」と揶揄されるライプツィヒへの移籍に、多くのマルメ・サポーターは憤慨した(ドイツでも「50+1ルール」という似たような規則があるが、ライプツィヒの場合はクラブの株式の51パーセントがレッドブルの従業員で構成され、残りの49パーセントをレッドブルが一企業として保有している)。
だが、フォシュベリがブンデスリーガ2部という道を選んだのは、「自分が成長するため」という、サッカー選手としてごく当たり前の理由からだった。移籍当時のことを、彼はこう振り返っている。
「ライプツィヒ移籍を疑問に思う気持ちは分かる。当時は2部だったからね。だけど、ブンデスリーガ2部は質が高いよ。プレーのスピードは速いし、身体のぶつかり合いも激しい。自分がさらに成長するためには、ドイツ2部こそが自分が進むべき場所だったんだ」
フォシュベリは、ライプツィヒ移籍が正しかったことを自らの足で証明した。クラブとの契約を22年まで延長したが、今ではアーセナル、そして少年時代にファンだったというリバプールなどのビッグクラブが触手を伸ばすまでに成長した。
スウェーデンでは、サイドハーフというポジション、そしてゴールに対する積極性から、フォシュベリを「フレドリク・リュングベリの再来」と呼ぶ声がある。しかしながら本人は、「自分にとってのアイドルはズラタンだけだ」と話す。
ベストセラーとなったイブラヒモビッチの自叙伝『I AM ZLATAN ズラタン・イブラヒモビッチ自伝』に、「監督の言葉に耳を傾けて多くを吸収して学ぶが、嫌なことには耳を貸さないで自分が信じることを貫き通す」という一文がある。
イブラヒモビッチとはプレースタイルもポジションも異なるフォシュベリだが、周囲が何と言おうがライプツィヒ移籍を選択し、ピッチ上で結果を出すことで批判を封じ込めたという点で、代表チームの先輩と似ていると言えないだろうか。
文:鈴木 肇
「CLを放棄して、なぜ2部リーグへ行くのか?」と懐疑的な意見が多く、親しい友人でさえも眉をひそめたという。さらには「レッドブルに魂を売った」と、カネのために移籍したと非難されることになった。
スウェーデンではサッカーのみならず、あらゆるスポーツにおいて「51パーセントルール」が軸となっている。これは、民間企業、あるいはひとりのオーナーがクラブの経営を独占する余地はなく、「スポーツ団体は51パーセント以上の株式を、地域団体やクラブ会員に所有されなければならない」というものだ。
「1人1票」の理念を持つこのルールは1999年から施行され、以来、スウェーデン国民はこのルールを誇りに思ってきた。
ゆえに、「金満クラブ」と揶揄されるライプツィヒへの移籍に、多くのマルメ・サポーターは憤慨した(ドイツでも「50+1ルール」という似たような規則があるが、ライプツィヒの場合はクラブの株式の51パーセントがレッドブルの従業員で構成され、残りの49パーセントをレッドブルが一企業として保有している)。
だが、フォシュベリがブンデスリーガ2部という道を選んだのは、「自分が成長するため」という、サッカー選手としてごく当たり前の理由からだった。移籍当時のことを、彼はこう振り返っている。
「ライプツィヒ移籍を疑問に思う気持ちは分かる。当時は2部だったからね。だけど、ブンデスリーガ2部は質が高いよ。プレーのスピードは速いし、身体のぶつかり合いも激しい。自分がさらに成長するためには、ドイツ2部こそが自分が進むべき場所だったんだ」
フォシュベリは、ライプツィヒ移籍が正しかったことを自らの足で証明した。クラブとの契約を22年まで延長したが、今ではアーセナル、そして少年時代にファンだったというリバプールなどのビッグクラブが触手を伸ばすまでに成長した。
スウェーデンでは、サイドハーフというポジション、そしてゴールに対する積極性から、フォシュベリを「フレドリク・リュングベリの再来」と呼ぶ声がある。しかしながら本人は、「自分にとってのアイドルはズラタンだけだ」と話す。
ベストセラーとなったイブラヒモビッチの自叙伝『I AM ZLATAN ズラタン・イブラヒモビッチ自伝』に、「監督の言葉に耳を傾けて多くを吸収して学ぶが、嫌なことには耳を貸さないで自分が信じることを貫き通す」という一文がある。
イブラヒモビッチとはプレースタイルもポジションも異なるフォシュベリだが、周囲が何と言おうがライプツィヒ移籍を選択し、ピッチ上で結果を出すことで批判を封じ込めたという点で、代表チームの先輩と似ていると言えないだろうか。
文:鈴木 肇