「キャリアの中でも最高のセーブの一つだった」
――当時、マンチェスター・Uを率いていたのはアレックス・ファーガソン監督。彼との関係で、印象的な出来事はあるか。
「実は、大きく対立したことがあって。アンフィールドで行なわれたリバプール戦だ(1994年1月)。我々は3-0でリードしていたが、最終的に3-3で引き分けてしまった。相手を完全に圧倒していたけど、リラックスしてしまうという大きなミスを犯した。アンフィールドで、そんなことをしてはいけない。
前半のうちにリバプールのナイジェル・クラフに2点を取られて、スコアは3-2に。さらに後半、ニール・ラドックにヘディングシュートを決められ、同点にされた。試合は3-3で終了。正直に言えば、リバプールには勝つチャンスもあった。
試合後、ファギー(ファーガソン監督)がすぐにロッカールームで私を問い詰めた。ユナイテッドにいた8シーズンで、彼から激しく言われたのは、あの時が初めてだった。普段なら、次の練習まで試合を振り返ることはない。だがあの試合は違った。
ファギーは激昂した。そして、私に怒りをぶつけ始めたんだ。私のゴールキックについて批判し始め、リバプールの選手に直接ボールを蹴っているとさえ言った。今となっては、彼はただ誰かに怒りをぶつけたかっただけ、と思える。つまり、誰でもよかったはずさ。
だがその時、私は非常に不公平に思って、反論したんだ。しかも、彼の指導者としての資質や人間性を疑い、さらにチームメイトを批判してしまった。私のキャリアを振り返っても、最も後悔している事件の一つだ。
翌日のトレーニングで、私はファギーのオフィスに呼ばれた。彼から『君は一線を越えた』と言われ、『解雇する』と告げられた。
私は自分の行動を謝罪したよ。彼は『分かった。だが、お前は出て行かなければならない』と言い放った。その後、私はロッカールームに行き、チームメイトに深々と謝罪した。どれだけ申し訳ないことをしたか、愚かなことを言ってしまった、とね。その様子を、ファギーはドアの後ろで聞いていたらしい。彼は私を許し、チームに残すことを決めた」
「実は、大きく対立したことがあって。アンフィールドで行なわれたリバプール戦だ(1994年1月)。我々は3-0でリードしていたが、最終的に3-3で引き分けてしまった。相手を完全に圧倒していたけど、リラックスしてしまうという大きなミスを犯した。アンフィールドで、そんなことをしてはいけない。
前半のうちにリバプールのナイジェル・クラフに2点を取られて、スコアは3-2に。さらに後半、ニール・ラドックにヘディングシュートを決められ、同点にされた。試合は3-3で終了。正直に言えば、リバプールには勝つチャンスもあった。
試合後、ファギー(ファーガソン監督)がすぐにロッカールームで私を問い詰めた。ユナイテッドにいた8シーズンで、彼から激しく言われたのは、あの時が初めてだった。普段なら、次の練習まで試合を振り返ることはない。だがあの試合は違った。
ファギーは激昂した。そして、私に怒りをぶつけ始めたんだ。私のゴールキックについて批判し始め、リバプールの選手に直接ボールを蹴っているとさえ言った。今となっては、彼はただ誰かに怒りをぶつけたかっただけ、と思える。つまり、誰でもよかったはずさ。
だがその時、私は非常に不公平に思って、反論したんだ。しかも、彼の指導者としての資質や人間性を疑い、さらにチームメイトを批判してしまった。私のキャリアを振り返っても、最も後悔している事件の一つだ。
翌日のトレーニングで、私はファギーのオフィスに呼ばれた。彼から『君は一線を越えた』と言われ、『解雇する』と告げられた。
私は自分の行動を謝罪したよ。彼は『分かった。だが、お前は出て行かなければならない』と言い放った。その後、私はロッカールームに行き、チームメイトに深々と謝罪した。どれだけ申し訳ないことをしたか、愚かなことを言ってしまった、とね。その様子を、ファギーはドアの後ろで聞いていたらしい。彼は私を許し、チームに残すことを決めた」
――イングランド・サッカーファンとの間で、印象に残っていることは?
「まずオールド・トラフォードは、私にとって天国のような場所だった。ユナイテッドは世界で最も大きなクラブだが、同時に家族のような場所でもある。ファンはどんな時もチームを支え続けてくれる。
そして彼らのクラブ愛は、世代を超えて受け継がれているんだ。父親が息子を連れていき、自分の父親がかつて座っていた席と同じ場所に座る――そうした伝統と絆が根付いているんだ。もちろん、そこでの幸せな記憶は数えきれないほどたくさんある。でも、逆にアウェースタジアムでの記憶の中にも特別なものがあってね。
たとえば、私が選手として最後に出場したアウェーゲームの対リバプール戦。当時の私はマンチェスター・シティに所属していて、試合前にすでに引退の発表もしていた。その試合で、私はエル・ハッジ・ディウフのシュートを止めた。自分のキャリアの中でも最高のセーブの一つだったと思う。
そして、リバプールの『コップ・エンド』に向かってジョグしていくと、リバプールのサポーターたちが立ち上がって拍手を送ってくれたんだ。マンチェスター・Uとは、強烈なライバル関係にあるのにね。
私が手を振ると、彼らは大きな拍手で応えてくれた。イングランドのフットボール文化が持つ、リスペクトの精神を象徴するワンシーンだったと思う。彼らの拍手は、私のキャリアの中でも最も誇らしい記憶の一つなんだ。今でも鮮明に覚えているよ」
聞き手●ジョナサン・ノースクロフト(サンデー・タイムズ)
翻訳・構成●田嶋コウスケ
※ピーター・シュマイケルの独占インタビューが掲載された『ワールドサッカーダイジェスト』は4月17日に発売!
「まずオールド・トラフォードは、私にとって天国のような場所だった。ユナイテッドは世界で最も大きなクラブだが、同時に家族のような場所でもある。ファンはどんな時もチームを支え続けてくれる。
そして彼らのクラブ愛は、世代を超えて受け継がれているんだ。父親が息子を連れていき、自分の父親がかつて座っていた席と同じ場所に座る――そうした伝統と絆が根付いているんだ。もちろん、そこでの幸せな記憶は数えきれないほどたくさんある。でも、逆にアウェースタジアムでの記憶の中にも特別なものがあってね。
たとえば、私が選手として最後に出場したアウェーゲームの対リバプール戦。当時の私はマンチェスター・シティに所属していて、試合前にすでに引退の発表もしていた。その試合で、私はエル・ハッジ・ディウフのシュートを止めた。自分のキャリアの中でも最高のセーブの一つだったと思う。
そして、リバプールの『コップ・エンド』に向かってジョグしていくと、リバプールのサポーターたちが立ち上がって拍手を送ってくれたんだ。マンチェスター・Uとは、強烈なライバル関係にあるのにね。
私が手を振ると、彼らは大きな拍手で応えてくれた。イングランドのフットボール文化が持つ、リスペクトの精神を象徴するワンシーンだったと思う。彼らの拍手は、私のキャリアの中でも最も誇らしい記憶の一つなんだ。今でも鮮明に覚えているよ」
聞き手●ジョナサン・ノースクロフト(サンデー・タイムズ)
翻訳・構成●田嶋コウスケ
※ピーター・シュマイケルの独占インタビューが掲載された『ワールドサッカーダイジェスト』は4月17日に発売!