「1回出たら戻れなくなったり、戻るとしたら2週間隔離みたいな」
一般的に、ステップアップや日本代表でのキャリアを考えれば、欧州でのプレー継続がベターだったかもしれない。だが、当時の太田にとっては間違いなく、ベストの決断だった。
「今となっては、やっぱりもう少し長くいたほうが、そこからステップアップだったり、色んな近隣の国含めて行けたかなと思うんですけど、あの時に自分の感覚で決めたので、それに対しては今でも自信を持っています。ただ、1年だけで帰ってきたので、いずれもう1回、英語圏の国に行きたいなと思って、オーストラリアに行きました」
Jリーグに戻った太田は、FC東京から名古屋グランパスへの移籍を経て、2020年冬にオーストラリアのパース・グローリーへ。再び世界へ飛び出した。
パースはオーストラリア大陸の南西部に位置し、地理的に他のクラブと離れているうえ、コロナが猛威を振るっていたため、通常の海外挑戦以上に過酷な環境だったようだ。
「今となっては、やっぱりもう少し長くいたほうが、そこからステップアップだったり、色んな近隣の国含めて行けたかなと思うんですけど、あの時に自分の感覚で決めたので、それに対しては今でも自信を持っています。ただ、1年だけで帰ってきたので、いずれもう1回、英語圏の国に行きたいなと思って、オーストラリアに行きました」
Jリーグに戻った太田は、FC東京から名古屋グランパスへの移籍を経て、2020年冬にオーストラリアのパース・グローリーへ。再び世界へ飛び出した。
パースはオーストラリア大陸の南西部に位置し、地理的に他のクラブと離れているうえ、コロナが猛威を振るっていたため、通常の海外挑戦以上に過酷な環境だったようだ。
「僕のチームだけ離れていて、他は全部東のほうなので移動が過酷でした。飛行機の移動だけで5、6時間あるし、時期によっては時差も2、3時間ありますし。だから、試合前日は練習する時間がないので、移動だけでした。
それにオーストラリアは、コロナに対して特に厳しかったです。州によってルールが違うんですけど、パースから1回出たら戻れなくなったり、戻るとしたら2週間隔離みたいな。結構それに振り回されましたけど、家族との時間を多く作れて、Jリーグよりもプレッシャーがなくて、本当に最後、サッカーはもちろんだけど、家族との生活を優先した移籍でした」
日本とは季節が真逆の南半球で2シーズンを戦った太田は、2022年夏に生まれ故郷である町田に帰還。異国で培った経験もフルに発揮し、クラブ史上初のJ1昇格という有終の美を飾ったのだった。
取材・構成●有園僚真(サッカーダイジェストWeb編集部)
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それにオーストラリアは、コロナに対して特に厳しかったです。州によってルールが違うんですけど、パースから1回出たら戻れなくなったり、戻るとしたら2週間隔離みたいな。結構それに振り回されましたけど、家族との時間を多く作れて、Jリーグよりもプレッシャーがなくて、本当に最後、サッカーはもちろんだけど、家族との生活を優先した移籍でした」
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