【番記者コラム】クラブを変えた出来事――熱気を失いかけていた横浜FCにカズが加入すると…

カテゴリ:Jリーグ

二本木昭

2020年04月25日

真っ先に挙げられるのは、メディアの注目度

2005年7月に神戸から加入したカズ。同シーズンは16試合に出場し、4ゴールを挙げる活躍を見せた。(C)SOCCER DIGEST

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 1998年12月25日に横浜FCは設立された。その背景には同年10月29日に、経営不振を理由に横浜フリューゲルスと、横浜マリノスの合併が発表されたことがある。

 両クラブの親会社からは事前の説明がまったくなく、フリューゲルスの選手ですら報道で第一報を知ったという異例の事態であり、「企業の論理」によって一方的に進められた合併劇に、納得のいかないサポーターがゼロからクラブを作り上げたのが横浜FCだ。

 それは、企業の論理に振り回されることなく、サポーターが出資しあってクラブを支える「市民クラブ」を目指すものだった。

 代表を務めるのはほぼ無名のシナリオライターで、広報や経理といったスタッフの多くが素人同然という状態での旗揚げ。当時を知らない、当時に生まれてすらいない人々も多くなったことを実感する昨今、改めて振り返った次第である。

 本来、新たに設立されたクラブは都道府県リーグ・地域リーグから勝ち抜きJリーグを目指すのが絶対的なルールだったが、日本サッカー協会は特例として、当時J2のひとつ下のディヴィジョンだった1999年のJFLへの横浜FCの参入を認める。するとJリーグ経験者を多く集めた横浜FCはJFLで2年連続優勝を果たし、2001年にJ2昇格を果たす。
 
 しかし、ここからが苦難の連続だった。J2昇格以降の4シーズンの順位は9位、最下位、11位、8位(いずれのシーズンも当時のJ2全12クラブ中)と低迷。続く05シーズンも11位と不振を極めたが、この年の7月に途中加入したのが、カズこと三浦知良だった。

 カズがクラブに来て何が変わったか。真っ先に挙げられるのは、メディアの注目度が飛躍的に高まったことだ。私が横浜FCの取材を開始したのは、まさにこの05年だったが、カズ加入以前はホーム三ッ沢に顔を出す記者は固定の3~4人程度。私より取材歴の長い記者は「監督会見で記者が1~2人だったこともある」と述べていた。

 それが、カズがベンチ入りを果たすや否や、50人を超える報道陣が詰めかけた。クラブ広報から「本日の報道者数、クラブ史上最多の80人以上」という異例のリリースが発表されたほどである(正確な人数などは記憶があいまいであることをお断りしておく)。

 同様に、観客動員についても劇的に数が増えた。それまではおよそ3000~5000人であったホームの観衆は、8000人程度に跳ね上がった。数字だけ見ると大した効果ではないようにも感じられるが、あの時、現場にみなぎっていた、それまで感じたことのないスタジアムの熱気は忘れられずにいる。

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