「モウリーニョから『残るんだ!』ってメールを受けて…」
昨シーズン、公式戦52試合で12ゴール・21アシストという圧巻のパフォーマンスを披露して、マンチェスター・シティのプレミア制覇などに大きく貢献したケビン・デ・ブライネが、自身にとって初の海外挑戦となったクラブであり、インパクトを残すことができなかったチェルシー時代を回想した。
元メジャーリーガーのデレク・ジーターが作った独自メディア『Players' Tribune』の取材に答えたデ・ブルイネは、当時、チェルシーを率いていた“スペシャル・ワン”ことジョゼ・モウリーニョと2回しか話す機会がなかったことを告白した。
「メディアではモウリーニョとの関係がいろいろ言われたが、実際のところは2回しか彼と話していない。少しレンタルで外に出すのが、ずっと彼のプランだった」(英公共放送「BBC」より)
チェルシー加入から1年後となる2012-13シーズンにレンタルで移籍したブレーメンでは、ブンデスリーガ33試合で10得点をマークして存在感を示したデ・ブルイネは、当時ドルトムントを率いていたユルゲン・クロップ監督から獲得を望まれるほどの人気銘柄となった。
しかし、翌シーズン、デ・ブルイネはチェルシーに復帰する。それは指揮官が望んだからだった。
元メジャーリーガーのデレク・ジーターが作った独自メディア『Players' Tribune』の取材に答えたデ・ブルイネは、当時、チェルシーを率いていた“スペシャル・ワン”ことジョゼ・モウリーニョと2回しか話す機会がなかったことを告白した。
「メディアではモウリーニョとの関係がいろいろ言われたが、実際のところは2回しか彼と話していない。少しレンタルで外に出すのが、ずっと彼のプランだった」(英公共放送「BBC」より)
チェルシー加入から1年後となる2012-13シーズンにレンタルで移籍したブレーメンでは、ブンデスリーガ33試合で10得点をマークして存在感を示したデ・ブルイネは、当時ドルトムントを率いていたユルゲン・クロップ監督から獲得を望まれるほどの人気銘柄となった。
しかし、翌シーズン、デ・ブルイネはチェルシーに復帰する。それは指揮官が望んだからだった。
デ・ブルイネは、「モウリーニョから『残るんだ。君にはこのチームの一員でいてもらいたい』とメールがあった。だから、『OK、素晴らしいじゃないか。僕は彼の構想に入っているんだ』と思ったのさ」と、当時の心境を明かしている。
迎えた2013-14シーズンは、プレミアリーグで開幕4試合中2試合にスタメン出場と、船出は順調かに思われた……だが、デ・ブルイネは次第に出場機会を失っていった。そして、2013年の12月に「モウリーニョのオフィスに呼び出された」という。この出来事について、デ・ブルイネは、「人生で2度目の大きなターニングポイント」と振り返っている。
「オフィスに入ると、モウリーニョは書類を用意し、『1アシスト・無得点。ボール奪取10回』と言ってきた。どういうことかを理解するのに1分かかったよ。それから彼は、ほかのFWたちのスタッツを読み始めたんだ」
「彼は僕が何か言うのを待っているみたいだった。それでようやく僕は言ったんだ。『でも、ほかの選手たちは15~20試合に出場している。僕は3試合。これは違うんじゃないですか?』ってね」
モウリーニョとのやり取りを、「不思議な感じだった」と話したデ・ブルイネは、「僕はまったく正直で、『クラブは僕にいてほしくないみたいだ。僕はサッカーがしたい。売ってくれたほうがいい』と言った」と、そこで移籍を志願したという。
その翌月に開いた冬の移籍市場で、デ・ブルイネはヴォルフスブルクに完全移籍。ブンデスリーガに舞い戻ったデ・ブルイネは再び躍動し、2015年8月にシティへ移籍した。プレミアリーグに再挑戦してからの成長ぶりは、周知のとおりだ。
モウリーニョの下で羽ばたけなかったベルギー代表MFが、プレミア屈指のタレントになっていることを考えれば、チェルシーが彼を1980万ポンド(約27億7200万円)で手放したのは、安易な決断だったのかもしれない。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
迎えた2013-14シーズンは、プレミアリーグで開幕4試合中2試合にスタメン出場と、船出は順調かに思われた……だが、デ・ブルイネは次第に出場機会を失っていった。そして、2013年の12月に「モウリーニョのオフィスに呼び出された」という。この出来事について、デ・ブルイネは、「人生で2度目の大きなターニングポイント」と振り返っている。
「オフィスに入ると、モウリーニョは書類を用意し、『1アシスト・無得点。ボール奪取10回』と言ってきた。どういうことかを理解するのに1分かかったよ。それから彼は、ほかのFWたちのスタッツを読み始めたんだ」
「彼は僕が何か言うのを待っているみたいだった。それでようやく僕は言ったんだ。『でも、ほかの選手たちは15~20試合に出場している。僕は3試合。これは違うんじゃないですか?』ってね」
モウリーニョとのやり取りを、「不思議な感じだった」と話したデ・ブルイネは、「僕はまったく正直で、『クラブは僕にいてほしくないみたいだ。僕はサッカーがしたい。売ってくれたほうがいい』と言った」と、そこで移籍を志願したという。
その翌月に開いた冬の移籍市場で、デ・ブルイネはヴォルフスブルクに完全移籍。ブンデスリーガに舞い戻ったデ・ブルイネは再び躍動し、2015年8月にシティへ移籍した。プレミアリーグに再挑戦してからの成長ぶりは、周知のとおりだ。
モウリーニョの下で羽ばたけなかったベルギー代表MFが、プレミア屈指のタレントになっていることを考えれば、チェルシーが彼を1980万ポンド(約27億7200万円)で手放したのは、安易な決断だったのかもしれない。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部