川口、松田、遠藤ら若手の台頭で、世代交代と結果のふたつを両立させたシーズンに。
18節終了現在で首位に立つ鳥栖のユン・ジョンファン監督の電撃的な退任は、チームの内外に大きな衝撃を与えている。シーズン半ばにして、首位チームの指揮官が契約解除となるのは、異例中の異例。各メディアでも「前代未聞」「聞いたことがない」といった関係者の声を紹介しているが、過去にもこれと同様の事例がある。95年のJリーグ・サントリーシリーズでの横浜マリノス(当時)である。
その95年シーズンに、横浜Mは94年ワールドカップでサウジアラビアをベスト16に躍進させた手腕を持つアルゼンチン人のホルヘ・ソラリを新監督に招聘。新体制でスタートを切ると、開幕から快調に勝点を積み重ね、首位争いを演じていた。
チームの主軸を担っていたのは、ビスコンティ、メディナベージョの前線のアルゼンチンコンビと井原正巳、小村徳男を中心とする堅い守備陣だったが、一方でソラリ監督は積極的な若手の起用を推し進める。とりわけ象徴的だったのが、サントリーシリーズ11節にデビューした2年目の川口能活(現岐阜)の起用だろう。それまで絶対的な守護神の座にあった松永成立に代えての抜擢だった。
また3バックの一角にはルーキーの松田直樹を開幕から起用するなど、チームには新しい風が吹き始めた。ただ、こうした劇的な変革は、指揮官と一部の主力選手との間に軋轢を生み出したとも言われている。実際、J開幕から2シーズンに渡りチームの絶対的なエースに君臨していたラモン・ディアスは、このシリーズ途中に退団している。
そうしたなかで、指揮を執るソラリ監督も16節終了後、個人的な理由でチームを離れることになるのだ。この時点でチームは首位に浮上。2シーズン続けてタイトルを逃していた横浜Mにとっては、「初戴冠」の絶好のチャンスであったにもかかわらず、突然の「指揮官交代」となってしまう。
そして、激震の走ったチームの後任監督には、日産自動車OBの早野宏史が抜擢されるのだ。早野新監督が就任後、チームは3連敗を喫するなど好不調の波は見られたものの、後続のもたつきもあって初のステージ優勝を達成。続くニコスシリーズでは3位に終わるが、いよいよ松田をレギュラーの座に定着させ、さらに遠藤彰弘、安永聡太郎ら、その後チームの柱となっていく選手たちを積極的に起用すると、サントリーチャンピオンシップを制し、年間王者へと登り詰めた。
シーズン途中の指揮官交代という激震が走ったものの、95年の横浜Mは見事にその苦境を乗り切り、栄冠を掴みとっている。果たして、今回同様のケースにある鳥栖の監督交代劇は、どちらに転ぶのだろうか?
その95年シーズンに、横浜Mは94年ワールドカップでサウジアラビアをベスト16に躍進させた手腕を持つアルゼンチン人のホルヘ・ソラリを新監督に招聘。新体制でスタートを切ると、開幕から快調に勝点を積み重ね、首位争いを演じていた。
チームの主軸を担っていたのは、ビスコンティ、メディナベージョの前線のアルゼンチンコンビと井原正巳、小村徳男を中心とする堅い守備陣だったが、一方でソラリ監督は積極的な若手の起用を推し進める。とりわけ象徴的だったのが、サントリーシリーズ11節にデビューした2年目の川口能活(現岐阜)の起用だろう。それまで絶対的な守護神の座にあった松永成立に代えての抜擢だった。
また3バックの一角にはルーキーの松田直樹を開幕から起用するなど、チームには新しい風が吹き始めた。ただ、こうした劇的な変革は、指揮官と一部の主力選手との間に軋轢を生み出したとも言われている。実際、J開幕から2シーズンに渡りチームの絶対的なエースに君臨していたラモン・ディアスは、このシリーズ途中に退団している。
そうしたなかで、指揮を執るソラリ監督も16節終了後、個人的な理由でチームを離れることになるのだ。この時点でチームは首位に浮上。2シーズン続けてタイトルを逃していた横浜Mにとっては、「初戴冠」の絶好のチャンスであったにもかかわらず、突然の「指揮官交代」となってしまう。
そして、激震の走ったチームの後任監督には、日産自動車OBの早野宏史が抜擢されるのだ。早野新監督が就任後、チームは3連敗を喫するなど好不調の波は見られたものの、後続のもたつきもあって初のステージ優勝を達成。続くニコスシリーズでは3位に終わるが、いよいよ松田をレギュラーの座に定着させ、さらに遠藤彰弘、安永聡太郎ら、その後チームの柱となっていく選手たちを積極的に起用すると、サントリーチャンピオンシップを制し、年間王者へと登り詰めた。
シーズン途中の指揮官交代という激震が走ったものの、95年の横浜Mは見事にその苦境を乗り切り、栄冠を掴みとっている。果たして、今回同様のケースにある鳥栖の監督交代劇は、どちらに転ぶのだろうか?