「注意していたのは小林選手の動きと中村選手のパス」
[ACL1節]川崎 1-1 水原/2月22日/等々力
等々力陸上競技場で行なわれたACLグループステージの第1戦「川崎×水原三星」で見覚えのある名前がメンバーリストに載っていた。
【ACL 川崎1-1水原 PHOTO】小林のゴールで先制するも、オウンゴールでドロー決着
それは昨季限りで鳥栖を退団したキム・ミヌである。
鳥栖で7年間プレーしてきたキム・ミヌにとって、川崎は勝手知ったる相手である。今季の川崎は何人か選手が入れ替わったものの、想定通りのパフォーマンスだったと振り返る。
「(昨年のチームと)あまり変わっていない印象でした。新しく加わった家長選手や阿部選手がリズムを作っていたのは怖かったです。ただ、後半は上手く守ることができました」
この試合、先制を許した水原だが、23分にオウンゴールで追い付くと、後半はカウンターから何度かチャンスを作った。後半、巻き返せた要因についてキム・ミヌはこう語る。
「前半はチームとしてそこまで身体が動いていませんでした。(他の選手たちは)川崎のスタイルを初めて体験したので、対応が難しかったと思います。でも、後半はどうやって守備をしなくてはいけないかを確認し合えました。
僕が危険視していたのは小林選手の動きと、中村選手のパスです。(先制点のように)隙を見せたらやられる。後半はそこの守備も含めて狙い通り、修正できました。勝点1を得られたのは大きいです」
その点は、ソ・ジョンウォン監督も同様の指示を送ったと述懐する。
「フロンターレは、ビルドアップからストライカーにボールをストレートに送り込む流れが非常にスムーズだった。後半に入ってその動きを遮断するために、選手たちに修正を促した。流れを止められたことで有利な展開に持っていけたと感じている」
確かに後半は小林へのボールが入りにくくなり、川崎は攻撃のペースをなかなか上げることができなかった。その点は水原にとって、“してやったり”の展開だったのだろう。
両チームの再戦は4月25日、今度は水原のホーム・水原ワールドカップ競技場で行なわれる。その際も日本のクラブ事情を良く知るキム・ミヌの存在は、川崎にとって大きな壁となるのだろう。
ちなみに日本に再び戻りプレーしたことに、キム・ミヌは「アウェーの席でも日本の方が応援してくれました。大変嬉しく思っています」と笑顔を浮かべた。鳥栖のサポーターを中心に愛されたアタッカーは、日本への感謝の念も忘れていなかった。
取材・文:本田健介(サッカーダイジェスト編集部)
等々力陸上競技場で行なわれたACLグループステージの第1戦「川崎×水原三星」で見覚えのある名前がメンバーリストに載っていた。
【ACL 川崎1-1水原 PHOTO】小林のゴールで先制するも、オウンゴールでドロー決着
それは昨季限りで鳥栖を退団したキム・ミヌである。
鳥栖で7年間プレーしてきたキム・ミヌにとって、川崎は勝手知ったる相手である。今季の川崎は何人か選手が入れ替わったものの、想定通りのパフォーマンスだったと振り返る。
「(昨年のチームと)あまり変わっていない印象でした。新しく加わった家長選手や阿部選手がリズムを作っていたのは怖かったです。ただ、後半は上手く守ることができました」
この試合、先制を許した水原だが、23分にオウンゴールで追い付くと、後半はカウンターから何度かチャンスを作った。後半、巻き返せた要因についてキム・ミヌはこう語る。
「前半はチームとしてそこまで身体が動いていませんでした。(他の選手たちは)川崎のスタイルを初めて体験したので、対応が難しかったと思います。でも、後半はどうやって守備をしなくてはいけないかを確認し合えました。
僕が危険視していたのは小林選手の動きと、中村選手のパスです。(先制点のように)隙を見せたらやられる。後半はそこの守備も含めて狙い通り、修正できました。勝点1を得られたのは大きいです」
その点は、ソ・ジョンウォン監督も同様の指示を送ったと述懐する。
「フロンターレは、ビルドアップからストライカーにボールをストレートに送り込む流れが非常にスムーズだった。後半に入ってその動きを遮断するために、選手たちに修正を促した。流れを止められたことで有利な展開に持っていけたと感じている」
確かに後半は小林へのボールが入りにくくなり、川崎は攻撃のペースをなかなか上げることができなかった。その点は水原にとって、“してやったり”の展開だったのだろう。
両チームの再戦は4月25日、今度は水原のホーム・水原ワールドカップ競技場で行なわれる。その際も日本のクラブ事情を良く知るキム・ミヌの存在は、川崎にとって大きな壁となるのだろう。
ちなみに日本に再び戻りプレーしたことに、キム・ミヌは「アウェーの席でも日本の方が応援してくれました。大変嬉しく思っています」と笑顔を浮かべた。鳥栖のサポーターを中心に愛されたアタッカーは、日本への感謝の念も忘れていなかった。
取材・文:本田健介(サッカーダイジェスト編集部)