アンケート回答者の9割前後が「赤」に反対
4月28日、あるニュースがブラジル全土を駆け巡り、国民を驚かせ、多くの人々を憤慨させた。
英国のユニホーム専門サイト「フッティ・ヘッドラインズ」が、「ブラジル代表が2026年W杯のセカンド・ユニホームに(従来の青いシャツと白のパンツの代わりに)赤いシャツと黒いパンツを採用する見込みで、新ユニホームは来年3月に発売される可能性がある」と伝えたのである。
1958年以降、セレソンのセカンド・ユニホームは一貫して青だった。この報道を受け、国内メディア各社が実施したアンケートでは、回答者の9割前後が赤への変更に反対を表明。保守系の政治家らも「セレソンのユニホームは国旗を構成する黄、青、緑、白のいずれかであるべきだ。国旗に赤はない」、「赤は左派を象徴する色でもある」として強く反発した。
一方で、ブラジルの国名の由来とされる「パウ・ブラジルの木(ブラジルボク)」が、中世には赤の染料として使用されていたことから、「ブラジルと赤には歴史的なつながりがある」という擁護論も見られた。
ご承知の通り、セレソンのファースト・ユニホームはシャツがカナリア・イエロー、パンツが青、ソックスが白または青。1958年W杯決勝で地元スウェーデンと対戦した際、両チームのファースト・ユニホームが黄色だったため、急遽、青いシャツを用意し、見事に初優勝を飾った。それ以来、セカンド・ユニホームは「青のシャツ、白のパンツとソックス」という組み合わせが定着している。
ただし、ブラジル代表のファースト・ユニホームが最初から黄色だったわけではない。
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英国のユニホーム専門サイト「フッティ・ヘッドラインズ」が、「ブラジル代表が2026年W杯のセカンド・ユニホームに(従来の青いシャツと白のパンツの代わりに)赤いシャツと黒いパンツを採用する見込みで、新ユニホームは来年3月に発売される可能性がある」と伝えたのである。
1958年以降、セレソンのセカンド・ユニホームは一貫して青だった。この報道を受け、国内メディア各社が実施したアンケートでは、回答者の9割前後が赤への変更に反対を表明。保守系の政治家らも「セレソンのユニホームは国旗を構成する黄、青、緑、白のいずれかであるべきだ。国旗に赤はない」、「赤は左派を象徴する色でもある」として強く反発した。
一方で、ブラジルの国名の由来とされる「パウ・ブラジルの木(ブラジルボク)」が、中世には赤の染料として使用されていたことから、「ブラジルと赤には歴史的なつながりがある」という擁護論も見られた。
ご承知の通り、セレソンのファースト・ユニホームはシャツがカナリア・イエロー、パンツが青、ソックスが白または青。1958年W杯決勝で地元スウェーデンと対戦した際、両チームのファースト・ユニホームが黄色だったため、急遽、青いシャツを用意し、見事に初優勝を飾った。それ以来、セカンド・ユニホームは「青のシャツ、白のパンツとソックス」という組み合わせが定着している。
ただし、ブラジル代表のファースト・ユニホームが最初から黄色だったわけではない。
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1914年にセレソンが初めて編成された際のユニホームは白で、この白は50年W杯まで使われていた(※この間、1917年と1936年のコパ・アメリカでは、相手チームとユニホームが被ったため、抽選の結果、赤いユニホームで計3試合プレーした記録がある)。
1950年W杯最終戦でウルグアイにまさかの逆転負け(いわゆる「マラカナンの悲劇」)を喫して初優勝を逃したことから、「白は縁起が悪い」とされて廃止が決定。1953年にはCBF(ブラジルサッカー連盟)が新ユニホームのデザインを一般公募し、現在の黄色いシャツが採用された。こうして、「セレソン=カナリア・イエロー」というイメージが世界中に広がっていった。
さらに「CBFのエジナウド・ロドリゲス会長が、すでに昨年の時点で26年W杯のセカンド・ユニホームを赤にすることで、サプライヤーのナイキと合意していた」とする報道もあり、同会長には厳しい批判が集中した。
これを受け、CBFは「2026年W杯で使用するユニホームは未定である」と公式声明を出し、事態の沈静化を図っている。
近年、セレソンは成績不振が続いていて、26年W杯南米予選でも低迷している。今年3月末にはドリバウ・ジュニオール監督を解任したものの、5月に入っても後任監督が決まらず、批判が高まっている。
このような混乱のなかでは、仮にCBFとナイキが「赤のセカンド・ユニホーム」で合意していたとしても、世論を受けて方針転換を迫られる可能性は高いのではないだろうか。
文●沢田啓明
【著者プロフィール】
1986年にブラジル・サンパウロへ移り住み、以後、ブラジルと南米のフットボールを追い続けている。日本のフットボール専門誌、スポーツ紙、一般紙、ウェブサイトなどに寄稿しており、著書に『マラカナンの悲劇』、『情熱のブラジルサッカー』などがある。1955年、山口県出身。
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1950年W杯最終戦でウルグアイにまさかの逆転負け(いわゆる「マラカナンの悲劇」)を喫して初優勝を逃したことから、「白は縁起が悪い」とされて廃止が決定。1953年にはCBF(ブラジルサッカー連盟)が新ユニホームのデザインを一般公募し、現在の黄色いシャツが採用された。こうして、「セレソン=カナリア・イエロー」というイメージが世界中に広がっていった。
さらに「CBFのエジナウド・ロドリゲス会長が、すでに昨年の時点で26年W杯のセカンド・ユニホームを赤にすることで、サプライヤーのナイキと合意していた」とする報道もあり、同会長には厳しい批判が集中した。
これを受け、CBFは「2026年W杯で使用するユニホームは未定である」と公式声明を出し、事態の沈静化を図っている。
近年、セレソンは成績不振が続いていて、26年W杯南米予選でも低迷している。今年3月末にはドリバウ・ジュニオール監督を解任したものの、5月に入っても後任監督が決まらず、批判が高まっている。
このような混乱のなかでは、仮にCBFとナイキが「赤のセカンド・ユニホーム」で合意していたとしても、世論を受けて方針転換を迫られる可能性は高いのではないだろうか。
文●沢田啓明
【著者プロフィール】
1986年にブラジル・サンパウロへ移り住み、以後、ブラジルと南米のフットボールを追い続けている。日本のフットボール専門誌、スポーツ紙、一般紙、ウェブサイトなどに寄稿しており、著書に『マラカナンの悲劇』、『情熱のブラジルサッカー』などがある。1955年、山口県出身。
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