「ハゲワシ部隊」のなかでは唯一、マドリー一筋だった選手。

守備での貢献だけでなく、頼れるキャプテンとして国内外のスター選手たちをまとめた。 (C) Getty Images

バレンシアを決勝で下して自身2度目の欧州制覇。親子二代で偉業を成し遂げた。また「ハゲワシ部隊」のなかでこの栄誉を授かったのは、サンチスだけである。 (C) Getty Images
◇マヌエル・サンチス:1965年5月23日生まれ スペイン・マドリード出身
今シーズン、レアル・マドリーは、リーガ・エスパニョーラではバルセロナに次ぐ2位につけ、チャンピオンズ・リーグ(CL)では決勝へ進出。2シーズンぶりとなるアトレティコとの「マドリード・ダービー」で欧州王座を争うこととなった。
GKからFWまで、世界各国の代表選手を揃え、そのうちの多くが世界的なスーパースターという豪華な集団。伝統的に、育てるよりは他クラブで活躍した選手を買うことで強力なチームを作り、タイトルを獲得してきた。
そういったチームでは、自前で育てた選手が世界のスター選手を差し置いて出場機会を得ることは難しく、多くは他クラブに流れ、そこで可能性を示した選手だけが、マドリーに帰還することを許される。
それゆえ、マドリー一筋のという選手は歴史的に見ても非常に少ない。今シーズン、トップチームの選手で、これに該当するのはDFナチョ、FWヘセ・ロドリゲスら若い選手ばかり。彼らがこの先、長いキャリアの全てをこのクラブで過ごせるかといえば、おそらくは……。
マドリーを生涯一クラブとすることの難しさは、クラブのシンボルといわれたラウール・ゴンサレスやイケル・カシージャスですら、キャリアの途中で他クラブに新天地を求めたことからもよく分かるというものだ。
1902年の創立以来、マドリーでプロデビューし、主力として長く活躍し、そしてここでユニホームを脱いだ選手は3人しかいない。
現ホームスタジアムにその名が冠せられているサンチャゴ・ベルナベウ、80年代から90年代にかけてスペイン代表でもプレーしたDFのチェンド、そして今日で50歳となったCBのマヌエル・サンチスである。
なお、かつてスペイン代表も務めたホセ・アントニオ・カマーチョも、プロとして試合に出場したのはマドリーのみだが、その前にアルバセーテに在籍したことがあるため、純粋なマドリー一筋の選手といえるかは微妙である。
さて話をサンチスに戻すと、1965-66シーズンに欧州制覇を果たしたマドリーの一員であり、スペイン代表としてもプレーした名DFを父に持つ彼は、マドリーのBチームであるカスティージャで経験を積み、83年にマドリーでデビューを果たした。
彼を含め、カスティージャから昇格したエミリオ・ブトラゲーニョ、ミチェル、マルティン・バスケスといった同世代の選手たちは「キンタ・エル・ブイトレ(ハゲワシ部隊)」と呼ばれ、彼らが中心となり、マドリーは85-86シーズンからリーガ5連覇を果たした。
サンチスはCBとしてチームを最後尾から支え、90年代に入るとキャプテンの任も担い、2001年までのキャリアにおいて710試合に出場した。これは、ラウール、カシージャスに次いで歴代3位の記録である。
87-88シーズンには9ゴールを挙げたDFは、8度のリーガ制覇に貢献し、欧州制覇も2度、世界一も1度経験している。また各年代で招集されたスペイン代表では、A代表で48試合に出場。EURO88(グループリーグ敗退)、90年イタリア・ワールドカップ(ベスト16)でもプレーした。
「ハゲワシ部隊」では唯一、マドリーで現役キャリアを全うしたサンチス。引退後はテレビ解説者などを務めながら、クラブのレジェンドとして、今なおマドリーとも深い関係を保っている。
今シーズン、レアル・マドリーは、リーガ・エスパニョーラではバルセロナに次ぐ2位につけ、チャンピオンズ・リーグ(CL)では決勝へ進出。2シーズンぶりとなるアトレティコとの「マドリード・ダービー」で欧州王座を争うこととなった。
GKからFWまで、世界各国の代表選手を揃え、そのうちの多くが世界的なスーパースターという豪華な集団。伝統的に、育てるよりは他クラブで活躍した選手を買うことで強力なチームを作り、タイトルを獲得してきた。
そういったチームでは、自前で育てた選手が世界のスター選手を差し置いて出場機会を得ることは難しく、多くは他クラブに流れ、そこで可能性を示した選手だけが、マドリーに帰還することを許される。
それゆえ、マドリー一筋のという選手は歴史的に見ても非常に少ない。今シーズン、トップチームの選手で、これに該当するのはDFナチョ、FWヘセ・ロドリゲスら若い選手ばかり。彼らがこの先、長いキャリアの全てをこのクラブで過ごせるかといえば、おそらくは……。
マドリーを生涯一クラブとすることの難しさは、クラブのシンボルといわれたラウール・ゴンサレスやイケル・カシージャスですら、キャリアの途中で他クラブに新天地を求めたことからもよく分かるというものだ。
1902年の創立以来、マドリーでプロデビューし、主力として長く活躍し、そしてここでユニホームを脱いだ選手は3人しかいない。
現ホームスタジアムにその名が冠せられているサンチャゴ・ベルナベウ、80年代から90年代にかけてスペイン代表でもプレーしたDFのチェンド、そして今日で50歳となったCBのマヌエル・サンチスである。
なお、かつてスペイン代表も務めたホセ・アントニオ・カマーチョも、プロとして試合に出場したのはマドリーのみだが、その前にアルバセーテに在籍したことがあるため、純粋なマドリー一筋の選手といえるかは微妙である。
さて話をサンチスに戻すと、1965-66シーズンに欧州制覇を果たしたマドリーの一員であり、スペイン代表としてもプレーした名DFを父に持つ彼は、マドリーのBチームであるカスティージャで経験を積み、83年にマドリーでデビューを果たした。
彼を含め、カスティージャから昇格したエミリオ・ブトラゲーニョ、ミチェル、マルティン・バスケスといった同世代の選手たちは「キンタ・エル・ブイトレ(ハゲワシ部隊)」と呼ばれ、彼らが中心となり、マドリーは85-86シーズンからリーガ5連覇を果たした。
サンチスはCBとしてチームを最後尾から支え、90年代に入るとキャプテンの任も担い、2001年までのキャリアにおいて710試合に出場した。これは、ラウール、カシージャスに次いで歴代3位の記録である。
87-88シーズンには9ゴールを挙げたDFは、8度のリーガ制覇に貢献し、欧州制覇も2度、世界一も1度経験している。また各年代で招集されたスペイン代表では、A代表で48試合に出場。EURO88(グループリーグ敗退)、90年イタリア・ワールドカップ(ベスト16)でもプレーした。
「ハゲワシ部隊」では唯一、マドリーで現役キャリアを全うしたサンチス。引退後はテレビ解説者などを務めながら、クラブのレジェンドとして、今なおマドリーとも深い関係を保っている。