鈴木氏は「こういう話をものすごく聞きたかった」
昨年限りで現役を引退した元北朝鮮代表FWの鄭大世氏が、元日本代表MFの鈴木啓太氏のYouTubeチャンネルにゲスト出演。清水エスパルスで味わった挫折と、その経験から得た気づきについて語った。
2006年に川崎フロンターレでプロデビューして以降、ドイツ2部のボーフムや同1部のケルン、韓国の水原三星を経て、15年途中に清水に加入した鄭氏。同年はJ2降格を味わったが、翌16年には26点を奪って得点王に輝く。
2トップを組んだ大前元紀も18得点を決めた同年を、鄭氏は「周りが崩してくれて、良いパスをくれるから。PKも僕が蹴っていたし。それで得点を量産できた」と振り返る。翌年もJ1で10得点と結果を残し、「調子に乗り倒していた時期。サッカー人生で一番楽しかった」という。
ところが、翌18年には一転、スタメンを奪われてしまう。「全く受け入れられない。訳が分からない」状態だった鄭氏は、イライラして「周りに当たり散らして」「監督にも反抗的な態度を取っていた」と明かす。
当時の態度を今では「僕の弱さ」と分析する鄭氏だが、鈴木氏に「昔の自分に声をかけるとしたら、どんな声をかける?」と問われても、「声をかけても聞いていないと思う」と笑う。
実は、その前からチームメイトの心が離れていた。「その時は気づいていない。僕は自分の正義があったから。『俺がこのチームを変える』と思っていた」が、鄭氏が怪我がちだった17年後半に、同僚だった西部洋平氏にこう諭されたという。
2006年に川崎フロンターレでプロデビューして以降、ドイツ2部のボーフムや同1部のケルン、韓国の水原三星を経て、15年途中に清水に加入した鄭氏。同年はJ2降格を味わったが、翌16年には26点を奪って得点王に輝く。
2トップを組んだ大前元紀も18得点を決めた同年を、鄭氏は「周りが崩してくれて、良いパスをくれるから。PKも僕が蹴っていたし。それで得点を量産できた」と振り返る。翌年もJ1で10得点と結果を残し、「調子に乗り倒していた時期。サッカー人生で一番楽しかった」という。
ところが、翌18年には一転、スタメンを奪われてしまう。「全く受け入れられない。訳が分からない」状態だった鄭氏は、イライラして「周りに当たり散らして」「監督にも反抗的な態度を取っていた」と明かす。
当時の態度を今では「僕の弱さ」と分析する鄭氏だが、鈴木氏に「昔の自分に声をかけるとしたら、どんな声をかける?」と問われても、「声をかけても聞いていないと思う」と笑う。
実は、その前からチームメイトの心が離れていた。「その時は気づいていない。僕は自分の正義があったから。『俺がこのチームを変える』と思っていた」が、鄭氏が怪我がちだった17年後半に、同僚だった西部洋平氏にこう諭されたという。
「今、こういう状況で、お前のことを悪く言う選手が一定数いて。川崎時代の話を聞いていたけど、こんな選手じゃなかったし、どんな感じなの?」
言われた直後は「意味が分からない」鄭氏だが、帰宅すると「俺、悪口を言われているんだって、めっちゃショックで」。その後、苦境が続いた18年に「パッと目が覚め」て、自分が調子に乗っていたと気づき、チームメイトに詫びた。
この経験を「本当の挫折」として、「自分と向き合った」と振り返る。同僚の増田誓志氏ら黙々と取り組むベテランを見習い、「サッカー選手として生きられる、この1日を大事にしよう」と決意して以降、充実した日々を過ごせるようになった。
“挫折”から「謝れば、みんな許してくれる」と気づき、練習中に感情的になってしまった時には、たとえ相手が10代の若手でも練習直後に「ごめん、イライラしていた」と謝罪するようになったという。
喧嘩になった場合に自分から謝ると、「向こうも『あっ…』ってなる。『あんな年上の人が謝ってくれたら僕も』となる」。38歳まで現役を続けたストライカーは「逆に、話し合いによって、絆が深まるから、他の人より仲良くなる」「人間関係って良いな、と思ったのが、34、35歳の時」と続けた。
この話を聞いた鈴木氏は、「どの場面でも、サッカー選手だけでなくても、すごく学びになる」と感心。鄭氏を「きっと自分自身が学んで、少しずつでも成長していく姿勢が、多くのファンの方に受け入れられていく。そういう人だなと感じていた」として、「こういう話をものすごく聞きたかった」と思いを述べた。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
【動画】「お前のことを悪く言う選手が一定数いて…」と西部洋平に諭されても理解できなかった鄭大世。挫折を経てとった行動とは?
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言われた直後は「意味が分からない」鄭氏だが、帰宅すると「俺、悪口を言われているんだって、めっちゃショックで」。その後、苦境が続いた18年に「パッと目が覚め」て、自分が調子に乗っていたと気づき、チームメイトに詫びた。
この経験を「本当の挫折」として、「自分と向き合った」と振り返る。同僚の増田誓志氏ら黙々と取り組むベテランを見習い、「サッカー選手として生きられる、この1日を大事にしよう」と決意して以降、充実した日々を過ごせるようになった。
“挫折”から「謝れば、みんな許してくれる」と気づき、練習中に感情的になってしまった時には、たとえ相手が10代の若手でも練習直後に「ごめん、イライラしていた」と謝罪するようになったという。
喧嘩になった場合に自分から謝ると、「向こうも『あっ…』ってなる。『あんな年上の人が謝ってくれたら僕も』となる」。38歳まで現役を続けたストライカーは「逆に、話し合いによって、絆が深まるから、他の人より仲良くなる」「人間関係って良いな、と思ったのが、34、35歳の時」と続けた。
この話を聞いた鈴木氏は、「どの場面でも、サッカー選手だけでなくても、すごく学びになる」と感心。鄭氏を「きっと自分自身が学んで、少しずつでも成長していく姿勢が、多くのファンの方に受け入れられていく。そういう人だなと感じていた」として、「こういう話をものすごく聞きたかった」と思いを述べた。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
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