メガクラブ Photo新着

  • 1998『マーキュリアル ヴェイパー』
記念すべきシリーズ第1弾。極薄プレートと合成皮革によるスピード設計、そしてシルバー、ブルー、イエローの斬新なカラーリングがフットボール界に衝撃を与えた。
  • 1998年のロナウド
写真:Getty Images
  • 2000『マッチ マーキュリアル』
高い機能性の証しとして5つのドットを製品に刻んだ「ナイキ アルファ プロジェクト」のひとつとしてリリース。メタリックカラーが爪先に向かってブラックへと変化。
  • 2002『マーキュリアル ヴェイパー I』
重量が200グラムを切り、縫い目を付けないアッパー、解剖学に基づいて開発された足型、「ヴェイパー」のネーミングなど、新たな試みが凝縮された新時代モデルだ。
  • 2002年のティエリー・アンリ
写真:Getty Images
  • ピエール=エメリク・オーバメヤン(FW)|ドルトムント → アーセナル|移籍金:6375万ユーロ(約86億円)|アーセナルのクラブ記録となる移籍金でやってきた快速ストライカー。昨夏からドルトムント退団が噂され、今冬も退団を要求するような行動を繰り返し、ついにステップアップ移籍を叶えた。アーセナルからはレジェンドである元フランス代表FWアンリと同じ背番号「14」を与えられた。 (C) Getty Images
  • オリビエ・ジルー(FW)|アーセナル → チェルシー|移籍金:1700万ユーロ(約22億円)|ドルトムントからオーバメヤンが加入したと同時にチェルシーに活躍の場を求めた点取り屋。今シーズンは15試合出場(先発1試合)4得点に止まっていたが、請われて赴いた新天地ではエースのモラタからポジションを奪うぐらいの活躍が期待されている。 (C) Getty Images
  • ミチ・バチュアイ(FW)|チェルシー → ドルトムント|レンタル|アーセナルとチェルシーとの“玉突き移籍”に巻き込まれるように急転直下でドルトムントへ移籍したストライカー。ダイナミックなプレーがウリの若手FWはまだ荒削りな部分も目立つが、ドルトムントのツォルクSDは、「非凡な得点能力に強い印象を受けた。クオリティーの高さは証明済みだ」と信頼を口にしている。 (C) Getty Images
  • アレクシス・サンチェス(FW)|アーセナル → マンチェスター・U|トレード|ムヒタリアンとのトレードでマンチェスター・Uに加わった。昨夏から望んでいたCL出場の強豪クラブへの移籍をようやく叶えた点取り屋は、「クラブが僕を連れてきた理由を世界中のファンに証明する」と意気込むとともに、苦言を投げかけ続けた古巣OBへは、「内情をなにも分かってないくせに…」と恨み節を口にしている。 (C) Getty Images
  • ヘンリク・ムヒタリアン(MF)|マンチェスター・U → アーセナル|トレード|今シーズンにモウリーニョ監督の構想から外れ、半ば追い出されるような形でのサンチェスとのトレードでアーセナルへ。入団に際しては、「夢が叶った」と喜びを爆発させ、「アーセナルの再建に全力を尽くす」とやる気十分だ。 (C) Getty Images
  • 1995年11月19日のセリエAミラン戦でプロデビュー。17歳の守護神はスター軍団相手に好セーブを連発した。ここから伝説の1ページがめくられた。写真は同シーズンのユベントス戦。 (C) Getty Images
  • デビュー時には、かつてのイタリア代表GKロレンツォ・ブッフォン(写真)の親戚として紹介された。 (C) Getty Images
  • U-21イタリア代表として96年に欧州制覇を果たした。隣にはマッシモ・アンブロジーニ、上段左から4人目にアレッサンドロ・ネスタ、下段左から2人目にフランチェスコ・トッティの顔も。 (C) Getty Images
  • 97年10月、フランスW杯欧州予選プレーオフのロシア戦という重要な一戦でA代表デビュー。翌年の本大会でも最終メンバーに名を連ねたが、出番は訪れなかった。 (C) Getty Images
  • 98-99シーズンのコッパ・イタリアを制し、クラブでの初タイトルを獲得。アウェーゴールの差でフィオレンティーナを下した。このシーズン、決勝でマルセイユを3-0で下してUEFAカップでも優勝。欧州タイトルも手にした。 (C) Getty Images
  • A・ビダルの3点目の後。バルサは後半を思い通りの展開で進めて快勝を収めた。 (C) Getty Images
  • 前後半で対照的な様相を見せた一戦。S・ラモスは悔しさを抑えて勝者を称えた。 (C) Getty Images
  • 明るい空の下で行なわれたクラシコ。後半で覚醒したバルサを太陽が照らす。 (C) Getty Images
  • バルサに先制を許したのはともかく、数的不利を負ってしまっては……。前半はうまく試合を進めただけに、ジダン監督の失望も大きいだろう。 (C) Getty Images
  • 後半は立ち上がりにシュートを放ったC・ロナウドだが、時間とともに存在感は薄くなっていった。 (C) Getty Images
  • 2001-2002シーズン|2002年3月17日|第30節|FCバルセロナ 1-1 レアル・マドリー|昨シーズンは監督としてクラシコを戦ったジダンとルイス・エンリケ。(C)Getty Images
  • 2004-2005シーズン|2005年4月10日|第31節|レアル・マドリー 4-2 FCバルセロナ|ジダンにしては珍しい気迫あふれるダイビングヘッドでマドリーが先制。まさしくクラシコならではのプレーだった。(C)Getty Images
  • 2005-2006シーズン|2005年11月19日|第12節|レアル・マドリー 0-3 FCバルセロナ|ロナウジーニョが左サイドをぶち抜き、3点目を流し込む。ベルナベウがスタンディングオベーションに包まれた。(C)Getty Images
  • 2006-2007シーズン|2007年3月10日|第26節|FCバルセロナ 3-3 レアル・マドリー|メッシ⑲がトップチーム昇格後、初めてハットトリックを達成したのがこのクラシコだった。 (C) REUTERS/AFLO
  • 2008-2009シーズン|2009年5月2日|第34節|レアル・マドリー 2-6 FCバルセロナ|バルサが3冠を成し遂げたシーズンの、歴史的一戦。アンリの2ゴールなどで大量6ゴールをもぎ取った。(C)Getty Images
  • 選手の妻たちだけでの珍しいショットも。 (C) Getty Images
  • 存在感抜群なのはイカルディ夫妻だ。 (C) Getty Images
  • ラテン系選手たちの家族で写真に収まる (C) Getty Images
  • チームメイトたちとテーブルを囲む長友夫妻。 (C) Getty Images
  • クラブの押しも押されぬレジェンドのサネッティ(左)も参加した。 (C) Getty Images
  • カカの16年に及ぶ崇高なキャリアを振り返る。 (C) Getty Images
  • 2001年に下部組織から昇格する形で、母国の超名門サンパウロでプロキャリアをスタートさせたカカ。 (C) Getty Images
  • サンパウロでの傑出したハイパフォーマンスが認められ、2002年1月にセレソン・デビューを飾り、2002年の日韓ワールドカップにも選出された。 (C) Getty Images
  • 後にミランで同僚となるリバウド(右)らとともに輝きを放ち、2002年日韓ワールドカップを優勝。カカは代表デビューからわずか半年で世界制覇の美酒を味わった。 (C) REUTERS/AFLO
  • “ウクライナの矢”シェフチェンコ(上)とは、絶妙な連携を見せた名うての守備者が揃うセリエAで相手の脅威となった。 (C) Getty Images
  • リオネル・メッシ(バルセロナ)と妻アントネラ・ロクソ。(C)Getty Images
  • クリスチアーノ・ロナウド(R・マドリー)と恋人ジョージナ・ロドリゲス。(C)Getty Images
  • ダニエウ・アウベス(パリSG)とパートナーのジョアナ・サンス。(C)Getty Images
  • ルカ・モドリッチ(R・マドリー)と妻バニャ・ボスニッチ。(C)Getty Images
  • マルセロ(R・マドリー)と妻クラリス・アウベス。(C)Getty Images
  • ジョージナ・ロドリゲス(クリスチアーノ・ロナウドの恋人)。サッカー界屈指の色男であるC・ロナウドが2016年9月から交際するスペイン美女。ロンドンで英語を学び、スペインに戻って以降はモデルをしながら『グッチ』のショップ店員をしているというファッショニスタだ。ただ、サッカーにはあまりが興味がないとも。(C)Alberto LINGRIA
  • ブルーナ・マルケジーニ(ネイマールの恋人)。少女時代から女優として活躍し、最近はモデルとしても国際的に活躍するブラジル美女。ネイマールがサントス時代から交際し、2013年に一時は破局するも、2016年夏頃に復縁したと伝えられる。(C)Getty Images
  • アントネラ・ロクソ(リオネル・メッシのパートナー)。メッシとは地元ロサリオの幼馴染みで、一時期は疎遠だったようだが、2009年に交際が発覚。正式な結婚はしていないが、メッシとの間に2人の男の子を授かっている。(C)Getty Images
  • サラ・カルボネロ(イケル・カシージャスの妻)。スペインでは著名なTV司会者で、2009年からカシージャスと交際。南アフリカW杯決勝後のTVインタビュー中にキスを披露し、一躍スペインの国民的カップルとなった。14年1月には長男が誕生し、16年3月に結婚した。(C)Getty Images
  • アン・カトリン・ブロンメルズ(マリオ・ゲッツェの恋人)ドイツではモデルや歌手、さらにブロガーとして活躍中。ゲッツェとは2013年頃から交際し、アツアツの写真などで何度も話題を呼んでいる。(C)Getty Images
  • 内田篤人(DF)|シャルケ → ウニオン・ベルリン|移籍金非公表|昨年12月に右膝の大怪我から復帰も、出場機会に恵まれずに7年を過ごしたクラブに移籍を志願。「アツトからフットボールを奪えない」というシャルケの後押しもあり、かつて薫陶を受けたケラー監督率いるウニオンへ加入した。本人は「早くピッチへ」とやる気に満ちている。 (C) Getty Images
  • ウスマンヌ・デンベレ(MF)|ドルトムント → バルセロナ|移籍金1億500万ユーロ+4000万ボーナス(約185億6000万円)|バルサからパリSGへ移籍したネイマールに続く史上2番目の金額で加入したプロデビューわずか2年の新星ドリブラー。入団会見では、「僕はネイマールの代役じゃない」と意気込んだ。 (C) Getty Images
  • ズラタン・イブラヒモビッチ(FW)|無所属 → マンチェスター・U|フリートランスファー|昨シーズンは、35歳でのプレミア初挑戦ながら公式戦46試合で28ゴール・10アシストを記録した。しかし、今年4月のアンデルレヒト戦で右膝十字靭帯断裂の重傷を負い、契約延長交渉が破談し、無所属に。しかし、その後、懸命なリハビリが実って早期復帰に目途が立つと、リハビリ施設を提供するなど良好な関係を築いていたマンチェスター・Uとの再契約が実現した。 (C) Getty Images
  • レオナルド・ボヌッチ(DF)|ユベントス → ミラン|移籍金4200万ユーロ(約53億7600万円)|アッレグリ監督との確執が原因でユベントス退団を決断。中国マネーで大型補強を敢行していたミランと5年契約を結んだ。抜群のリーダーシップとカリスマ性を兼ねるCBだけにミランの守備力向上が期待される。新キャプテン就任はクラブの信頼度の表れだ。 (C) Getty Images
  • フェデリコ・ベルナルデスキ(MF)|フィオレンティーナ → ユベントス|移籍金4000万ユーロ(約51億2000万円)|フィオレンティーナからユベントスへ“禁断の移籍”を果たした若きファンタジアスタ。非凡な攻撃的センスはあのロベルト・バッジョを彷彿とさせる。新天地での背番号は「33」に決まった。 (C) Alberto LINGRIA
  • ネイマール(FW)|バルセロナ → パリSG|フリートランスファー|2億2200万ユーロ(約284億円)というバルサが設定した契約解除金の高さから当初は絵空事として扱われていたが、次第に現実味が増し、8月3日に選手自らが違約金を支払って、史上最高額でのパリSG移籍が正式に決定した。入団会見では「僕の心が僕に語りかけてきた」と決断理由を明かした。ちなみに背番号は「10」だ。 (C) REUTERS/AFLO
  • ハメス・ロドリゲス(MF)|R・マドリー → バイエルン|買い取りオプションが付いた2年レンタル|マドリードに向かう準備中にかつての恩師であるアンチェロッティから「君に来て欲しい」と直接電話を受けて、わずか4日でバイエルンへの電撃移籍が成立した。ルンメニゲCEOも「バイエルンのクオリティーをまたひとつ上げてくれる」と大きな期待を寄せている。 (C) Getty Images
  • ロメル・ルカク(FW)|エバートン → マンチェスター・U|移籍金8470万ユーロ(約108億4160万円)|16-17シーズンはプレミアリーグで25ゴールを挙げた大型CF。今夏は古巣チェルシー入りが最有力と伝えられていたが、ルカクの代理人がマンUに多くの選手を送り込んでいるミーノ・ライオラであることなどが要因となり移籍が決定した。当人は「人生で一度しかない機会だった」と明かしている。 (C) Getty Images
  • 本田圭佑(MF)|フリー → パチューカ|フリートランスファー|ミランとの契約が満了となり、スペインやイングランド、アメリカなどのクラブからオファーが届くなかで未開の土地とも言うべきメキシコを新天地に選んだ。本人は「無難な選択をしようとしていた自分に腹が立ったんです。そんな自分が退屈で…」と決断の理由を明かしている。 (C) Getty Images
  • 柴崎岳(MF)|テネリフェ → ヘタフェ|フリートランスファー|今年1月に鹿島からスペイン2部のテネリフェでの挑戦を決意したテクニシャンがついにプリメーラ(1部)への切符を掴む。入団会見では「この舞台でプレーすることが夢だった」と笑顔で語った柴崎の新天地での背番号は「10」だ。 (C) Getty Images
  • 2014年の『第14回全日本国民的美少女コンテスト』でグランプリした髙橋ひかるさん。写真:滝川敏之(サッカーダイジェスト写真部)
  • 髙橋さんは子供の頃、『キャプテン翼』や『イナズマイレブン』に夢中だったという。写真:滝川敏之(サッカーダイジェスト写真部)
  • 髙橋さんが上げたイケメンサッカー選手は、C・ロナウド、クラニチャール、ラノッキアの3人だった。写真:滝川敏之(サッカーダイジェスト写真部)
  • 髙橋さんは中高のサッカー部マネージャーにも憧れていたという。写真:滝川敏之(サッカーダイジェスト写真部)
  • 将来を嘱望される久保建英(FC東京)と同じ年の髙橋さん。刺激を受けるという。写真:滝川敏之(サッカーダイジェスト写真部)
  • 試合前に笑顔で互いの健闘を誓いあったブッフォンとS・ラモス。 写真:佐藤明(サッカーダイジェスト写真部)
  • 先発にはいつも通りの、ベストメンバーを揃えたユーベ。 写真:佐藤明(サッカーダイジェスト写真部)
  • R・マドリーの先発メンバー。前線にはイスコを起用したため、地元ウェールズのベイルはベンチスタートとなった。 写真:佐藤明(サッカーダイジェスト写真部)
  • 立ち上がりから積極的に仕掛けたユーベ。開始早々にイグアインが相手ゴールを急襲するシュートを放った。
  • 果敢に仕掛けるディバラを身を挺して食い止めるS・ラモス。 (C) Alberto LINGRIA
  • 2014年1月8日の入団会見。サン・シーロの特別室にレッドカーペットが敷かれ、多くの報道陣が詰めかけた。(C)Getty Images
  • ミラン・デビューは2014年1月12日のサッスオーロ戦だった。(C)Getty Images
  • ミランでの背番号は自ら志願して「10」を選択した。(C)Getty Images
  • 待望の初ゴールは2014年1月15日のスペツィア戦(コッパ・イタリア)。GKが弾いたボールを左足で押し込んだ。(C)Getty Images
  • セリエA初ゴールは2014年4月8日のジェノア戦。GKが出てきたところをチップキックでかわして決めた。(C)Getty Images
  • マドリーを率いるジダン監督。(C)Getty Images
  • 現役時代はマドリーとバルサ両チームでプレーしたロナウド氏(左)とフィーゴ氏(右)も観戦。(C)Getty Images
  • 握手を交わすL・エンリケ監督(左)とジダン監督(右)。(C)Getty Images
  • 競り合うイニエスタとクロース。(C)Getty Images
  • カゼミーロの激しいマークに遭うスアレス。(C)Getty Images

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