あからさまに反抗した松田は、トルシエから「今後もう代表には呼ばないぞ」と〝追放〞されたが…。
こういった出来事を契機に、選手が成長を遂げていくケースもある。私は長らく日本代表のCBを務めてきた松田直樹のことを思い出した。松田は熱血漢を地で行くタイプで、周りと衝突することがよくあった。
1998年11月、アルゼンチンU― 21代表との試合で出番のなかった松田はふてくされた態度を取り、サポーターに挨拶する列にも加わらなかった。当時、A代表とU― 21代表の監督を兼任していたトルシエに宿舎で呼び出され、「お前がいるとチームのためにならないから帰ってくれ」と言われると、彼は本当に帰ってしまった。翌年9月の韓国合宿でも控えの扱いに納得できず、「マリノスで練習したいから」と申し出て、 途中で帰国してしまう。呆れ果てたトルシエから「今後もう代表には呼ばないぞ」と〝追放〞を突きつけられている。
その後はどうなったか。それでもトルシエは松田を厳しくも温かく見守り、成長を感じるや2000年2月のカールスバーグ杯に臨むA代表のメンバーに入れた。すると松田はこれまでの態度を改め、指揮官の思いに応えようとしたのだ。やんちゃさは残ったままではあったものの、その年のアジアカップ・レバノン大会で優勝すると「監督に少しだけでも恩返しができた」とトルシエに深く感謝したことを覚えている。
金崎はハリルホジッチ監督に直接楯突いたわけではない。だが、指揮官はそう見ていない。A代表に相応しくない態度で呼べなくなったことを、自分やチームに対しての裏切り行為だと捉えている。その怒りは相当なものだと窺える。10月や11月に解けるとはとても思えない。
金崎は絶対にA代表に戻るべき選手だ。彼が行動を起こさなければ事態は変わらない。いつ復帰できるかは、本人次第と言えるだろう。ハリルホジッチ監督は、きっと厳しくも温かく見ているはずである。
1998年11月、アルゼンチンU― 21代表との試合で出番のなかった松田はふてくされた態度を取り、サポーターに挨拶する列にも加わらなかった。当時、A代表とU― 21代表の監督を兼任していたトルシエに宿舎で呼び出され、「お前がいるとチームのためにならないから帰ってくれ」と言われると、彼は本当に帰ってしまった。翌年9月の韓国合宿でも控えの扱いに納得できず、「マリノスで練習したいから」と申し出て、 途中で帰国してしまう。呆れ果てたトルシエから「今後もう代表には呼ばないぞ」と〝追放〞を突きつけられている。
その後はどうなったか。それでもトルシエは松田を厳しくも温かく見守り、成長を感じるや2000年2月のカールスバーグ杯に臨むA代表のメンバーに入れた。すると松田はこれまでの態度を改め、指揮官の思いに応えようとしたのだ。やんちゃさは残ったままではあったものの、その年のアジアカップ・レバノン大会で優勝すると「監督に少しだけでも恩返しができた」とトルシエに深く感謝したことを覚えている。
金崎はハリルホジッチ監督に直接楯突いたわけではない。だが、指揮官はそう見ていない。A代表に相応しくない態度で呼べなくなったことを、自分やチームに対しての裏切り行為だと捉えている。その怒りは相当なものだと窺える。10月や11月に解けるとはとても思えない。
金崎は絶対にA代表に戻るべき選手だ。彼が行動を起こさなければ事態は変わらない。いつ復帰できるかは、本人次第と言えるだろう。ハリルホジッチ監督は、きっと厳しくも温かく見ているはずである。