「偶然」とは言い切れない超自然的なつながり
サッカーの世界は、迷信に満ちている。サードユニホームを着る、右足からピッチに入る、ウォーミングアップでは絶対にゴールを決めない——果ては試合前にピッチの四隅に放尿するというとんでもない儀式まである。
だが、イタリアのクラブ、アベッリーノのサポーターが信じる迷信は、世界のどんなクラブにもない独特なものだ。それは「教皇が交代すると、チームが昇格する」というもの。
アベッリーノはナポリの隣にある、人口5万人強の小さな町。その町に本拠を構えるUSアベッリーノは、1970年代から80年代後半にかけてセリエAの常連だった。しかしその後は降格を重ね、一時はアマチュアレベルにまで落ちてしまったこともある。
教皇とアベッリーノの運命が最初に交差したのは1958年。ピウス12世が崩御した年に、アベッリーノはセリエB昇格を果たした。もちろん当時は、誰もそんな因縁を意識していなかった。だが1963年、ヨハネ23世が亡くなった年にも、アベッリーノはセリエC昇格を達成。さらに1978年には史上初となるセリエA昇格を果たすが、その年にはパウロ6世と、その後すぐに選出され33日間だけ在位したヨハネ・パウロ1世、2人の教皇が相次いで交代している。こうなると「偶然」とは言い切れない。超自然的なつながりを信じる者が現われても、不思議ではない。
物語はそこで終わらない。2005年、ヨハネ・パウロ2世の死から数か月後、アベッリーノはプレーオフでライバルのナポリを破り、セリエBに復帰。そして2013年、教皇ベネディクト16世が史上初めて自ら退位すると、またしてもチームは昇格を果たした。つまり、これまでに5回、教皇交代と昇格が重なっているのだ。もちろん、すべての昇格年に教皇が交代したわけではない。だが、教皇が交代した年には、必ずアベッリーノが昇格している。
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だが、イタリアのクラブ、アベッリーノのサポーターが信じる迷信は、世界のどんなクラブにもない独特なものだ。それは「教皇が交代すると、チームが昇格する」というもの。
アベッリーノはナポリの隣にある、人口5万人強の小さな町。その町に本拠を構えるUSアベッリーノは、1970年代から80年代後半にかけてセリエAの常連だった。しかしその後は降格を重ね、一時はアマチュアレベルにまで落ちてしまったこともある。
教皇とアベッリーノの運命が最初に交差したのは1958年。ピウス12世が崩御した年に、アベッリーノはセリエB昇格を果たした。もちろん当時は、誰もそんな因縁を意識していなかった。だが1963年、ヨハネ23世が亡くなった年にも、アベッリーノはセリエC昇格を達成。さらに1978年には史上初となるセリエA昇格を果たすが、その年にはパウロ6世と、その後すぐに選出され33日間だけ在位したヨハネ・パウロ1世、2人の教皇が相次いで交代している。こうなると「偶然」とは言い切れない。超自然的なつながりを信じる者が現われても、不思議ではない。
物語はそこで終わらない。2005年、ヨハネ・パウロ2世の死から数か月後、アベッリーノはプレーオフでライバルのナポリを破り、セリエBに復帰。そして2013年、教皇ベネディクト16世が史上初めて自ら退位すると、またしてもチームは昇格を果たした。つまり、これまでに5回、教皇交代と昇格が重なっているのだ。もちろん、すべての昇格年に教皇が交代したわけではない。だが、教皇が交代した年には、必ずアベッリーノが昇格している。
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そして今年——セリエCを戦っていたアベッリーノが、4月19日に7年ぶりのセリエB復帰を決めた。そのわずか2日後、フランシスコ教皇が88歳で崩御したのは、皆さんの記憶にも新しいだろう。前日まではイースターのミサに出席し、人々に祝福を与えていたというのに……。
アベッリーノのサポーターは、この「神の意志」を誇りとともに受け入れている。彼らの信じるチームは、困難な時に「より高い力」に導かれるのだと。
今年1月、アベッリーノの司教が教皇フランシスコに謁見し、その際にチームのユニホームにサインをもらい、祝福してもらった。アルゼンチン出身のフランシスコ教皇には、かつてアベッリーノでプレーしたラモン・ディアス(1983~86年)の話もしたようだ。現在、そのサイン入りユニホームはクラブ公式ショップに展示されていて、サポーターたちはその前で感謝の祈りを捧げている。彼らはこの昇格が、教皇がもたらした奇跡だと信じているのだ。
だが、本当にフランシスコ教皇が愛していたのは、故郷ブエノスアイレスのサン・ロレンソだった。幼少期からの熱心なサポーターであり、チームの会員証も持っていたほどだ。
もし教皇が奇跡を起こすとしたら、それは他でもないサン・ロレンソのためではなかったのか……と、私は密かに思っている。
取材・文●リカルド・セティオン
翻訳●利根川晶子
【著者プロフィール】
リカルド・セティオン(Ricardo SETYON)/1963年8月29日生まれ、ブラジル・サンパウロ出身。ジャーナリストとし中東戦争やユーゴスラビア紛争などを現地取材した後、社会学としてサッカーを研究。スポーツジャーナリストに転身する。8か国語を操る語学力を駆使し、世界中を飛び回って現場を取材。多数のメディアで活躍する。FIFAの広報担当なども務め、ジーコやカフー、ドゥンガなどとの親交も厚い。現在はスポーツ運営学、心理学の教授として大学で教鞭も執っている。
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だが、本当にフランシスコ教皇が愛していたのは、故郷ブエノスアイレスのサン・ロレンソだった。幼少期からの熱心なサポーターであり、チームの会員証も持っていたほどだ。
もし教皇が奇跡を起こすとしたら、それは他でもないサン・ロレンソのためではなかったのか……と、私は密かに思っている。
取材・文●リカルド・セティオン
翻訳●利根川晶子
【著者プロフィール】
リカルド・セティオン(Ricardo SETYON)/1963年8月29日生まれ、ブラジル・サンパウロ出身。ジャーナリストとし中東戦争やユーゴスラビア紛争などを現地取材した後、社会学としてサッカーを研究。スポーツジャーナリストに転身する。8か国語を操る語学力を駆使し、世界中を飛び回って現場を取材。多数のメディアで活躍する。FIFAの広報担当なども務め、ジーコやカフー、ドゥンガなどとの親交も厚い。現在はスポーツ運営学、心理学の教授として大学で教鞭も執っている。
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