突然の出場決定に慌てるデンマークに、幾つもの幸運が訪れた。
開幕したEURO2016。欧州の祭典はこれから、出場24か国という史上最大の規模で、1か月にわたって行なわれる。
今回で15回目となるEURO。1960年の第1回大会以来、数々の名勝負、出来事、そしてドラマが生まれてきた。
当ウェブでは、決勝戦が行なわれる7月10日まで、日々、フランス各地で繰り広げられる激闘の様子をお送りするとともに、その日に生まれた過去の歴史的な瞬間も紹介していく。
――◇――◇――
デンマークにとって、EURO92は出場自体が奇跡だった。予選でユーゴスラビアの後塵を拝した彼らには、本来、本大会の舞台に立つ権利すらなかったからだ。
それが、NATOが施した内戦中のユーゴに対する制裁措置のひとつ「スポーツ等の交流の禁止」によって、「ユーゴの出場権剥奪→2位のデンマークの出場」が決まったのは、大会開幕の10日前だった。
この報を受けたデンマーク・サッカー連盟の最初の仕事は、バカンスのために世界中に散っていた選手に連絡を取って、すぐに帰ってくるよう告げること。携帯電話のない時代、それは非常に苦労を伴うことだった。
すでにシーズンの戦いを終えて2週間が経過しており、選手の身体は完全に鈍っていた。また、メンバー決定において、デンマークの中心であるミカエルとブライアンのラウドルップ兄弟が、リカルド・メラー・ニールセン監督との確執で出場を辞退したことも、連盟を悩ませた。
しかし、弟のブライアンは後に翻意してメンバー入り。デンマークにとっては朗報だったが、サッカー連盟はその頃まだ、大会中のホテルや交通手段のチケットの確保に奔走していた。
ただ、幸運だったのは、開催地が隣国スウェーデンだということ。しかも、初戦のイングランド戦はマルメで行なわれる。デンマークの首都コペンハーゲンのすぐ近くにあるこの街は、デンマークにとってホームも同然だったのだ。
突然の出場にもかかわらず、スタンドには多くのデンマーク人サポーターが詰めかけ、また地元マルメの観客も、強国イングランドではなく馴染みのある隣国に肩入れしたことは、間違いなく“ホームチーム”の選手に十分なエネルギーを注入した。
イングランドとしては勝点3を見込んでいたこの一戦で、デンマークは鉄壁の守備を形成し、最後までゴールを割らせなかった。その中心となったのは、GKペーター・シュマイケルだ。
「相手はスターばかりで、十分に準備も積んできていたが、我々は強い気持ちを持って立ち向かった。全ては良い経験だと割り切り、リラックスして臨めたことが、良い結果を生んだのだろう」
2年前のイタリア・ワールドカップでベスト4に入ったメンバーを多く擁し、ガリー・リネカーのようなスターを揃えたチームを相手に勝点1を奪ったことは、欧州中に驚きを与えたが、それでもデンマークの選手たちは、この先、自分たちが勝ち進むなどとは少しも考えなかった。
全くもって無欲の選手たち。大会出場自体を“ボーナス”と捉えていた北欧の戦士たちによる、サッカー史上に残る奇跡の快進撃は、こうしてささやかに始まったのである。
この“おとぎ話”の続きは、また後日、このコーナーで――。
◎6月11日に行なわれた過去のEUROの試合
◇1988年西ドイツ大会
グループステージ
スペイン 3-2 デンマーク
◇1992年スウェーデン大会
グループステージ
デンマーク 0-0 イングランド
◇1996年イングランド大会
グループステージ
イタリア 2-1 ロシア
クロアチア 1-0 トルコ
◇2000年ベルギー・オランダ大会
グループステージ
イタリア 2-1 トルコ
フランス 3-0 デンマーク
オランダ 1-0 チェコ
◇2008年オーストリア・スイス大会
グループステージ
ポルトガル 3-1 チェコ
トルコ 2-1 スイス
◇2012年ポーランド・ウクライナ大会
グループステージ
フランス 1-1 イングランド
ウクライナ 2-1 スウェーデン
今回で15回目となるEURO。1960年の第1回大会以来、数々の名勝負、出来事、そしてドラマが生まれてきた。
当ウェブでは、決勝戦が行なわれる7月10日まで、日々、フランス各地で繰り広げられる激闘の様子をお送りするとともに、その日に生まれた過去の歴史的な瞬間も紹介していく。
――◇――◇――
デンマークにとって、EURO92は出場自体が奇跡だった。予選でユーゴスラビアの後塵を拝した彼らには、本来、本大会の舞台に立つ権利すらなかったからだ。
それが、NATOが施した内戦中のユーゴに対する制裁措置のひとつ「スポーツ等の交流の禁止」によって、「ユーゴの出場権剥奪→2位のデンマークの出場」が決まったのは、大会開幕の10日前だった。
この報を受けたデンマーク・サッカー連盟の最初の仕事は、バカンスのために世界中に散っていた選手に連絡を取って、すぐに帰ってくるよう告げること。携帯電話のない時代、それは非常に苦労を伴うことだった。
すでにシーズンの戦いを終えて2週間が経過しており、選手の身体は完全に鈍っていた。また、メンバー決定において、デンマークの中心であるミカエルとブライアンのラウドルップ兄弟が、リカルド・メラー・ニールセン監督との確執で出場を辞退したことも、連盟を悩ませた。
しかし、弟のブライアンは後に翻意してメンバー入り。デンマークにとっては朗報だったが、サッカー連盟はその頃まだ、大会中のホテルや交通手段のチケットの確保に奔走していた。
ただ、幸運だったのは、開催地が隣国スウェーデンだということ。しかも、初戦のイングランド戦はマルメで行なわれる。デンマークの首都コペンハーゲンのすぐ近くにあるこの街は、デンマークにとってホームも同然だったのだ。
突然の出場にもかかわらず、スタンドには多くのデンマーク人サポーターが詰めかけ、また地元マルメの観客も、強国イングランドではなく馴染みのある隣国に肩入れしたことは、間違いなく“ホームチーム”の選手に十分なエネルギーを注入した。
イングランドとしては勝点3を見込んでいたこの一戦で、デンマークは鉄壁の守備を形成し、最後までゴールを割らせなかった。その中心となったのは、GKペーター・シュマイケルだ。
「相手はスターばかりで、十分に準備も積んできていたが、我々は強い気持ちを持って立ち向かった。全ては良い経験だと割り切り、リラックスして臨めたことが、良い結果を生んだのだろう」
2年前のイタリア・ワールドカップでベスト4に入ったメンバーを多く擁し、ガリー・リネカーのようなスターを揃えたチームを相手に勝点1を奪ったことは、欧州中に驚きを与えたが、それでもデンマークの選手たちは、この先、自分たちが勝ち進むなどとは少しも考えなかった。
全くもって無欲の選手たち。大会出場自体を“ボーナス”と捉えていた北欧の戦士たちによる、サッカー史上に残る奇跡の快進撃は、こうしてささやかに始まったのである。
この“おとぎ話”の続きは、また後日、このコーナーで――。
◎6月11日に行なわれた過去のEUROの試合
◇1988年西ドイツ大会
グループステージ
スペイン 3-2 デンマーク
◇1992年スウェーデン大会
グループステージ
デンマーク 0-0 イングランド
◇1996年イングランド大会
グループステージ
イタリア 2-1 ロシア
クロアチア 1-0 トルコ
◇2000年ベルギー・オランダ大会
グループステージ
イタリア 2-1 トルコ
フランス 3-0 デンマーク
オランダ 1-0 チェコ
◇2008年オーストリア・スイス大会
グループステージ
ポルトガル 3-1 チェコ
トルコ 2-1 スイス
◇2012年ポーランド・ウクライナ大会
グループステージ
フランス 1-1 イングランド
ウクライナ 2-1 スウェーデン