アルベル監督の招聘が快進撃の起点に

11月2日、ルヴァンカップ決勝の名古屋戦で国立競技場に詰めかけた大勢の新潟サポーター。地鳴りがするほどの声援で、オレンジの戦士たちをサポートした。写真:梅月智史(サッカーダイジェスト写真部)
伝統の堅守速攻から、ポゼッションを基調としたサッカーへと転換してから5年、新潟は、初めてルヴァンカップ決勝の舞台に挑んだ。ブレることなくスタイルを貫き、技術と連係を高め続けてきた結果だ。
前回ルヴァンカップ(当時のヤマザキナビスコカップ)で4強入りを果たした2015年シーズンも、新潟にはブレないスタイルがあった。
12年の途中に就任した柳下正明監督が戦術に落とし込んだのは、ハイプレス&ショートカウンター。代名詞となっていた堅守速攻スタイルはアグレッシブさを増し、サポーターを熱狂させた。そのスタイルは川又堅碁が23得点を挙げた13年には、後半戦だけなら首位になれるほどにリーグを席巻。J1でクラブ最高の6位(07年)に次ぐ7位という好成績を残した。その後、リーグ戦でそれを上回れなかったものの、リーグカップでは柳下体制4季目に公式戦で9年ぶりに浦和を下して準決勝に進出。初のベスト4入りを果たした。
そのシーズンを最後に柳下監督は勇退。「『アルビのスタイルって、こうだよね』というものを、残せたんじゃないかな」と、磨いてきた戦い方を託すようにして新潟を去った。
前回ルヴァンカップ(当時のヤマザキナビスコカップ)で4強入りを果たした2015年シーズンも、新潟にはブレないスタイルがあった。
12年の途中に就任した柳下正明監督が戦術に落とし込んだのは、ハイプレス&ショートカウンター。代名詞となっていた堅守速攻スタイルはアグレッシブさを増し、サポーターを熱狂させた。そのスタイルは川又堅碁が23得点を挙げた13年には、後半戦だけなら首位になれるほどにリーグを席巻。J1でクラブ最高の6位(07年)に次ぐ7位という好成績を残した。その後、リーグ戦でそれを上回れなかったものの、リーグカップでは柳下体制4季目に公式戦で9年ぶりに浦和を下して準決勝に進出。初のベスト4入りを果たした。
そのシーズンを最後に柳下監督は勇退。「『アルビのスタイルって、こうだよね』というものを、残せたんじゃないかな」と、磨いてきた戦い方を託すようにして新潟を去った。
それから時を経て、再び快進撃を見せたのは、“新潟といえば、ポゼッションサッカー”という、当時とは異なるスタイルが定着した今季だった。新たな新潟スタイルの確立と継続。その始まりは、J2で3季目を迎えた20年シーズンに遡る。
クラブは16年から4年連続でシーズン途中の監督交代に踏み切り、積み上げができずにいた。J2降格初年度の18年は16位と低迷。19年には10位まで持ち直したが、昇格争いには至らなかった。経営面も、J2に降格した段階でリーグからの均等配分金が3.5億円から1.5億円に減少。降格救済金(降格前のリーグの均等配分金の80㌫を支給。23年廃止)が支給されても、降格1年目でのJ1復帰は叶わなかった。
苦しい状況下で、アルビレックス新潟を存続させるためにクラブが注力したのは、選手育成。白羽の矢を立てたのは、スペインの名門、バルセロナの育成部門で長く要職を務めた経験を持つアルベル氏だ。
そのスペイン人新監督は「ボールを愛するサッカー」を標榜。プレシーズンキャンプからロンドとポゼッション練習を繰り返し行なった。だがその矢先、J2開幕戦の直後からコロナ禍に見舞われる。リーグは約4か月に渡り中断されたが、幸いにもこの期間が不慣れなスタイルを浸透させていくうえでプラスに働いた。リーグ再開後には、鮮やかなパスサッカーでサポーターを魅了。アルベル監督はこう語った。
「サッカーとはエンターテインメント。試合結果にばかり左右されるのは、決して幸せではありません。バルセロナというチームのどういう部分が日本人の記憶にとどまっているか、それはタイトルという結果以上に、グアルディオラ(監督)の下で表現していたスタイルではないでしょうか。攻撃的で、見ていて楽しい魅力的なプレーの数々は、地元バルセロナだけでなく世界中のサッカーファンの心を掴んでいます。我々は、新潟のサポーターが誇りに思えるようなサッカーを表現したい。そうすれば、全国でリスペクトされるようなチームになれると思います」
明確な信念の下、アルベル監督は主導権を握るためにボールを保持するサッカーを浸透させていった。若手の起用にも積極的で、プロ2年目の本間至恩や藤田和輝に実戦経験を積ませながら成長を促した。
【記事】「強そう!」「エモいデザイン」コンセプトはBRAND NEW SUNSET。新潟の2025シーズン新ユニが好評「縦ストライプ好き!」
クラブは16年から4年連続でシーズン途中の監督交代に踏み切り、積み上げができずにいた。J2降格初年度の18年は16位と低迷。19年には10位まで持ち直したが、昇格争いには至らなかった。経営面も、J2に降格した段階でリーグからの均等配分金が3.5億円から1.5億円に減少。降格救済金(降格前のリーグの均等配分金の80㌫を支給。23年廃止)が支給されても、降格1年目でのJ1復帰は叶わなかった。
苦しい状況下で、アルビレックス新潟を存続させるためにクラブが注力したのは、選手育成。白羽の矢を立てたのは、スペインの名門、バルセロナの育成部門で長く要職を務めた経験を持つアルベル氏だ。
そのスペイン人新監督は「ボールを愛するサッカー」を標榜。プレシーズンキャンプからロンドとポゼッション練習を繰り返し行なった。だがその矢先、J2開幕戦の直後からコロナ禍に見舞われる。リーグは約4か月に渡り中断されたが、幸いにもこの期間が不慣れなスタイルを浸透させていくうえでプラスに働いた。リーグ再開後には、鮮やかなパスサッカーでサポーターを魅了。アルベル監督はこう語った。
「サッカーとはエンターテインメント。試合結果にばかり左右されるのは、決して幸せではありません。バルセロナというチームのどういう部分が日本人の記憶にとどまっているか、それはタイトルという結果以上に、グアルディオラ(監督)の下で表現していたスタイルではないでしょうか。攻撃的で、見ていて楽しい魅力的なプレーの数々は、地元バルセロナだけでなく世界中のサッカーファンの心を掴んでいます。我々は、新潟のサポーターが誇りに思えるようなサッカーを表現したい。そうすれば、全国でリスペクトされるようなチームになれると思います」
明確な信念の下、アルベル監督は主導権を握るためにボールを保持するサッカーを浸透させていった。若手の起用にも積極的で、プロ2年目の本間至恩や藤田和輝に実戦経験を積ませながら成長を促した。
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